小説の資料+9 アルチンボルドと視覚の誤作動
[HL:よく見間違いってあるけれど、なんで間違えてるのかってこと]
全体目次はこちら。
年末年始は忙しいので、早め更新。
1.お品書き
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
本話は主に別所で書いている学園ホラーの関連資料です。そのうち児童向けに書き換えて持ってくる予定、多分。話の中にアルチンボルト(画家)の話がでてくるので、人はどのように誤認識するかという話。本編はホラーだけど、この辺を認識したうえで推理ものを書くと書き口が鮮やかになるのではないかという研究です。
このエッセイは小説を書くのにあたって、色々調べたところをブッパするお気楽エッセイです。にわかなので間違いが見込めますので、発見された方はお気軽にご指摘くださいませ。
2.騙し絵の騙すもの―脳編
だまし絵というと何が思い浮かぶでしょう?
自分がまず思い浮かぶのはエッシャーです。だまし絵界でトップクラスに有名な画家ですね。
エッシャーが用いるのは幾何学図形、つまり直線や曲線で構成された構造的な図形であるけれど、そのうち不可能図形である。
不可能図形はその名の通り、現実世界では成立が不可能な図形です。
登ってるのにいつの間にか元に戻ってる階段(ペンローズの階段)や、三角形の影が交差してメビウスの輪みたいになったやつ(ペンローズの三角形)という、シンプルながらもありえない存在といえば、思い浮かぶでしょうか。

noteは画像がはれてよい。
エッシャーはこのように、どちらかといえば工学や幾何学的な視点の面白さがあります。
なおこの幾何学的な錯視をリアルで再現しようという試みは昔からあり、これらの不可能図形は、一つの固定された場所からみるのでよければ再現は可能です。様々なパーツを複層的に組み合わせ、ある特定の場所から見るときだけ、あたかも不可能図形が現実空間に再現できているように見せることはできる。錯視関係の美術展ではよく企画されているけど、リアルで見るとものすごく不思議な感じがして楽しい。
「不可能図形 再現」で検索すれば結構でてきますが、3Dで見ると混乱します。杉原厚吉先生が錯視の立体工作の本を出していて、結構簡単に作れるので、興味があるなら面白いです。
錯視・錯聴コンテストも毎年興味深い。
昔、東京の淡路町で錯覚美術館てのを明治大学がやってて、結構面白かったからまた復活しないかな。URLのリンクは問題があれば削除しますのでご連絡ください。
閑話休題。
さて、エッシャーの絵がどのように人を騙しているのか。
人の脳には情報を補完する能力があります。エッシャーの絵は不可能にもかかわらず、過去に見た景色や記憶から脳が誤作動をおこし、不可能な立体を脳内で画像処理し、つまり脳の高度な計算処理によって、自動であたかもありえない風景がありえるかのように見えるものです。
ここには心の動きはほとんど介在しません。だから、後に述べるようにエッシャーの絵(立体ではない)からはある種の『気持ち悪さ』というものはあまり感じないのかもしれません。
推理ものでつかうとすると、特定の地点でみた人は偶然か必然かはともかく、他の人間とことなるものが見えてそれをアリバイや誤認に使えそうだと思う。
3.騙し絵の騙すもの―心編
錯視といえばもう一つ有名なのは、一つの絵で二つの見方ができるもの。
例えば女の人にもおばあさんの横顔にも見える絵、とか、ドクロにも月にも見える絵、とかの類型があるけど、一番有名な気がする「ルビンの壺」の話をする。
これは「壺」と「二人の人物が向かい合っている様子」に見える絵です。

エッシャーは前述の通り、工学とか幾何学的な視点の面白い錯視ですが、ルビンの壺は認知心理学の観点から心理学者が作ったものです。
ルビンの壺は心理的要素が働いています。図地反転図形といいますが、壺と顔のどちらかを図(内容)と認識すると、自動的に他方が地(背景)と認識されるために図と認識した方が浮かび上がり、意図的に認識を切り替えないと反転しないという性質がある。つまり選択的に見るものを選んでいる。ですから壺と人の顔を同時に見ることはできません。
初見でどちらを見るかは、見たいものを見る心理が働いてる気もします。
少し話は飛びますが、確証バイアスについて。
確証バイアスとは、簡単に言うと、人は見たいものを見る。仮説等を検証する場合、支持する情報ばかりを集めて反する情報を無視または集めようとしない傾向を指します。たとえば、「これはこうだ」と思い込んで物を見ると、その見方が優先されて反対の考えに基づくものは見えづらくなる。
幽霊見たり枯れ尾花などもその例でしょうか。
肝試しにいくと幽霊がいると思ってる人は何でも幽霊に見えて、幽霊を信じてない人には枯れ木にしかみえない。本当はどちらかはおいといて。
小説に使う場合は、あらかじめどちらかに見えるように情報を大量に与えておく、等の誘導に使える気がします。ただしキャラによって物の見え方が異なるだろうし(幽霊絶対いる主義といない主義とか)、想定内のトリックや想定外の破綻に使えそうです。
4.騙し絵の騙すもの―学習編
ところで今回のテーマのアルチンボルドは、写実的な野菜や動物の絵を組み合わせて人の形等に見えるように書いた画家です。横顔が多いかな。
元々は歌川国芳で例える予定でした。歌川国芳も沢山の人を集めて人の顔を描いた人で、有名なのは怒った顔の人の絵を上下ひっくり返すと泣いてる顔に見えるやつかも。アルチンボルトのほうがメジャーな気がした。
では野菜の塊がなぜ人の顔に見えるのか。
ここからは昔読んだ本の記憶でうろ覚えのところがあるので、間違いがあれば指摘してもらえると嬉しいです。
人が人を見る時、まず第一段階に顔を構成するパーツの存在、目と口の有無で人の顔がどうかを自動的に認識します。その後、第二段階にパーツの配置を記憶と照らして誰の顔かを判別するそうです。
第一段階目について。
シュミラクラ現象。点が三つあれば人の顔に見えるってやつ。
(∵)?
天井のシミがおばけにみえる。この作用は相対するものの脅威を判別するため、本能的に脳に仕込まれたものとだそうです。この段階は相貌失認(人の顔の判別ができない疾病)の方でも効果が働くそうです。僕の話では相貌失認よくでてくる。
二段階目について。
顔のパーツ配置で個人を見分ける。
学習の結果、後天的に身に着けるもので、この精度は人によって結構違う。「よく似てる人」の範囲が人によって違うのは、どのパーツを中心に見ているかや、どの精度で見分けてるかにもよるのかな。
ところで、無作為なパターンに意味を見出す現象は、視覚に限らずよくある現象。例えば三回連続でルーレットで赤が出たら次は赤か黒か迷う。しかしディーラーがいかさまをしてない限り、考えるまでもなく確率は半々。
こういう物事に意味を与えようとする現象はアポフェニアと呼ばれる。
で、それが視覚等に影響を及ぼすものに、パレイドリア現象がある。シュミラクラ現象が一段階目に働くとすれば、これは二段階目に働く効果。
木や雲、石等の模様が人や動物の顔に見える現象です。
これはさきほどのルビンの壺の図地反転図形とは違い、木や雲であると認識した上で人や動物に見えます。
人というのは案外ざっくりものを見ている。全部のものをいつも注視して脳内に形作るとすごく疲れるから、記憶の中の似たパターンに置き換えて自動で再現しているそうです。けれども現実とは異なるパターン持ってきた場合、これ違うだろ、みたいに脳の認知機能に混乱が発生して……気になる。
けれど「これ違うだろ」があるから、全体としては木や雲である事も同時に認識する。人の顔に見えても木や雲だというのは理解できるから、面白いと思っても特に気持ち悪くはならない。
それに木や雲ははっきりその物として認識できるから、心理的にも「ああなんかエラー出てんな」とで納得しやすいんじゃいかと思います。あと、「これは見間違いだ」って知識とかでも補完できる気がする。
では、例えば人の顔に見える木が苦しそうに見えたりしたらどうか。
惑わされてはいけません。それはパレイドリア効果にバイアスが加わっただけで、ただの木です。
でもその木の顔が苦悶に満ちている、ように見えるなら、そこに意味を見つけ出そうとする心理の動きによって、気持ち悪さが生じるのではないかと思います。
先の認知バイアスよろしく、その辺で人が死んだという情報、祟られるかもしれないという感情、幽霊を見たいという思考があれば、様々なフィルタやバイアスが影響し、より意味を見つけやすいかもしれない。
人が物を見るとき、知識や価値観、感情等の複数のフィルターで評価されたうえで結果を認識する。そのため、同じものを見ていても人によって見え方が違う。だから、同時に複数人が何かを見ても、見え方が違ってもおかしくない。この辺は心理トリックに使いやすい。
もし書いているものがホラーなら、本当に呪いの力かもしれない。
この場合、木は苦しく見えても苦しくなく見えても、呪いがかかっているときはかかっているだろうし、木の見え方に関係ないかもしれない。むしろ普通にしか見えないのに呪いがかかっている木の方が恐ろしいような気はする。
呪いにかかる時は視覚から刺さるという話も聞くので、ホラーでいくならよりその資格情報を鮮明に記した方がよい、気はする。
ジャンルの話で絶対に注意すべきこと。
ホラーやファンタジーに見えたのが実はSF・推理だったというのはありだが、この反対は絶対にしてはいけない。SF・推理勢は考察を前提として本を読むので、この行為を台無しにしてはいけないのだ。昔SFだと思ったらファンタジーで大コケした大御所がいて……。誰とはいわないが有名な話。
5.アルチンボルトの絵の気持ち悪さについての考察
ここからはアルチンボルトの絵は何故気持ち悪いのか、についての根拠があるものではない僕の妄言です(Thinking Timeのコーナーみ)。
絵という媒体は「見る側の受け取り方の自由さ」がある。
さすがに「山の絵」を見て「きれいな海ですね」っていうのはどうかと思うけれど、女の人の絵を見て「楽しそうですね」というのと「悲しそうですね」っていうのは両立する。そういう自由が元来与えられてる。大ドイツ芸術展の公認芸術とかは別として。
アルチンボルドの野菜でできた人の顔の絵を仮にリアルで机の上に並べて人の顔にみえるようにしたとしても、それほど気持ち悪さは乏しい。結局これ野菜で、がんばってみれば人に見えるかもしれないとで納得できるから。そもそもアルチンボルド 、わざと遠近感潰してますよね。
けれどもアルチンボルドの絵は絵で、絵は紙だから、「野菜自体が存在する」方向で頭は納得できない。けれどもそこに描かれた野菜は極めて写実的で、個別パーツは野菜以外に見えようがない。けれども脳は自動で全体を「人の顔」に変換する。ここに書かれているのは野菜なのか顔なのかというせめぎ合いが気持ち悪さを生んでいるのではないか。私の脳内でも絵の見方は自由という前提の上で、どちらかに確定できるわけじゃないというバイアスが働いている、気がする。
だから強く人の顔だと思えば違和感が減って感じる、気がする。
アルチンボルドの絵のなかでも野菜を描いた絵だと、目のパーツを認識しやすくて、だまし絵だなって思えて知識的にも視覚的にも誘導されやすいからいいんだけど、個別に「目」を持つ動物を組み合わせた『大地』とかはなんていうか、自分的にすごく気持ち悪い。
アルチンボルド に「庭師/野菜」という絵がある。一つの見方では野菜でできた人の顔に見え、逆さにするとポッドに入った野菜にしか見えない。野菜verは野菜にしか見えないからすごく安心できる。野菜verだと違和感は全然ないから、パレイドリア現象のいい例だと言われる。人verは脳がかなり無理してるんだろうな、と思う。
アルチンボルドの絵は詳細すぎて、デフォルメとかで何かの比喩と思おうとか誤魔化すのもきつい。部屋に飾ってたら心理的にマイナスの影響が出そうな気がする。
そんなアルチンボルドですが、結構シリーズで描いています。
アルチンボルドは1500年代のイタリアの画家ですが、その絵は王様にも進呈されるほど人気がありました。絵の奇抜さもあるけれど、博物学的な価値も高かった。
アルチンボルドの生きた時代は大航海時代。世界は広がり、様々な文物が持ち込まれた。けれども植物や生き物は保存ができないから、アルチンボルドが詳細に描いたものは学術的にも価値が高かったようです。
当時は「驚異の部屋」、いわゆるヴンダーカンマーという珍品奇品を集めることが流行していた。これが近年の博物館の前身にもなったといわれている。
6.おわり
どうやって人をだますか、は書く書かないはともかく手元では明確にしておいたほうがよい気がしている。主に矛盾をつくらないために。推理もので何が一番恐ろしいかというと根本的な矛盾で、ここを間違えると本当に修正のしようがない。だから苦手なんだけど。僕は叙述じゃなくて物理トリックがかきたいんです(今どき。
もともとの学園ホラーではある怪異が出てくるんですが、怪異に対して好意を持つにつれて強いバイアスがかかり、認識が歪んでいき、その姿が正しく認識できなくなっていく、という設定にしてあるので、主人公2人の怪異に対する見え方がだんだんズレてくる話です。もともとのVerは頓狂な話なんだけど、児童向けにソフトランディングな話にしたい。うーん自信ない。
さて、これが2024年個別記事の最終になりますね。明日はまとめ記事なので。
みなさま良いお年をお迎えください。
ではまた。
