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本雑綱目 83 歴史學研究 500(1982.1) 特集:国家と宗教

今回は『歴史學研究 500(1982.1) 特集:国家と宗教』です。
青木書店、歴史學研究會編集創刊500号記念です。
NDC分類では雑誌は051一択、
前提知識必要度(スポットな日本の歴史):★★★★☆

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象

 雑誌は表紙で中身がある程度見えるからなー。
 特集:国家と宗教で、『特集にあたって』、論文に『鎮魂の系譜 国家と宗教をめぐる展望』、『律令国家と行基 「疎外」としての行基問題』、『『日本霊異記』の歴史的性格』、『諸国一宮制の展開』、『近世奉幣使考え』、『1920年代の宗教法案 宗教統制を巡る諸対抗』、研究ノートで『近代神社祭祀組織の創設と帰結』、時評で『1980年代における国家と宗教 今、なぜ靖国か』。書評は飛ばす。
 読みたい記事は定まっている(それを目的に買うから)んだけど、とりあえず前書きを読んでから決める。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 『特集にあたって』を読む。1頁からの学会連絡はとりあえずスキップ。
 と思ったんだけど、今はあんまりお目にかかれないようなイデオロギー論争が占めていて、僕が見たいのは中身についてなんじゃがとか思いつつ、とりあえず中身に関する内容はなかった……。まあ発刊にあてた辞でした。教科書検定で最高裁判例が出た時代か。
 えっと気を取り直して、『『日本霊異記』の歴史的性格』、『1920年代の宗教法案 宗教統制を巡る諸対抗』と『近代神社祭祀組織の創設と帰結』を読みます。行基以前の時代は多分書く可能性が乏しい。僕は小説のなかで明治・大正で宗教団体いくつか立ち上げたから……。
(仕様変更の明示)一つ一つのまとめが長くなるからわけようかと少し悩んだけど前段が紹介で後段が感想ということにしてあるので、とりあえず今回はこれで……とは思ったものの、あんまりに1つが長くなる時は前後段を改行でわけることにしようかな。不便そうなら後に仕様を変更するかも。

3.中身

『『日本霊異記』の歴史的性格』について。
 日本霊異記作成当時は末法(世紀末感)であり、仏教的因果応報譚を集めて民衆救済を求めて編纂されたものである。編者景戒は薬師寺で伝燈住位という権威ある僧位を得たのちに私度僧となった。その出自として紀伊国名草群大伴連説と渡来系吉士集団説があるが、鏡日との関係性にかんがみて大伴連の通説に従うべきだろう。
 霊異記には口伝説話も多いが、協力者がいたとしても景戒が編纂主体となっていると思われる。続日本紀と霊異記を比較し、霊異記は宗教学的主張や薬師寺の自己擁護が隠されているといわれるが、朝廷の仏教統制に対する南都教団側の批判や反発が景戒を通して説話群に現れているのではないか。
 当時仏教勢力が強くなり、称徳天皇の死後、光仁天皇は道鏡を追放し仏教勢力を政界から排除しようとした。その後桓武朝は寺院僧尼に対する統制を強めて私度僧も禁圧したため、霊異記には僧尼や私度僧の話が少ない。霊異記の性格として下記五点が現れる。
 ①漢神や神祇信仰に対する仏教の優位性、
 ②高徳僧に対する積極的な賛美、
 ③私度僧に対する共感と同情、
 ④仏教の擁護者たる為政者に対する積極的称賛、
 ⑤仏敵となる人物説話を積極的に収録し非難していること
 これらは桓武朝で仏教統制に対し危機感を持ったことから出たものなので、行基等の私度僧として民衆に慕われる僧や仏教を擁護する為政者を賛美し、仏敵として悪を行う者を積極的に非難した。行基の説話は多いが民衆教化・救済の側面のみに限られ、権力に取り込まれた後の行基には触れられていない。

 この項はあくまで仏教説話集日本霊異記の性質について述べられているので、補足として僕の認識する当時の政治的な時代背景を述べておく(正確性は心もとない)。
 桓武天皇は平城京周辺を基盤とした南部貴族と寺社勢力の権力を切り離すため、ほぼだまし討ちのような形で長岡京、平安京に遷都した。父である光仁天皇はお飾りで、独自の権力を打ち立てねば傀儡になるからだ。その少し前の聖武天皇は霊異記では聖人の生まれ変わりとして描かれるが、それは大仏建立、国分寺の建設等を大規模に行ったからだ。その理由は当時大きな呪いと災厄(今の名前では天然痘等)が都に訪れ上位貴族が死に絶える状態だったからこれらの呪いと穢れを払しょくする必要があり、当時最新の防衛技術である仏教によって護国を願ったこと自体は方針としては間違いではない。しかしその結果多くの住民が労働に駆り出され、大伴家持が述べるところでは琵琶湖から京に至る道沿いでは村人の死体が処々に打ち捨てられているほどであったという。
 聖武天皇は墾田永年私財法を制定し、墾田を開拓者の私財としたけれど同時に税を納める義務が生じたため、農民は耕した田を免税権を持つ寺社や貴族に寄付をするようになってかえって寺社・貴族の勢力が肥え太るようになった。当時の寺社は権力の象徴であり、だからこそ景戒は私度僧(寺社籍にない僧)を推奨したのだろうけれど、私度僧の中には貴族らと組んで人を呪い金儲けをする輩も多くいたので、私度僧禁止の流れができた。
 補足がやけに長くなったけれど、景戒は基本的に政治のほうをあまり見ずに仏教的価値観のもとで聖武上げ桓武下げをしたのだろうと思う。そのこと自体は立場的なものなので良いも悪いもない。結局霊異記は説話集なので、民衆に仏法に従えば昇天し反すれば畜生に転生して苦役をえる話がつまっている。これまではそれだけだと思っていたんだけれど、この項を見て思ったより政治マターが見え隠れしてるなと面白くなってきたので読んでみようかと思いつつ、あれ話としては仏が出るときは超合金みのある光り方をするところは面白いんだけどイソップ童話みたいなんだよなとちょっと面倒くさくなるやつ。

『1920年代の宗教法案 宗教統制を巡る諸対抗』について。
 1920年代後半の2回の宗教法案は思想対策の宗教利用及び思想統制を目的としたものだが、いずれも成立しなかった。1924年当時は新興教団が増加し、救済済を求める都市労働者や小市民に既成教団が対応できていないことを示していた。そして神道は宗教ではないという建前であるにも関わらず各神社が宗教活動を行っていたことに対して既成教団から批判が増大していた。
 1899(明治38)年文部省訓令では公立学校等での宗教教育及び宗教儀式は禁止されたが、1924年に同局長はこの定めは特定宗派の教義信条の鼓吹を禁止したものでそれ以外の宗教的教育は思想問題解決に必要という解釈を示す。その情勢下で政府は既成宗教団体の教化動員を要請した。東本願寺等の仏教集団は素早く反応したが、これには新寺院設立原則禁止等からの寺院復興、社寺領没収に付随した敷地内国有地の還付問題及び僧職や宗教教師の選挙権が認められない問題の解決等の目的があった。当時、宗教については江戸末以降個別の法規命令が乱立しており、1926年草案では統一法規の作成が求められていた。
 ところが当該草案は宗教団体自治及び信教の自由について、官庁の団体への監督権及び組織運営への介入が大きく、宗教活動への制約の側面が強かったため批判がみられた。キリスト教各派からは主に教師資格と教団管理の定めについて、神道では天理教が教師の学歴の例外規定等を求めて要望があり、仏教界がは自治、指定制度、国有地に関し(宗教活動の自由は含まれなかった)質問書を発した。真宗では神社(国家神道)も一つの宗教であるとして信仰強制を排除せよと唱えたため、非国民的行動と非難する論調が現れたが、政府は一貫して強気で、真宗の反発は敷地問題の譲歩材料として用いられるに留まる。
 二次草案は邪教取締りを強く打ち立てたが、日本基督教会は監督官庁の権限が強い本草案は憲法における信教の自由を空文化するものと反対した。仏教は敷地問題解決を求める賛成派と信教の自由を求める反対派にわかれた。その後、様々な点が緩和された宗教団体法草案は、①宗教法規の統一、②不逞宗教の取締、③宗教団体の保護と監督を目的としていたが、当該法案は仏教・基教のある程度の修正派は取り込めたものの反対派をより強固にし、特に美濃部達吉等は憲法が想定する宗教の自由への制限を逸脱していると批判したため、法案の骨子を大修正する修正案が出されたが、審議未了となった。

 上のまとめは、法案内の個別争点は全カットしたので、気になる方は直接お読みください(そこまで書くと詳細すぎるので)。
 前提として、開国前後で日本では廃仏毀釈・神仏分離を通して大きな宗教改革が生じ、明治政府は憲法で最終的に各宗教の信教の自由を保障しつつも、神道統廃合のもと国家主導で作り上げた国家神道は宗教ではなく宗教の上位概念として位置付けたため、国家神道は実質的には各宗派の信教の自由に優越することになった。けれど国家神道による教導自体は内ゲバしたりでグダグダな推移を辿っている。
 そんなわけでこの時代は建前と実体の折り合いがギスギスしていた時代で、本論は信教の自由、既得権益、土地問題が絡んだ組織論及び法的自由論的な話。各宗教団体で重視するポイントと時期がずれているのが興味深いけれど、宗教の話というよりは最終的には団体自治と利権の話に見えてくる不思議。宗教も基盤がなければ信者を増やせないのだ。

『近代神社祭祀組織の創設と帰結』について。
 近代神社政策は民衆の生活と結びついた社祠への信仰を土台として出発したはずなのに、新政府によって社格を与えられ神職が変わり祭事が変化することによってその中身が短期間のうちに大きく変化し伝統が断ち切られた。そのことに民衆は気づかぬまま、日常の信仰がスライドする形で国家への信仰体制に組み込まれた。
 当時新政府としては旧来の権力構造から民衆を切り離して国家のもとで一丸として諸外国にあたらねばならず、神仏分離によって仏教や国家に不適合な神社(淫祠邪教と呼ばれる国家理念に適合しないもの)から神を切り離し、氏子から神社経営権を奪い、神職の私有神社支配を否定して伊勢神宮を頂点とした国家神道を創設しようとした。これは従来のお家のためという価値概念を国家のためという価値概念に付け替える作業の一環であり、家への帰属意識を解体することは不可能であったため、家への帰属を土台とした階層的意識及び集団帰属意識を拡大するために、家や村の神を統一して全ての国民が一体である国家神道という枠組みを創設したといえる。
 しかし末端の行政担当者は思想的に未熟であり鎮守・氏神・産土の区別を不明確にたし、申請された神社の体裁を整えるにしても伝統を全く無視したものにすげ替えることはできず困難を極めた。このように神道国教化を政策実現しようとしていたのは神道大会議までで、その当時の神道は国家イデオロギーたる完成度を有しておらず欧米の信教自由思想に耐えられるものではなかったため、新政府のなかで当該方針は放棄され、神道とは離れた万世一系で神につながる皇家をその中心とせざるをえなくなった。
 明治政府は祭神一致の理念を掲げる。宗教的立場からは祭られる神の設定は必須であるが、社会的立場に民衆が承認できる説明付があればよく、全ての神社は皇家が統一する帰結となり、伊勢神宮と結びつけられて国家神となった。人・ムラ・藩と国家を不可分に扱うために戸籍区を基準として氏神を配し、伊勢院宮を頂点とする国家の神社を配備した。そして神社から授けられる氏神札(神符)と伊勢神宮の神宮大麻は各家の神棚で先祖とともに奉戴することとなり、公的な場での神道祭祀についての違和感を持ちにくくした。

 上のまとめ自体ですでに僕の主観が結構入ってたりするんだけど、革命政権が新しい国家宗教をクリエイトしようとする試みは、良し悪しの評価は別としてなかなかすごいと思うんだ。そしてやはり中身が詰まらなかった、というか完成度の高い宗教をそんな短期間で作り上げられるはずはないんだけど、国学の連中が内ゲバしなければ意外とうまくいってたりするのかなと思わなくもない。
 国家神道の中身はやっぱりよくわからないんだよ、それはもともとよくわかるまで作れなかったから。でもうまくいきかけた理由としては仏教の堕落も大きい。廃仏毀釈なんかは国学の連中が煽ったとしても民衆主導で行われていたし。明治期の価値転換というのは今から考えてもすさまじいものがある。

 全体的にテーマが難しく、どれも前提知識が書かれてないのでピンポイントに興味がなければ面白くないだろう。僕はどれもほどほどに知っているテーマを選んで読んだけれど、前提知識がなければ中身がわからない程度には詳細なことが書いてある気はする。この雑誌って歴史全般なわけだが記念号でもこんな隅っこの話でも載るんだなっていう驚き。でも当時の時流を考えるとそんなものか。学会誌だし。
 小説に使えるかというと、最後のは僕はピンポイントで使える。国家神道作る立場のキャラ書いてるから。最初のも使える。ちょうど桓武天皇まわりの話を書いてるから。でもそんな特殊事情でなければ今号は難しいかもしれん。とくに2番目のは個別具体的な宗教内部の話ではなくて概念的な憲法論とか組織論だろうし。

4.結び

 僕が書いてるのは国家神道を作ろうとしてはしごをはずされた人で、その人は若くして結局多分過労死した。明治を書くのも大正を書くのも楽しいけれど、昭和の二次大戦後以降はめんどくさい。やっぱ時代が卑近になってくると現代と連続してくるから。
 次回は丁秀山『中国の冠婚葬祭』です。
 ではまた明日! 多分!

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