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【短編小説(恋愛)】冷たい人 12000字

[HL:いつまでも同じ関係だと期待していた]
長いのと主格が変わるので段落を分けます。
タイトルがマッチしてないのでタイトル募集。


1.雨の後の水たまり

 俺の喉と同じようにカラカラに乾燥した晴れた冬の空の下で、
 ザァザァぶりの雨にただ打たれているような気持ちで、
 言葉を聞いた。
智司さとし、私、鈴原すずはら君に告白されたんだ。どうしようかな」
 それはきっとずっと前から覚悟してた。多分梨穂子りほこに初めて会った時からだと思う。だからこれは予定されていて、けどやっぱりハンマーで殴られたみたいな気分で、目の前が暗くなる。

 梨穂子が好きだ。そう、ずっと好きだった。
 俺と梨穂子との関係はただの幼馴染だ。でもずっと好きだった。いつからかはわからないけど。いつから、きっと最初から。
 物心付く頃からお互いの家の中間あたりにある公園で会っていた。遊んでいた、とは少し違う。ただ、会っていただけ。
 俺と梨穂子は表面上、仲がいいわけじゃない。俺と梨穂子が友達だと思っている奴はいないだろう。梨穂子はいつも同じ幼稚園の子と遊んでいたから。俺はその頃、一緒に遊ぶ友達もいなくて、というより遊んでいる子たちは少しだけ楽しそうに見えたけれど、そこに交じる自信はなかった。だからだいたいが1人でブランコに座っていた。
 公園には1本の大きな楓の木があった。公園の端にあるブランコからだけ、その木の裏で泣いていた女の子が見えた。最初は一人ぼっちに見えたんだ。俺と同じように。だから声をかけた。
「どうかした?」
「えっ? なんで?」
「なんでって?」
「なんで見てるのよ!」
 予想外に強く睨まれ、怒りをぶつけられた。心配したのに、理不尽だ。なんだコイツ、と思った。
 後から考えれば、梨穂子は見られてるとは思っていなかったんだろう。その一瞬の驚いた顔は妙に印象に残って、涙を拭って俺を睨みつける表情に、なんとなく、俺とは違う種類の人間なんだと感じた。
「話しかけちゃ駄目だった?」
「……まぁいいわ。ここは私だけの場所じゃないもの。でもこれは秘密ね、絶対」
 難しい顔で言い放たれた『秘密』という言葉は、ずっと俺の心の底に仕舞われた。

 小さい頃の梨穂子はとても偉そうで、すぐ他の男子と口喧嘩をしていた。けど梨穂子は特別体が大きいわけでもなかったから、例えば拳を振り上げられれば、それでお仕舞い。
 気の強い梨穂子にはそれが我慢ができなかったんだろう。公園の端っこにやってきて、隣のブランコに後ろ向きに座る。そしてちょっとだけ泣いてひとしきり文句を言ったら、悪いことは全部終わったとばかりにブランコを飛び降りて、こっちを振り向くときはまぶしいくらいの笑顔で、それでまた友達のところにかけ戻っていく。まるで夏の夕立のように突然激しく訪れて、カラリと上がってしまうともう雨の欠片も見いだせない、そんな感じ。そうしてやっぱり俺の『秘密』の内側にそっと仕舞われた。
 他の子には強くて生意気な女子と思われていたようで、怒ったり泣いたりする姿を友達には見せなかった。俺にだって直接は。けどそんな梨穂子を知っているのも、俺だけだったと思う。

 思い返してみても、俺と梨穂子の関係はそれだけなんだ。
 梨穂子は困っていることは全部自分自身で解決していた。ほんの僅かのどうしようもない時だけ俺の隣で色々と文句を言う。きっとあの楓の木にしていたのと同じように。まるで王様の耳はロバの耳みたいに。
 俺もただ、楓の木と同じように梨穂子の話を隣で聞いているだけで、だから俺がなにかの解決に役に立っているわけじゃ全然なかった。でも怒ったり泣いたりする梨穂子を知っているのは俺だけで、そう思うと梨穂子はどこか特別な存在だった。
 けれども梨穂子のほうもそう思っていたわけじゃないだろう。俺は他に喋る友達もいなかったし、だから『秘密』を丸めて捨てるには丁度よかったんだ。
 俺の中にはそんな梨穂子の『秘密』が少しづつ堆積して、いつのまにか心は梨穂子のことで占められていた。

 俺と梨穂子は小中学校の学区が同じだった。そのうちの半分くらい同じクラスだったけど、学校にいる間に梨穂子と話すことはほとんどなかった。日直だとか、係だとか、話しかける必要があって話しかけてもおかしくないときだ。
 俺と梨穂子は性別が違うから、もしそれ以外の用事で親しく話しかけでもしたら揶揄われるだけだろうし、それでよかった。けれど放課後、帰り道でたまに会った。
 会って何をするというわけでもない。
 俺はずっと帰宅部で、授業が終わってしばらくしたら、毎日だいたい同じルートで寄り道しながらゆっくり家に帰る。それが俺の日常。
「今帰り?」
「ああ」
 ばったりと本屋の前で会った梨穂子は、つまらなさそうに唇を尖らせている。時々梨穂子が話しかけてくることを少しだけ期待して
「暇?」
「暇といえば暇。何かあった?」
「この間3組の子がさ、廊下でね」
「うん」

 話したいことがある時、梨穂子は帰り道で俺を捕まえた。それであの公園でブランコに座って文句を聞いたりコンビニで買い食いをしたり、ごくたまにそのままどこかに遊びに行くこともあった。
 でもそれだけだ。頻度もそんなに多くなかった。ごくたまに。でもそれだけで、俺は梨穂子が好きで、満足だった。
 一緒に行ったところはだいたい覚えている。
 雪の降り初めの白い公園に足跡をつける梨穂子。
 すっかり日が落ちるのが早くなってオレンジ色の中に浮かぶ影法師みたいに分かれ道で手を振る梨穂子。
 熱い夏にかき氷を食べに行こうと遠出して結局帰りも汗だくになったことに不満を漏らす梨穂子。

 梨穂子。好きだ。
 これでいい。このままで。
 たまに話して、たまにどこかに一緒にいって。『幼馴染』っていう名前のついた、どうとでも言い訳ができて、だからこそ気軽な、そんな微妙な関係性。それ以上でもそれ以下でもなく。
 それでいい。それでいいと思ってた。梨穂子の人生にちょっとだけ引っかかっていれば、それで。俺の中の『秘密』という言葉が俺にそう囁く。俺が『秘密』を保管するから、この関係は細々と続いているんだ。
 そもそも梨穂子が俺を好きになるとは思えなかった。俺はただ隣にいるだけで何の役にもたっていない。思い返してもアドバイスの1つもしていない。俺は『秘密』を保管するだけで、自分から何かのアクションを起こしてこの関係が壊れるのが怖かった。もし壊れてしまったら。そう思うと何もできなくなる。

 高校生になって梨穂子はなんだか、随分かわいくなった。だから梨穂子がそのうち誰かを好きになって、その誰かと付き合うんだろうなと思ってて、それはきっと俺じゃない。でも仕方がないと思ってた。
 それでも将来何かあったときに、もし俺を思い出してくれて、それで文句を言いに来て、それでまた去っていってくれればいい。俺の存在が梨穂子の中で意味がなければないほど、きっと意味なく話しかけてくれそうな、そんなことを期待してた。玄関においた写真をたまにふと見るような。『幼馴染』っていう微妙な関係が梨穂子の記憶に小さく引っかかっていればそれで。
 そう思ってた。
 けれどもそれは随分先細りなことも、いつのまにか感じていた。直視したくはなかったんだ。

 鈴原とは何度か同じクラスになった。
 バスケ部で、面倒見のいい明るい奴だ。悪い噂もない。
 鈴原に告白されたと聞いた時、ついに来た、と思った。でも思っていた以上に衝撃で視界がぼやけ、いずれ来るその告白を覚悟はしていたはずなのに、心がバラバラに砕けたみたいだ。
 いつか梨穂子が付き合う誰かが酷いやつじゃなければ祝福しようと思ってた。でも、やっぱり、痛い。凄く痛い。心臓に包丁がささったように胸が痛い。
 でも。鈴原か。鈴原はいいやつだ。だから、用意していた言葉をなんとか返した。ぎこちなかったかもしれないけど。梨穂子を否定はしたくなかった。俺に話したってことは多分付き合いたいってことだろう。俺はいつもただ、聞いているだけだったから。でもその後、何を話したのかさっぱり覚えていない。多分いつもどおり、分かれ道で別れた。いつもどおり。きっと。

 それから梨穂子に会うことはなくなった。
 きっと鈴原と付き合うことにしたんだろう。舌がざらざらする。まるで砂が詰まっているようで。心臓のあたりが冷たい。寝てる間に包丁が刺さった心臓を誰かが機械に置き換えたみたいに。
 そう、機械みたいに毎日は過ぎていった。俺の毎日は変わらなかった。いつもと同じ道をゆっくり帰る。違いは梨穂子に会わないことだけ。
 そういえばこの本屋で雑誌を手に取ろうとしたとき梨穂子に話しかけられたっけ。ふいに梨穂子の姿が頭にちらつく。少し先のカフェで一緒にケーキを食べた。全部、覚えている。全部。いろんな梨穂子を思い出す。いつものように。俺の1日は変わらない。梨穂子と通った道を通って家に帰る。梨穂子を思い出しながら。
 何故こんなに思い出す? 現実ではもう取り返しがつかないみたいに、走馬燈みたいだ。
 けど多分、あれでよかった。俺と梨穂子は『幼馴染』だ。いつか、そのうち、また話をする可能性。それがあればいい。そのうち鈴原と別れたらまた同じ関係に戻れるかもしれない。不謹慎にもそんなことも少しよぎる。けれど別れなかったら。別れなかったら俺はずっと梨穂子に会えない。
 やっぱり、そのことは考えたくない。
 けれども結局遅かれ早かれの話で、いずれ梨穂子は誰かと付き合う。俺は梨穂子に似合わない。たまに隣を歩ければそれで十分で、それでよかったのに。それで満足していたのに。そしてそれは永遠に失ってしまったのかもしれない。心臓が重い。冷たい機械になって感情を送り出すことを止めたとしても、それが酷く重たいことには変わりない。
 鈴原はいいやつだ。俺の知らないやつよりよほどいい。鈴原なら祝福できる。祝福、か。祝福とは何だろう。それは俺の手を離れて、梨穂子のところに届いたのだろうか。それは最早わからない。そうやって納得しようとしても、全てはただ、過ぎ去った。
 教室から窓を眺めると、冷たい雨が降っていた。

 この間、繁華街まで出かけたときに梨穂子と鈴原を見かけたんだ。仲がよさそうだった。幸せそうでよかった。でも視界がまた少し滲んだ。
 二人は30メートルくらい先の交差点の対角線上にいた。信号が変わった。梨穂子たちは俺に気づかず横断歩道を渡り、そのまま俺の向かいを通り過ぎていった。
 俺は梨穂子が幸せなのがいいと思っている。心から。
 けど俺は相変わらず梨穂子が好きで、だから梨穂子が他のやつと付き合うのは悲しい。でも結局、梨穂子が俺と付き合うことはない。なら、梨穂子はいい人と付き合って、俺は『幼馴染』のままがいい。
 そのうちまた、ずっと先の未来かも知れないけど、また話ができるかも知れない。最近梨穂子と話してないけど、もともとそんな頻繁に話す仲でもなかった。
 後悔?
 後悔なんてなかった。
 俺は後悔することもできないほど、何もできなかった臆病者だ。
 賑やかな音楽が聞こえてふと目を上げた。世界がハートに満ちていた。
 もうすぐバレンタイン。
 梨穂子は毎年俺にチョコをくれて、俺は毎年ホワイトデーに小さなビスケットを返した。小学校の頃からなんとなく続いている習慣。
 ああ、けれどももう遅い。本当はもう知っている。何もしないまま、全部終わってしまった。後悔しても遅すぎるんだ。雨はすっかり上がってしまって、残された水たまりみたいに乾いて消滅するのをまっている、だけ。
 それでもまだ、結局のところ俺はチョコレートに期待してる。梨穂子がくれるのはいつもハーシーズの板チョコ。この雑貨店で売っているやつだ。手に取る。
 今年はない。梨穂子は鈴原にチョコを送る。でも梨穂子はなんだかんだいい奴だから、ひょっとしたら去年と同じように用意してくれるかもしれない。それなら、断ろうと思った。
 486円。今年は自分で買うのも悪くない。そうやって喪失を思い出す。

2.晴れる前まで差していた傘

 智司は多分、私の幼馴染。多分っていうのは、よくわからないから。
 智司は幼稚園のとき、近所の公園にいた。だいたいブランコのところに。いつからだろう。困ったことがあれば智司に文句を言いに行くようになった。なんで智司に文句を言いにいっていたのかはよくわからない。関係ないのにね。でもずっと、そんな関係だったんだ。
 初めて会った頃の智司は私より小さくてなんだか頼りなかった。けれども私の話を聞いてくれたから、好き勝手言っちゃったんだと思う。智司は静かに聞いてくれた。いつも私の隣でブランコで揺られながら。
 何故だろう。
 むしろウザいよね、私。
 智司と一緒に遊ぶこともなかったし。そう、全然遊ばなかった。智司にただ文句を言うだけ言って、その後他の友達と遊んだ。何か嫌なことがあれば智司にぶつけていた。それだけ。今思うと結構ひどい。
 けれど智司はずっと私の話を聞いていてくれたんだ。智司には全然関係ない話を。

 何かおかしいなと思ったのは小学校4年生くらいの時だった。そのころに智司は私の身長を追い越した。
 いつもどおり放課後にグラウンドを追いかけて捕まえた時、真正面の低いところにあった太陽が智司の背中を照らしてた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「……ううん、なんでも無い」
 その時はとっさにそう言った。けどなんだか、とても印象に残ったんだ。その、私が捕まえた時、太陽は智司の頭の影に入ってたから太陽が見えなくなった。これまでそんなことはなかった。どうしてだろうと思って、私の全身が智司の影に入っちゃっていることに気がついた。多分既に、5センチくらい智司は私より大きかったんだ。
 あれ? 智司ってこんなに大きかったっけ。そのとき智司を見上げて。そう、見上げたんだ。なんとなくちょっと違う人に思えて、少し怖かった。
 でも智司はいつもどおり『どうしたの』って聞いてくれた。だから、私は智司の影を抜け出して隣を歩いた。いつもは智司の少し先を歩いてたけど、なんとなく隣を歩いた。でもなんとなく、やっぱり私は智司を見上げていた。少しだけ。
 その時に何の文句を言おうと思っていたのかもう覚えてない。何か話しかけたと思ったけど多分ぎこちなくて、やっぱりよく思い出せない。
 智司はいつもと同じように私の話を聞いてくれて、いつもの分かれ道でじゃあね、といって別れた。

 その頃、智司は同じクラスだった。
 あの夕暮れをきっかけに、私はふとした瞬間に智司を目で追うようになった。私が知ってる智司のままのところと、私が気づかなかった智司のところ。
 智司は友達がほとんどいなかった。話をする人が全然いないわけじゃないけど、お昼ごはんはいつも1人で食べて、放課後はうろうろと1人で帰ってた。私が声を掛ける時以外はいつも1人。本当に誰もいない。
 なんでだろ。一人でいるのが好きなのかな。ひょっとして声をかけるのは迷惑だったのかも。今までなんとも思わなかったことが急に気が咎めるようになった。後ろをついて歩くと、本屋の前で雑誌を手に取ろうとしてる智司と目があう。
「帰り?」
「うん、そう、智司は」
「俺も帰り」
「買うの?」
「見てただけ」
 そんな特に意味のない会話に智司は雑誌をそっと棚に戻して、肩に鞄をかけ直す。私が智司と目が合った時、その本はまだ開かれてもいなかった。なんだか邪魔したみたいでやっぱり少し気が咎めた。

「どうしたの?」
「なんでもない」
「そう」
 話はそれだけ。いつもなら私が何かの文句を言ってるタイミング。けれどもなんとなく、今までみたいに一方的に文句を言う、そんな気分にはなれなくなっていた。だからただ、無言で並んで歩く。でも今は特に文句はないの。だから無言。
「大丈夫?」
「うん」
 智司は声をかけてくれる。もうすぐいつもの分かれ道。今日は何も話さなかった。よく考えると話しているのはいつも私ばかり。ただ、並んで歩いているだけで、妙に気が焦る。そういえば私は智司のことは何も知らない。
「智司はなんか好きなものないの?」
「好きなもの?」
 智司は遠くの灰色の雲を眺めて歩きながら腕を組む。頭が少し傾いている。こんな癖があったんだ。
「たけのこ党かな」
「私も」
「仲間だね」
「うん」
 なんてこともない会話。意味のない会話。
 それだけ話して、その日も別れた。背中をなんとなく見送っていると、いつしか世界は暗くなって、夜の切れ端が訪れた。
 智司はいつも私の文句をちょっと困ったような優しい感じで微笑んで聞いてくれる。迷惑なのかな。でも智司とはなにか特別な関係だった。これは『幼馴染』? 一緒に遊んだこともないくせに。
 ……私たちの間には私の文句しか、話題がなかった。そのことが急に、身に染みた。

 それで智司は中3の頃から急に身長が伸びた。
 今は180センチくらいある。足も結構大きい。メガネをかけるようになった。本を読む時カバーをかけてる。鞄は背中に引っ掛けるように持ていて、それから、ひょっとしたら結構かっこいいのかもしれない。ぼんやり見ているとなんだか変な気持ちになって、目が合うと何だか心臓が鳴る音がいつもより大きく聞こえた。
 高校は別々になった。同じ高校を受けたことを受験の当日に知った。でも智司は受かって私は落ちて。でも近くの高校だったから同じように帰り道によく会った。
 智司はやっぱりいつも1人で、本屋とかカフェを眺めながらふらふら帰っていた。そんな智司とたまに目があって、でもなんとなく言う文句も既になくて、無言で一緒に歩いた。たまに無理に誘っても文句も言わずに智司はただついてきた。ちょっと困った顔で微笑んで。

 私は智司のことが好きなのかな。
 そう思ったことも確かにあった。
 でもどうみても智司に私を好きな様子はない。いつも話しかけるのは私で、道すがら智司の隣を通り過ぎても、智司から話しかけられることはない。
 この関係はこれまでと同じようにきっとずっと変わらない。私は智司にとって『幼馴染』なんだろう。だからきっと、智司が私を好きになることもない。そう思えば、まるで夜になったような気分。真っ暗な、夜。
 ある日、私は鈴原君に告白された。中学のときに同じクラスだった人だ。
 よく知らない人だけど友達の評判はよくて、試しに付き合ってみたらっていわれた。でも私は鈴原君が好きなわけじゃない。だって私が好きなのは。
 ……だから、付き合わないのに。
 だから久しぶりに智司に文句を言った。でも智司はいつもどおりちょっと困った顔で微笑んで。『そう』といういつもの返事に一言付け加えた。
「そう。鈴原はいい奴だから、悪くないんじゃないかな」
 それで私は気がついた。私はいつも文句ばかり言って、智司の意見を尋ねたこともなかったことを。『どうしよう』って智司に尋ねたのは多分初めてだった。私はこれまで本当に一方的で、智司の意見を聞いたことなんてなかった。

 その返事で、私は智司が好きだったことを自覚した。そうして智司が私のことを特別に好きじゃないってこともわかってしまった。
 最初、智司が何を言ってるのかわからなかった。私は多分、智司に『好きなの?』って聞かれて違うって返事して、『好きじゃないならやめれば』っていう、そんな普通の流れを期待していた。
 その次に、なんでそんなこと言うの、と思った。それで私は智司に止めて欲しかったんだっていうことに気がついた。気がついた時には遅かった。
 智司のその返答は明確な拒絶で、私は智司にとって恋愛対象じゃなくてただの『幼馴染』で。これまで私に優しく微笑んでくれたのは私が単に『幼馴染』だったからで、きっと智司は誰にでも優しくて、私は特別じゃなかった。
 急に私に向けられていたその優しさが全部嘘だったみたいに感じて、なんだか勝手に裏切られたような気がして、急に寂しくなって、寂しさが溢れて、気がついたら思わず声が出ていた。

「なんで」

 そこからは何を話したのかわからない。
 智司は何も悪くない。でも私は智司にどんな顔して会っていいのかわからなくて、帰宅ルートを変えた。そうすると智司に会うことはなくなった。一度も。
 そう。智司はいつも同じ道を歩いていて、私が一方的に絡んでいただけだったんだ。そのことがわかった。だって智司に合わなくなったから。私が智司を追いかけていた。どうして今更わかったんだろう。どうして智司に相談したんだろう。もう私から智司に告白することもできない。
 鈴原君はいい奴、か。私はなんだか投げやりになって、いつの間にか鈴原君と試しに付き合うことになっていた。

 鈴原君は多少強引なところもあるけどいい人だ。強引といっても良かれと思ってやることで、基本は紳士的だから問題はない。問題は、ない。
 智司と違ってこうしたら、とか意見も言ってくれる。でも私は結構気が強い方で、喧嘩になることも多くて。でもわりとすぐ仲直りできた。私は鈴原君のことをちょっといいな、と思い始めていた。悪くはない。人気者。
 智司ならそもそも喧嘩にならない。そもそも意見を言わない。でもいつも私の話をだまって聞いてくれた。そんな安心感があって。たぶん今も恋愛相談したら聞いてくれると思う。でもつまり、それだけの関係。『幼馴染』。2人は幼馴染っていう糸で繋がっていて、私の手元から真ん中までが赤い。真ん中から智司に繋がる方は白い。

 智司が好きだった。
 そのことを全てが終わった後に気がついた。そもそも始まってもいなかったけど。あのままの関係をずっと続けていけば付き合ったりしてたのかな。ううん、多分それはない。きっとずっとあのままだ。だから結局、どうしようもなかった。そう、最初から。
 心が痛い。なんだか焼けて燃えるように痛い。
 なんとなく、私の中で智司の存在がだんだん薄くなっていっている。最初からいなかったみたいに。全部燃やしきって燃えカスになってしまったのかも。でも、鈴原君と話をしているとき、いつも智司の顔がチラついた。少し困ったみたいな小さい笑顔。
 そういえばいつもそんな表情をしていた気がする。少しだけ困った、優しい顔。
 もうすぐバレンタイン。
 鈴原君には初めての手作りチョコに挑戦する予定。
 私はこれまで智司以外にチョコを送ったことはない。小2くらいの時にバレンタインというイベントを知って、チロルチョコを1個智司にあげた。『ありがとう』と喜んでくれた。ホワイトデーにはビスコをもらった。
 その交換がなんか面白くて、それから惰性で毎年贈った。最近は毎年ハーシーズのチョコ。500円くらいの奴。世間一般では義理チョコど真ん中の価格帯、むしろ安いかも。
 でも智司は毎年『ありがとう』と受け取って、ホワイトデーには同じくらいの値段のビスケットをくれた。

 それはやっぱり、ただの価値の等価交換。
 私が送って、きっちり同じものを返す。お互いの手元はプラマイゼロで、智司には何も残らない。そういう関係。
 今年はどうしたらいいんだろう。私と鈴原君が付き合っていることを智司は知っている。前に鈴原君とデートしてる時に目が合った。距離があったし鈴原君がいたからわざわざ挨拶したりはしなかったけど。
 距離。そう、距離感。智司と私の距離感。
 これは昔からなのかな。
 違う、物理的には、あの時私が開けた距離感。でも心理的には、もともとどのくらい開いていたんだろう。わからない。
 智司が隣にいるのが普通だと思ってた。智司はやっぱり私にとって特別で。……でも恋愛じゃない。智司にとって私は従妹とかそういう関係だったのかな。それなら、これまでのことに納得できる気がする。
 智司にチョコをあげたい。何かを押し付けたい。そうでなければ私は智司に何も残すことがないんだ。
 初めてそう思った。好きだから。でもそれは智司が好きとかいう以前に、このままだと智司との関係が全部なくなってしまうような、そんな気がして怖かったから。
 私が帰り道を変えて距離を空けた。でも智司から近づいてくることはなかった。だからずっとこのまま。それがわかってしまった。
 私は何がしたいんだ。よくわからない。でも私にとって智司は大切な人だった。始まる前に終わっていた恋でも。だから最後に少しだけ距離を戻してみて、拒絶されたら仕方がない、そう思った。

3.空には見えない虹がかかっているのかもしれない

 バレンタインの当日は薄く曇っていた。
 目の前に差し出されたのはハーシーズのチョコだった。いつもと同じ。
 帰り道に梨穂子に声をかけられた。久しぶりでちょっとびっくりした。でもよかった、『幼馴染』は続いていた。そのことに涙が出そうになった。
「鈴原には?」
「これから待ち合わせ、でもその前に」
「そう、でも」
 嬉しいけどもらうわけにはいかない。彼氏以外にチョコをあげたら駄目だと思う。だから断ろうと思った。でも言葉が出なかった。よく考えるとその一言は拒絶の言葉だったから。

『もらえない』。
 口のなかがカラカラに乾いて、その言葉がでない。俺はこれまで梨穂子に何かを伝えたことがない。それで関係が変化するのが怖かったから。
 俺は梨穂子に一方的に『幼馴染』をもらっていた。それでよくて、十分だった。本当に。でもここで拒絶したら、もう梨穂子のギリギリから転げ落ちてしまう。そんな恐怖。それは、嫌だ。どうしたら。好きだ。でも。
 俺は何も言わずにそっとチョコを押し返した。その瞬間、口から逃げた水分はいつの間にか目から零れ落ちた。
「智司?」
「ありがとう。気持ちだけもらうから」
 それが精一杯だった。
 菜穂子が少し驚いた顔で俺を見ている。
 ごめん。俺は苦しすぎて、もう息をすることすら困難で、逃げた。ただ、逃げた。まるで死にかけた金魚が水面に向かって浮かぶように。
 そんなつもりはなかったのに。結局これじゃ『幼馴染』も終わってしまったじゃないか。何て馬鹿なんだ。俺は全部を失ってしまったんだ。畜生。それなら。一層のこと、せめて、好きだと言えばよかった。
 でもきっと、それはものすごく迷惑なことだろう。だって、菜穂子は鈴原とつきあってる。だからこれでいい。
 走る足は泥のように重かった。逃げて逃げて、逃げた先は小さい頃に遊んだ公園だった。

 その智司が逃げる背中を私は呆然と目で追っていた。見間違いじゃないよね。智司はいつもみたいにちょっとだけ困った顔をして、唇をかみしめていた。でもちらりとだけ目の端っこが光った。
 その瞬間、ふわりと、智司が好きなのは私なんだと気づいた。何故かそう、はっきりわかった。
 多分、私たちは最初に会った時からお互いが好きだったんだ。赤い糸を握り合ってて、丁度真ん中だけ何故か白かったんだ。なんで今までわかんなかったんだろう。でも今、その糸が切れかけている。ヤバい。心の底が何かを叫んでる。これがきっと、本当の最期の機会。
 だから急いで追いかけて捕まえた。必死に。
 いつも私が捕まえてるから、捕まえるのは得意。
 けれども後ろから捕まえたその背中は固く硬直していた。
「捕まえた。何で逃げたの」
「逃げた、わけじゃ」
「今まで逃げたことなんかなかったくせに」
「何でこんな事をする。早く鈴原の所に行けよ」
「智司は私が好きなんでしょう?」
 その瞬間、智司の体はビクリとゆれて、ドクンと暖かい鼓動が響いた。
「お前は鈴原が好きなんだろう?」
「違う」
 私の気持ち?
 500円のチョコにつめた気持ち。本当は智司が好きだった。手作りの高い材料で作ったチョコよりたくさん入っていた私の気持ち。
 好き。
 智司は公園の前の楓の木の前で立っていた。そうして私は思い出した。何故忘れていたんだろう。ここが私が智司と初めてあった場所だ。だからここからやり直さないといけないんだ。
「智司。私は智司が好き。ずっと好きだった。なんで気が付かなかったんだろう。ずっと一緒にいたのに」
「一緒?」

 最初、背中から抱きしめられたとき、きっと夢だと思った。
 なんで突然。そう思った。 
「智司は本当は私が好きなんでしょう?」
 その言葉の先は、それまでの俺にとって開けてはいけないものだった。ずっと心の奥につもり続けたぐちゃぐちゃの感情は『秘密』に押し込めてきた。それはもう決壊しそうで、そして実際目の端っこから少し決壊していたものだ。
 振り返れば梨穂子の瞳は俺をじっと睨みつけていた。『秘密』の返却を求めるように。そしてその視線が『秘密』の鍵のようにガチャリと音をたて、僕の機械の心臓が外れ落ちたのを感じた。
「梨穂子。俺は何もしなかった」
「知ってる。でも、私を好きなんでしょう?」
「……好きだ」
「私も好き。多分最初に会ったときから。だから最初から始めましょう」

Fin
この話は確か何かのリクエストで書いた気がする。
改めてみると陰キャのストーカーと勘違い女があって僕の好みじゃ全然ないんだけどなぁ。
もともとは1,2章も主格がごちゃごちゃだったんだけど今回まとめ直した分、最終章はごちゃごちゃすぎる気がするけどマアイイカって感じ。
あと、これBLVerがあってそっちのほうがなんとなくエモい。

時間があったら書き直す↓。

★似た話

似た感じで初々しいやつ。

★短編小説のマガジン

#小説 #短編小説 #ショートショート #私の作品紹介 #創作記録 


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