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【展覧会】印刷展・サロメ・青銅鏡展

企画趣旨

 最近また美術展に行く機会がありました。映画みたいに呟きで書こうかと思ったけれど開催日時や場所の情報だけで140字をオーバーするし保管場所に困るのと、メモしておかなければ一瞬で忘れる、というか翌月には全然覚えていないので、ここで書いてみることにします。
 今回の内容は、下記の3カ所です。
・黒の芸術 グーテンベルクとドイツ出版印刷文化(印刷博物館)
・R・シュトラウス《サロメ》 METライブビューイング(東劇)
・死と再生の物語 ナラティヴ(泉屋博古館東京)
 
見出しは短い方がいい主義なので、雑に短くしています。
 相変わらず共通性が全然ねぇな。僕は仕様を決めないとおちつかないタチなので、本雑綱目に準拠します。今回は行く前に思い出したので、ちゃんと事前印象書いた! でも書くと本当に行くのか少々不安になる奴。俺、記憶力悪いからなぁ。
 7/5追記:予定していた1つのざわざわは結局行けずに差し替えになったことをメモしておきます。


定型注意書き。
「Thinking Time」は深夜にだらだら連ねたどうでもいい駄文をまとめたり謎の企画をやってみようなシリーズで、僕の頭に浮かんだことですから根拠とかは有りませんし、おおよそは妄言です。それに多くが結論があるわけでもない投げっぱなしです。また、テーマにかかわらず政治的主張や何かの陣営に与することを意図するものでは全くなく、そう解釈される場合は僕が歴史上の事実(思想ではない)をそのように認識しているだけか、僕の書き方が悪いということです。異論はとてもみとめるし、だいたいはすごく回りくどい。

黒の芸術 グーテンベルクとドイツ出版印刷文化

概要

1000年以上の歴史を有する印刷史のなかでもグーテンベルクによる活版印刷術の発明は大事件でした。
中世末期の15世紀なかばに確立されたこの技術は、テキストの複製手段が主に手写だったヨーロッパを瞬く間に席巻しました。発祥の地ドイツでは、魔術や魔法を意味する「ディ・シュヴァルツェ・クンスト(die schwarze Kunst)」と呼ばれ、独自の出版印刷文化が形成されます。
本展では、今日産業の領域で過去のものとみなされている活版印刷術と活字書体が国の文化形成に大きく影響を与えてきた様子を、その技術を生み、誇りとして現代に継承するドイツを通じて振り返るとともにグーテンベルクの功績に迫ります。

展覧会HP

開催期間:2025年4月26日(土)〜2025年7月21日(月)
料金:一般1000円、学生500円、高校生300円
アクセス:GoogleMap 印刷博物館

事前印象

 HPで活版印刷機の現物の写真があったので見てみたいと思って。1000年以上の印刷の歴史とあるけれど、グーテンベルクの活版印刷は確か600年くらい前じゃなかったかな。それ以前の木版印刷はもっと古かったような。なんとなくだが初期の印刷工場の環境は悪かったイメージがあるので、そのあたり知りたい。

中身と感想

 常設展部分の印刷の歴史が結構充実してた。現存する最古の木版印刷が称徳天皇の百万塔陀羅尼という驚き。称徳天皇って気に食わない人の名前を糞虫と改名させたりとなんとなくヒステリックで子供っぽいイメージなんだけど、なんかそんなイメージの字だった(風評被害)。いや、単に印刷が詰まらないようなフォントなのかもしれないけど。
 それから始まって現代まで至る印刷物の歴史が並べられていて、結構面白かった感。でも一番最初の展示は詳細説明はQR読み込みしないとだめで、しかも図表と説明の場所がずれてるから見ずらい。物の下に説明書き置いてほしい。
 肝心のグーテンベルグの印刷機だが、復元機がきていたけれど、復元なら触りたかった。けど指を挟んだりする危険があるのは理解。それなら使ってるところの写真が欲しかったかも。
 グーテンベルグの印刷物は他の者に比べて黒い。この黒さはおそらく複合的に生じているのだけれど、印刷物が並べられてはいるものの、印刷機の機構についての説明が乏しく、少し残念。コンセプトとしては印刷物を見せる、であって印刷機を見せる、ではないんだなっていう感覚。僕は異世界で再現したいんじゃよ。
 これは全体に通じる点だが、流行的な移り変わりはわかるのだけれど、どの時点の技術が前の技術と違ってここが違うという区別的視点がもう少し明らかだと好み。〇△みたいな改善はわかるけれど、それが当時どの程度の変化で、どのように影響したのかというところが知りたい、僕は。

R・シュトラウス《サロメ》  METライブビューイング

概要

囚われの聖者に恋した少女サロメがとった究極の行動とは?世紀末の爛熟を体現した傑作オペラを待望の新演出で!
聖者ヨカナーンに恋してしまった少女サロメの狂おしい官能!禁断の恋が招いた衝撃的な結末で大スキャンダルを巻き起こしたO・ワイルドの戯曲から生まれたR・シュトラウスの傑作オペラが、20年ぶりの新演出!圧巻の高音域E・ヴァン・デン・ヒーヴァー、威厳ある美声P・マッテイの少女×聖者対決は見もの!鬼才C・グートの演出は、時代をヴィクトリア朝時代に置き換えて物語の光と闇をあぶり出す。Y・ネゼ=セガンの切れ味鋭い指揮で、シュトラウスの絢爛たる音楽に酔う歓びを。

公式HP

開催期間:2025年6月27日(金)~7月10日(木)(東劇)
料金:当日 一般3700円、学生2500円
アクセス:GoogleMap 東劇

事前印象

 本当はサントリー美術館でやってる「まだまだざわつく日本美術」に行く予定だったんだけど、ちょっと時間があわなくて急遽映画レビューにいれるか悩んでたこちらにした。ざわざわ展はしばらくやってるから行きたいと思っていて、でもそう思ってたらひとつ前の酒呑童子展に行きそびれた件。
 事前印象もなにもないんだけど、サロメは聖書の内容はしっている。オペラはさほど見た経験はないんだけど、この間ピアズリー展にいったしせっかくだから感。

中身と感想

 最初に内容ではなく枠組みの話。ライブ・ビューイング(Metのオペラライブを録画したものを上映)は初めてで、確かに演者の表情がわかる距離感というのはなかなか興味深いのだが、基本正面からのアングルで、階段で垂直につながる2つの舞台を上下するものだから、映画のようにハイライトをカメラが追いかけていったりはしない。良い音響を使っているのはわかるけど、感動するほどのライブ感はなく、これなら遠くからでも生で見た方が面白そうと感じた。比較的舞台に近い席で演劇を見てる感はあるが、生命力というのは時間をぶつ切りにすると多分届かない。
 さて、中身のサロメの新演出だが、僕は残念ながら新旧がわかるほどオペラをみていないし、サロメをオペラで見たことはないという素人目線だ。けれど正直、予想していた内容とは結構違っていた。僕が予想していたのはイスラエルの宮殿を舞台に巻き起こる、古典的な客観的に美しいサロメだ。今回のオペラのサロメはなんていうか、舞台的にも古代じゃない。無駄な装飾はほとんど廃されているためむしろ現代にすら見えるし、衣装も少し装飾を落とせば現代といいきれる程度のもの、っていうかイスラエル感はまるでなく、むしろせいぜい西洋宮廷。
 その中で展開されるサロメは妖艶な客観をほとんど廃した、主観的な狂気を客観に発露するサロメだ。その証拠に、官能的なはずの場面からは主観的な情念や迫力は感じても、誰もを魅了する客観的な美しさには直結しない。つまりその姿から観客自身が魅了されたりはしない。むしろその志向の強さはホラーみが強いし、そもそも残念ながら少女には見えなかった。そこを補完するために少女がいろんなところに座ってるんだろうけれど、そんな思考を介した哲学的な演出は初見者には少し高度過ぎる。それらの良し悪しは好みによるのでさておくとして、ともあれ新解釈を見るには旧解釈を知らないとなっていう気はした。きっと前提で、いきなり無知識でこれをみても困惑するだろう。
 それはさておき、僕がこのサロメに最も似た印象を抱いたのがルカ・グァダニーノ監督の新解釈サスペリア。あれもクラシックバレエをベースとした原作サスペリアをコンテンポラリーに展開してオリジナル作品を生み出している。これも好き嫌い別れる作品だけど、方向性として似ている気がする。何を考えてどう組み立て直したのかというのはとても興味深いところ。
 サロメを何度か見たことがある人は見に行くと面白いかもしれない。

死と再生の物語 ナラティヴ ―中国古代の神話とデザイン

概要

高度な文明が発達した中国古代では、すぐれた技術によってさまざまな文物がつくりだされ、それらには現代の眼にも斬新で刺激的なデザインの数々がほどこされました。わたしたちの感覚からはかけ離れているようにも思えるこうしたデザインは、いったいどのような思想のもとに生みだされてきたのでしょうか。
本展覧会では、泉屋博古館(京都東山・鹿ヶ谷)所蔵の青銅鏡の名品を中心として、中国古代の洗練されたデザイン感覚、その背景となった神話や世界観をご紹介していきます。その上で「動物/植物」「天文」「七夕」「神仙への憧れ」という主に4つの観点から、デザインの背景を読み解いていき、さらには日本美術に与えた影響についてもご紹介します。

公式HP

開催期間:2025年6月7日(土) ~ 2025年7月27日(日)
料金:一般1200円 学生600円 18歳以下無料
アクセス:GoogleMap 泉屋博古館東京

事前印象

 これは割とガチめに僕の興味のど真ん中にはあるものの、正直青銅器とか土器自体には興味がないっていう。淳祐天文図が楽しみだし、殷の青銅器の精緻さというのは素晴らしいとは思うのだけれど、そこから神話というのが僕の頭で直結しないんだよな。饕餮紋とか色々書かれているのは知ってるんだけど、あれはそれぞれのトーテムを象徴化したものだよな。本は色々読んでるんだけど、知識と当時の価値観の断絶が埋まらない。多分僕は何かをイメージするというのが苦手かもしれないなと少し思う。

中身と感想

 失敗した。僕は今日、画像解像力があんまり良くない日だ。青銅鏡の凹凸、つまり絵部分をうまく認識できないからせっかくの図像が見えない。なんか凸凹した板にしか見えないっていうか。仕方がないので、模様を見に来たのに青銅鏡の説明文だけ見るという不毛な見学だったけれど、まぁ根本的なところ、僕は青銅鏡に込められた思想に興味があるんであって実物の凹凸にはさほど興味がないから問題ない。
 殷・西周あたりの造形って丸くてかわいいな(立体だとわかる)と思いつつ、動植物、天文、七夕、神仙といったそれぞれのテーマに従った順で青銅鏡が展示されている、っていうか展示の8割が青銅鏡だった。説明内容自体は知っていることが多かったけれど、鏡の東西南北に描かれる動物や神話の人物の変遷などは知れて面白かった。四方に四神が描かれる時代の後に西王母や東王父がとってかわり、神仙になったんだな。これが丁度前漢末あたりで、本来人に害をなす鬼神である道教の神々がメタモルフォーゼして夏殷時代のトーテムにとって代わっていく姿と考えるとなかなか興味深い。日本に来て思想性が薄れたのは、単純に日本に思想が指針となるほど強固に入ってきてないからだろう。
 そういえば説明書きが少し不正確、というより中国も上古の説話は日本と同じく様々な話が同時並行したVerが存在しているんだが、それをそのうちの一つに決め打ちしている。それが字数簡略と説明の便のためなのか、美術と考古学のという学問分野における重視する価値観の違いなのかが少々気になった。前に書道マターの古代中国の甲骨文字の本を読んだんだけど、発想の起点が考古学的な切り口と全然違うのだ。

 これは見方の問題で、どちらが正しいというものではないし、そのような見方があると知れるとそれなりに世界が広がるので構わないのだけれど。

この頁が含まれる好き勝手書いてるマガジン。
なんかまた見に行ったら書いてみよう。

#アート #美術館


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