本雑綱目 92 芝原拓自 世界史のなかの明治維新
今回は芝原拓自『世界史のなかの明治維新』です。
岩波新書黄色、ISBN-13 : 978-4004200031
NDC分類では210。歴史>日本史
前提知識必要度(幕末明治の歴史):★★☆☆☆
これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
★図書分類順索引
1.読前印象:芝原拓自 世界史のなかの明治維新
明治維新づいているけれどランダムなので仕方ない。明治期の本は相対的に多いのだ。
明治維新というと黒船来航(それより前からロシアや欧米が接触をはかっていたが)によって開港を余儀なくされたわけだが、帝国主義の拡大というより当初開国を求めた直接要因は捕鯨船の給油地の確保だったと記憶しているんだけど、世界史からの視点といえば欧米の帝国主義と植民地支配とかの切り口かしらん。
そういえば岩波黄色は日本文学古典。ケンペルやオールコックの外から見た日本についての紀行文なんかはたくさん持っているけれど、日本国内の当時の文献はあまりもってなかった気がした。日記とかがたくさん残っているのは知ってはいたのだが、無意識に敬遠してた気はしなくもない。
とりあえず開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
はじめにを読む。
二百数十年の歴史ある幕府は、黒船来航を機にわずか十年で倒壊した。西郷隆盛は大総督府参謀として徳川追討の全軍を指揮したが、明治十年、その明治政府の征討軍に包囲されて自刃した。幕府打倒の中核となった大名や武士階級自体も廃藩置県や徴兵制、秩禄処分によって倒幕から僅か九年で否定され、地租改正や殖産興業当の資本主義の諸前提が形成された。その間わずか二十年、時代の変革の激しさと速さを象徴している。その変化は日本人自らが行った変革であるが、アジアを日本を巡る国際要因の意義、つまり鎖国していた封建小国が突如欧米列強との従属的外交関係を強いられ近代工業が支配する世界市場の底辺に組み入れられたことが契機であると直視しなければならない。日本の近代化は西欧諸国と全く異なる経緯を辿っている。この本の主題は国際関係史ではなく維新によって成立した日本の性質についてである。
時間的に考えると二十年なのか。そう考えればやはり、この変動という名の新陳代謝は狂気的に早く、あっという間にすべてが塗り替えていく激動は驚異的で、その人の心の動きがとても興味深いわけです。明治楽しい、大正も別の意味で楽しい。昭和はまだ関係者が生きてるから書けない。
目次は『欧米列強と日本』、『「天皇の政府」の誕生』、『国家統一への内因と外因』、『対外自立をめざして』、『「立憲」と「国権」への軌道』。
『欧米列強と日本』、『国家統一への内因と外因』、『「立憲」と「国権」への軌道』を読みます。各章が結構長いけどまあいいか。
いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。
3.中身
『欧米列強と日本』について
―要約
大政奉還に際して慶喜の述べた二十年の失政は内外に明らかだ。松平慶永はペリー来航という外因への対外こそ一大事であり安政の大獄から桜田門外の変、そして長州征伐失敗へ至る幕府の独断専行専攻は人心を失わせ、幕府は天下の為に為政を行わねばならぬと繰り返し述べていた。しかしその時点で既に徳川は政権を維持することが不可能となっていた。岩倉具視は対外問題こそ新政府の死活問題であると述べた。新政府が対外劣勢の挽回と国威宣揚を強調したのは幕府の滅亡が反面教師となっていたからである。これらの認識と対立構造は民権運動の時代までも続く。
その外圧の正体は黒船の直接威力だけではなく中国におけるアヘン戦争にもあり、中国を叩きのめした余勢をかって日本に襲来するというハリスの情報に脅威し新政府は通商条約に調印した。また江戸末、英仏米蘭連合が長州藩の攘夷への報復に同藩の軍事施設を焼き討ちし、これを笠に着てオールコックは横浜の軍事基地建設と駐屯権を獲得した。このように軍事力を基礎とした交渉の中、幕府及び新政府は彼我の隔絶的な力の差を認識した。そして関税権を持たない日本は搾取される形態で世界市場に編入され、その経済成長が阻害されて収支赤字も含めて植民地・従属国が他の貿易構造を示し、貿易自体も外国商社によって行われた。
安価な綿織物や糖の大量輸入は国内の綿織物・製糖といった各地方の商業農業・農村手工業に壊滅的な打撃を与え、農民は急激に小作人化した。開港当時、国際的な金銀比価と日本の比価は大きく異なり、外国商人による大量の金投資と金流出がなされた。また贋貨をつかまされた外国商人は政府を訴え、国内でも支払われた金子も贋金だったことから一揆や打ち壊しが多発する。藩札乱発によって貨幣価値が暴落し物価が急騰し、開国前後で米価が九倍となった。この原因が不平等条約であるとこの頃には明らかとなっていた。
―感想・雑感
外圧は大砲と安価な商品の威力によって日本をあっという間に半植民地化の危機にさらしたと書かれてあるけれど、欧米列強の軍事力をベースにした条約締結関係をみていくと、やはり技術差があると武力制圧されるのうはどうしようもなく、政府としては植民地化されるよりは不平等条約を結んだのだろう。しかし経済支配というスキームが既にできあがっている時代だったので、他の植民地化された地域と状況とさほど変わらなかった、ということか。なんとなくこの産業を全て壊して自立できなくさせるという手法は昨今の大型商業地域を作って地場商店を潰した後に値段を上げるスキームに似ている気はする。
貨幣の統一も国内貨幣統一以外に大量金流出対策目的の意味も大きいとか色々繋がった感じ。これまでなんとなく政治マターの本ばかり読んでいたのが、経済マターでみると不平等条約の影響がどれほど大きく、そしてどのように影響したのかというのがよくわかる。贋金づくりに最も力をいれていたのが薩摩・長州でその差額で戦争準備をしたのはなかなか先見の明がある。
『国家統一への内因と外因』について
―要約
新政府が地位を確立するには諸藩を天皇≒新政府に服従させる必要があり、旧幕府≒徳川家の処分と朝敵諸藩討伐が必要不可欠だった。官軍は天皇の軍隊であったが、事実上は菊章旗と各藩紋章旗が併用された過渡的性格を持つ。官軍は各地の幕領を接収し天領としたが、恭順し城地明け渡し及び武器弾薬提供によって藩主以下が城外に謹慎して勤王誓書を提出すれば新政府の目的が達成されたため、各藩の農民に対する領主制支配の根幹はそのままだった。
明治元年、戦乱に呼応するように打ちこわしや一揆は連鎖し、関東各地の無法地帯状態に、官軍は一揆に参加した者に同情の姿勢を見せつつも、上野武蔵諸藩に一揆鎮圧と処罰を何度も示した。また江戸無血開城の会議にあたっても英国公使パークスからの圧力があり、西郷は帰任の途上パークスと会見し処分方針の同意を求めている。このような内政干渉がまかり通っていた。奥羽越列藩同盟の結成や彰義隊によって横浜の外国人から内乱の早期終結への期待が消え、外商が各国代表に干渉を迫り武器の投機に進もうとした。旧幕府の海外銀行からの借り入れや借款290万ドルの支払い期限が迫っており、パークスに依頼して返済期限1か月年利15%という暴利で通じて借り換えざるを得なかった。
比較短期且つ極地的な内戦のみで新政府が平定したのは、旧幕府側を支援し新潟開港をリードしたフランス公使ロッシュの帰国による。その後藩治職制に則った改革のほとんどは政府指令どおり行われ、国難一致に対し国体としての一君万民・王土王民思想をイデオロギーの根幹にすえた廃藩置県がなされた。武士は士族、公家諸侯は華族となり、旧大名は一定の家禄を補償されて藩知事となったが土地との結びつきは切断され、新政府からの規制等に違反すれば知事地位も左右された。
内戦後の論功行賞に土地や永代権を与えるわけにいかなかった政府は、この不満を抑えるため征韓が計画する。この征韓論の背景の朝鮮の無礼悔日は、王政復古告知書を携えて朝鮮に渡った時にその書式が従来規格と異なるとして不受理されたことに端を発する。木戸はこの渡朝前から征韓論を唱えており、朝鮮の拒否を予期して作為的に受け入れがたい書式を用いたと思われる。明治三年新政府は府藩県に対し物産類を抵当とする外国借款を厳禁したが、この当時の借款は旧幕府関係六百万、諸藩四百万に達し、放置すれば対外的に切迫した問題となる。この時期国内物価が統一され、藩高の九%を軍事費とすることが義務付けられ、その半額を政府海軍費への上納が強制され、家禄削減や藩札処理等が義務付けられた。新政府は対外的な国家独立樹立と富強に必須な陸海軍の建設や藩債整理を目的に苛酷な整理を断行した。
この間、新政府に脱退騒動や暗殺が相次ぎ、士族層の反権力運動が民衆蜂起に繋がることを恐れた。当時新政府直轄領石高は全体の1/4弱にすぎず、全てを新政府によって統合するために廃藩置県を断行した。小藩等は財政が破滅的であったため進んで行い、相対的に藩財政が健全な薩長土ですら親兵謙譲に財政負担軽減の希望を託していた状態であり、解体は時間の問題だった。
―感想・雑感
ちょっと端折った感じのまとめ。薩長土が財政に余裕があったのは贋金を作りまくってたからでは。それはさておき、明治維新周りは綱渡りだと昔から思っていたけれど、思ったよりずっと綱渡りだった。良く乗り切ったなこれ。それにしても諸外国の武器を売りつけて代理戦争をさせる戊辰戦争当たりのムーブもなかなか資本主義だなと思う。
ところで別の本では奥羽越列藩同盟は会津藩と庄内藩を朝敵としたことが原因で、それがなければ東北は土地柄比較的帰順しやすかったとも書かれてあった。これだけギリギリのところで何故わざわざ朝敵にしたのか疑問が沸いていたのだけれど、やはり力関係によって武器を無理やりうりつけられたとみるべきだよな。王権神授説的に反対勢力に断固たる姿勢を見せる為かと思っていたのだけれど、そんな悠長な状況でもなさそうにみえる。僕の知識が足りないのかもしれないし、何か勘違いしているのかもしれない。それにしても廃藩置県は権利の大転換だけれど、反発は少数の士族しか行われなかったというのはよほど開国以降の物価変動やら外圧で財政的に大打撃を受けていたんだなという実感がわいてくる。
『「立憲」と「国権」への軌道』について
―要約
明治六年の政変、征韓派参議下野は国内の対立を急速に表面化し、佐賀の乱を皮切りに西南戦争に至る反乱が勃発した。社会制度の変革は避けがたかったにも関わらず乱が生じたのは、士族の自己存在理由の主張又は存在価値の模索の性質を持ち、やがて国会開設運動となり各地豪農商層や民衆が広く参加し始める。
この間政府は台湾遠征・朝鮮侵略等国内外の威信確保を繰り返しながら富国のために地租改正や殖産興業を進め、秩禄処分を断行し封建領有制と華士族特権を解体して万国対峙の富国強兵とお上からの資本主義化を推進し、欧米に従属しながらもアジアを圧迫する地位へ歩み始めた。
新政府は大久保利通が一貫してイニシアチブを握り、内務省は内治優先・富国強兵のシンボルとなり、人民の凶行予防に警察機構の整備強化が行われ、内務卿は地方行政を巡察させ監督権限が与えられた。また殖産興業を積極的に推進して輸出を増やし、輸入防衛のために試験場や模範工場・農牧場を経営した。工部省もその存続全期間の興行費総額三千万弱のうち五十四%はわずか四年に集中投下され、その八十%が鉄道建設・官営鉱山、残りも電信事業や造船所、重工業等の官営事業に投下された。これは金流出の対処や金銀鋳貨素材確保、肥後藩の債務を背景としたグラバー商会との高島炭鉱共同経営のように外相による各地鉱山利権獲得を防ぐためでもあり、鉱物の国有と外国資本排除が配慮されている。しかし輸入防衛の効果はほとんどなかった。
この時期地租改正も農民の反対で進んでいなかったが、最も国家財政を圧迫したのは歳出の1/3に達する華士族への家禄支給であり、徴兵によって武士の常駐防衛の常職を解体したことへの風当たりは強まった。家禄税創設と家禄訪韓制度から始まり当時の国家財政の三倍近い公債が発行して秩禄処分を断行したが、物価の高騰により下級士族は公債利子だけでは最低限の生活もできなかった。上層部は公債証書を資金源に銀行を設立して株主となり、商人は下層武士から公債を集めて資本化したことによって政府は資本創出を遂行した。しかしこの公債の信用は政府の利子補償と元金償還であり、それは農民層からの地租にたよられる。そのため詳細な調査を省略して旧体系に基づく地租の押し付けが強行された。これによって一揆が多発し、3%から2.5%へ地租を引き下げたが、結果的には政府の地租収入は増加した。
征韓に反対した大久保らは率先して征台計画に没頭し始め、台湾遠征が政府内で一致しているとき、西南戦争の端緒の反乱(佐賀の乱)が勃発する。これを島津久光が制圧し征台準備をしている折にパークスは英人の利益にかかるとして征台に反対し、ビンガムも台湾は清の属国とみなすと宣言し汽船の供与等を拒否したが、反発した現地士族は独断で先発隊を出向させ、既成事実とした。台湾・琉球の帰属をめぐり清との交渉は難航し、対清宣戦布告の準備を進めていたが交渉が長引けば列強が干渉することを恐れ、パークスの仲裁で琉球を日本、台湾を清国所属と相互承認された。その後ロシアとの樺太条約締結がなされ、朝鮮での江華島事件発生により征韓論の声が大きくなり、かつて欧米が日本に押し付けた不平等条約と同様の条約を朝鮮に強制した。清からの隷属を切り離す内容だが清国使節は後押しする。当時清はフランスはベトナム、イギリスはビルマ雲南間の商路、ロシアによるイリ地方の占領等、辺境について紛糾していた背景を読んでの征韓である。これによって日本の脱アに続く観念が浸透する。
当初の自由民権運動はイギリス流自由主義の知識と士族魂が混ざり、士族を平民のように没落させず一般人民に愛国心を起こさせることを目的とし、士族的為政者的発想を土台とされていた。やがて同志をあつめた立志社や自助社が生まれ、民衆アピールとして士族層と豪農商層の連携を打ち出していく。元老院設置、大審院創立、地方官会議開設、内閣と各省の分離が実現する。議論を重ね民権派の運動は士族的運動から脱皮し、各地で政府の政策押し付けに対する民衆の暴動が盛んになった。このように倒幕から十年を経過し、日本は大きく変化して維新は幕を閉じた。
―感想・雑感
官で輸入を防ぐために殖産する観念は関税権の有無に直結するのだなと改めて感じた。関税権があれば関税で国産品を守れるわけで。現在進行形で破壊されつつある国内経済を盛り返すためには外国商品に経済的に対抗できる商品を作らなければならないわけで、そのための富国であると考えれば、その富国という何気ない言葉がとても重い。そう考えると今の自由貿易協定とか関税撤廃ってちゃんと考えてやってるのだろうかと一抹の不安。
それはそれとして、再びこんな激動をよく乗り越えたなという感じ。確かこのころの秀吉観は今みたいな狒々爺とは違って国威発揚に絡めて尊崇されていたと記憶しているので、征韓論もその辺を根っこにしているのではないかという気がした。それにしてもこんな混迷してるところをよくバランスとって切り抜けたな(改めて。
まとめ
全体的に、これまで日本の中で日本の維新について書かれた本しか読んでこなかったため、維新に関して諸外国がどのように関わっていたのかという視点が結構欠けていたかもしれない。この特に経済。資本的な圧は数字でみれば狂気的なことがよくわかるし、不平等条約の重さやそれを撤廃しようとする情熱がようやくピンときてきた感じ。諸外国にとって日本はとても美味しかったんだろうな。やはり歴史とは多方面で検討すべきものだ。でもこの多方面から検討するという観念も比較的最近のものだから、このあたりから旧来の歴史小説に勝てる可能性があるんじゃないかなとは思ってるわけなんだけど、文献量がどんどん増えるよう。うちの明治でも外国商会が出てくるんだけれど、位置づけが少し難しくなった。でも彼らは亡命的で小国からの移民の位置づけもあるからきっと悪辣なことはしていないに違いない。変な理屈で動いてる商会だしな。
小説に使えるかというと、幕末維新を書くならこの視点は持っておいた方がいいと思うと思える本だった。やっぱり視点が増えれば増えるほどリアリティは増すとおもうんだ。オールコックの大都の君とか真面目に読んでみようかな。
4.結び
普段は前段後半がわかるようにそれぞれ1ブロックで書いてるんだけど、一つの章がでかいのは改行ないと見づらい気がしてきたので今回はわけてみたよ。やっぱ多角視点はあらためて重要と思ったわけで。
次回は梅棹忠夫・吉良竜夫編『生態学入門』です。
ではまた明日! 多分!
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