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鎮華春分 桜に囚われた千代の話 ~明治幻想奇譚~ 第六話 折戸源三郎の言い分

「知らんと言ったら知らん! 千代なんて娘はおらんのだ」
「知らないはずはないでしょう、折戸源三郎さん。それにどうして娘だっていうんです? 『千代さんという方を訪ねてきました』以外、私は何もお尋ねしていないでしょう?」
 源三郎はきつく鷹一郎を睨むが、どこ吹く風だ。
「……そうか、お前らあれだな。赤矢という男に頼まれて来たんだな。話すことなんざねぇ! ええい、帰れ! とっとと帰れよ!」
 まさにけんもほろろだ。
 目の前で小柄な骨太の齢五十ほどの男ががなり立て、ドンと土間を踏み鳴らして戸口を指さしている。家の奥の暗がりには疲れ切った顔の女が座っている。おそらくこの源三郎の妻だろう。
 けれども源三郎が相手にしているのは鷹一郎だ。赤矢も同じような対応をされたのだろうが、鷹一郎のほうがよほど悪辣だ。何しろ鷹一郎は自分の目的を遂げるためには、終局的には他人がどうなってもいいと思っていやがるからだ。源三郎に僅かに同情する。鷹一郎のこの薄っすらと微笑みの形をした唇は柔和に見えるが、目は全く笑っていない。
「仕方ないですねぇ」
 鷹一郎はそう述べて軽く息を吸う。

「私は確認したのです。あなたご自身が提出された死亡届を。
 一 病名 全身打撲(転落)
 一 職業 女給
 一 患者姓名 折戸千代
 一 患者住所 神津逆城町逆上村42番地
 一 年齢 20
 一 年月日 元治元年4月2日
 一 医師 中郡 三徳なかごおり みとく
 一 医師住所 神津逆城町南2の8番地6
どこか間違いがございますか?」
 まさに立板に水をかけるか如く一息でつらつらと並べられるその呪文に、源三郎はたじたじとするばかり。目を丸くして口をぱくぱくとしている。
「なんでッ!? なんでそんなことを知っているッ!?」
「あなたが戸長に届け出された死亡届は県でまとめられますから、そこで拝見いたしました。間違いがございますか、とお尋ねしております」
 苦虫を噛み潰すようにギリリと歯を鳴らす源一郎に、鷹一郎はさらににこにこと畳み掛ける。
「どうしてわざわざ死亡届をだされたのですか? 出さなくてもよかったのでは?」
「はっ!? エッ!?」
 想像もしなかったであろう返答に、源三郎は目をぱちくりさせた。
「千代さんに何があったのです?」
「な、何が……?」
「ええ。別に行方不明でもいいじゃないですか。どうしてわざわざ死亡届を出されたのですか?」
 耐えかねたように源三郎はふるふると頭を左右に振って後ずさる。
「……いないんだ。とにかく、もう、千代はいないんだ、それでいいじゃねぇか……とにかく帰ってくれよ。それでもう来ないでくれ。頼むよ。どうか」
 源三郎はまるで祈るような姿勢にまで背を縮め、最後の声は蚊が鳴くようだった。
 そこで話は終わり。それ以降、何を尋ねても源三郎は何も答えなかった。

 結局源三郎の抵抗は予想はしていたものの、おおよそ予想どおりだなと思いつつ源三郎宅を辞した。鷹一郎は相変わらず、何の痛痒も感じていないようにこう述べる。
「押しても駄目でしたから、次は引いてみましょうか」
「あんな追い詰めるこたぁねぇじゃねえかよ」
「そんなことは私の知ったことではありません。それに不実の届出は違法です」
「違法ねぇ」
 それを言うなら無関係な者が死亡届を覗き見るのも違法じゃないのかね。そう口を開いても、無理やり見たのではなく、尋ねたら役所の人間が勝手に見せたのだと宣うだけだ。
 逆上村を出る頃にはすっかり雪はやんでいて、南に下る逆城参道にはポカポカとした春らしき陽気が差し込んでいた。何人かごとの集団が神社に向かってに次々と登ってくるのにすれ違う。雪が止むまで茶屋がどこかで待っていたのだろう。ここはいつも観光客で混み合っている。
 耳を澄ますとケキョという鶯の鳴き声が遠くに聞こえた。

 先程の源三郎と鷹一郎の話を改めて考える。
 源三郎が千代の死亡届を出したということくらいだ。
 赤矢の話では、千代は逆城南に下宿していた。たまには実家に帰りはしたのだろうが、生計としては既に独立していたようだ。同じ戸籍にいるとはいえ、同じ家に住む者が行方不明になったのとは、趣が少し異なる。同じ家に住んでいた者が突然いなくなれば探しもするだろうが、一年も前には既に千代は家を出ていた。そのままいないままでも、おかしくは、ない。
 それなのに源三郎は何故わざわざ死亡届を出したのか、か。
 少なくとも千代が直前には、源三郎と接触があったのは間違いない。そうでなければ本当にただの『行方不明』で、出すべきは尋ね人だろう。やはりわざわざ『死亡届』を出したりはしまい。
 源三郎と会って、それから千代はどうなった? 何があった?
 死んだのか?
 生きているのか?
 千代は死んでいる必要があった?
 行方不明では支障があった?
 赤矢が来たときも、死んだといわずとも鷹一郎の言うように帰ってきていないとか、帰ったが再び出ていったとか、そう言えばよかったのかもしれん。そうすれば赤矢は他をあたっただろう。
 それに俺があの雪の奥での見た千代の姿はなんだったのか。

「なぁ、千代は生贄なのか?」
「さて、どうでしょう。生贄というのは多義的なものですが、哲佐君はどの意味で仰っているのです?」
 鷹一郎は小首をかしげる。
「どの意味? あのでかい桜に捧げられたんじゃないのかい?」
「哲佐君はそのお立場に慣れすぎですねぇ。捕食者が捕食する理由というのは色々あるものですよ。食事、生殖、服従の証。酷いときはおもちゃとか。猫の妖なんかはそういう側面が強いですから捧げられたらそれはもう悲惨です」
「たまったもんじゃねぇな」
 そう思うと板塀の上でにゃぁと伸びをする猫ですら恐ろしく感じてしまう。あの猫が俺を襲ってこないのは、たまたま満腹で、でかくなっていないからだけのことかもしれぬ。
「それで結局なんなんだよ」
 そう言いかけて鷹一郎を見ると鼻をひくつかせていた。
「さて、それじゃあ作戦会議と洒落込みますか」
 視線を追うと、上品そうな居酒屋の縄暖簾が見えた。
 金さえ出してくれるなら俺に否やはねぇよ。

 刻は昼九つ正午をしばらく過ぎたあたりで、参道沿いの料理店はどこも賑わっている。ちょうど出る客と入れ替えに入った所の床机腰掛けに腰を下ろせば、奥から女給がやってくる。
「私は20銭を1合、それから湯豆腐と芋煮を」
「……俺は7銭を2合」
 鷹一郎は頬杖をついて軽く鼻で笑う。
「遠慮しなくていいんですよ」
「飲む量と価値観が違うんだよ」
 鷹一郎は1日に1合だけ酒を飲む。それだけしか飲まねぇから上等な高いのを1合。俺は酒の味なんか気にせずぱんぱか呑むからいつもの安酒でいい。高い酒なんて頼んだら、かえって味を気にして落ち着かねぇ。
 奥から味噌が焦げるいい香りが漂ってくる。田楽も美味そうだな。そう思って振り返ると、ふくよかな女給がちろり酒器を鍋にかけるところだった。

「それでどうでした、千代さんは」
 先程はなんとか桜の領域から抜け出て村に戻るまでに雪の中をさまよい歩き、かじかみすぎちまってまともに口も動かなかった。だから簡単なところしか鷹一郎に話せてない。
「なんだかよくわかんねぇな。さっきも言ったとおり、体から木が生えていた。他にも人間みたいな木がたくさん生えていたな」
「何人分くらいです?」
 どうだったかな。
 改めて思い出せば、木の背丈はいずれも2メートル弱ほどでぽつりぽつりと立っていた。あれが1人1本だとすると、見えた範囲で7、8本くらいだろうか。
「真ん中にでかい木があった。その周りに均等にいるとするなら10から15本くらいじゃねえかな」
「なるほど。その大きな木は古そうです?」
「古いっていうか……ひたすらでかかったからな。古いんじゃねえかな。お前も辻切から見ただろ」
「化け物だとすると、もともと大きかったりもしますよ」
 元々大きい、か。そんなことを聞かれても、陰陽師だなんてヤクザな職業についていない俺にわかるはずがない。アレが何なのかも。
「そうだなぁ。古いかどうかはわかんねぇが、見える範囲以上、あのあたり一体に根を張っている感じはした。なんとなくだが一朝一夕ではなさそうな」

 燗が運ばれ猪口に注ぐと、ふわりと米の香りが広がる。薄口のやさしく甘い芋煮を口に運びながらあの桜を思い浮かべる。見上げてもその全容はわからないほどでかかった。ただ、印象は昏い。昏い桜だ。葉は……ついていただろうか。
 本体自体にはあえて意識を向けないようにしていた。注意を引いて気づかれてしまわないようにだ。けれども何というか、俺はあの木とは違う生き物だが、あの千代はあの木と共通の雰囲気をもっていた。もっといえば、あの源三郎とその妻と思われる人物も、だ。
 なんとなく似通っている。それは同じ郷里を持つ人間が似たような空気感をまとうのと同じようなもので、そうすると、あの木の領域はあの黒土の狭い範囲ではなくもっと先、逆上村にまで及んでいるのか。匂いがしみつくほどに。そうするととても。
「広くて古い」
「そうですねぇ。私も似たような感覚を懐きました。さぁてどうしましょうか。どこからどの範囲を祓えばよいのか。どこまでが本体で、どこまでがその実なのか。それが問題ですねぇ」
 鷹一郎はどこを見るともなく、あたかも空気を測るように虚空を眺めてぽつりと呟く。
 あの木を倒すとなると大仕事だな。
「それより千代さんはあそこを動くつもりはなさそうだぞぞ」
 鷹一郎は平然としたものだ。
「そんなことは最終的にはどうでもよいのです。私に依頼を出した時点で、あれは私の化け物です。その結果、どうなろうと知ったことじゃありません。東京の鍵屋も赤矢殿にそう説明しているはずです」
 鍵屋は俺と鷹一郎が東京に住んでいた頃にできた知り合いで、金にがめついなんでも屋だ。その『何でも』は失せ物探しから失せ物作りまで何でもござれ。基本的にはろくな奴じゃねぇ。けれどもその相場よりお高い仕事を請け負わせさえすれば、必ずそのとおりに仕上げてくる。そんな奴だ。
 鍵屋にとって鷹一郎は、その仕事を遂行するための外注先だ。だから鷹一郎がどんなやつかは正確に把握している。
 鷹一郎の一番は化け物退治。二番が依頼主の希望遂行、つまり仕事。だから一番と二番は同じことを指し示す時も、鍵屋は大きな傾斜をつけて依頼主に値段をふっかける。
 けれどもあの赤矢の、周囲の景色まで歪めそうな悲しそうな成りが頭に浮かぶ。

「確かに赤矢にもそう言ってはいたがなぁ。俺はどうにもあの赤矢に同情的になっちまう」
「相変わらず中途半端に人情家ですねぇ。まぁ、私も依頼者の希望はなるべく叶えて差し上げたいとは思っているのですよ」
 鷹一郎が呆れたような声音でつぶやく。そのほそっちろい腕でゆっくり手酌で注ぐ酒は僅かに白い。
「赤矢の望みは千代さんをあの桜の化け物から助け出すことだろう?」
「そうなんでしょうねぇ、赤矢殿ご本人がどう認識されているのかはわかりかねるところですが。でも助かろうと思っていない人を助けても、意味はありません。そうは思われませんか?」
「まぁ、な」
 助けた直後に再び桜に戻るかもしれねぇし、助けたことで恨まれるかもしれねえ。そんな馬鹿馬鹿しいことはない。誰も幸せを手に入れられぬ。だからそもそも、赤矢の望みは根本的に千代の考えと矛盾するのだ。
「だから」
 そこで切って鷹一郎は俺をじっと見つめた。なんとなく、言わんとすることはしれた。
「だから?」
「千代さんを助け出すのならば千代さんが何故あそこに留まるのかを解明して、留まる理由がないことを証明し、千代さんに助かりたいと思わせなければなりません」
「助かりたいと思わせる、ね」

 思わず顎をさする。つまり俺が助けたいと思うなら、俺が自分でなんとかしろという話だ。
 普通は何もせずとも助かりたいものだ。
 木になりたいという特殊性癖を有する者なんてそんなにいないだろう。人であるなら人として生きたいはずだ。けれどもそれを捻じ曲げて千代はあそこに留まっている。
 俺は何を千代に示さなければならないのか。そしそもそもあの桜は千代にとってどういう存在なのか。
 くつくつと煮える鍋に浮かぶ湯豆腐は燗酒と相まって体を芯から温める。そういえばあの場所は春で暖かかった。あそこはどんな場所なのだろう。他の場所と断絶されて、一年中春なのだろうか。
 千代は苦しんではいなかった。そうであれば、あそこはそれなりに居心地のいい場所なんだろうか。だから千代はあそこを出ない? あそこにいることによって、何らかのメリットがある?
 いや、けれども周りに立つ木は苦しんでいたように見える。何かが妙にちぐはぐだ。

「私も鬼じゃありませんから極力なんとかしようとは思っていますよ。それでお金を頂くわけですからね」
「おう」
「けれども期限がありますから、それまでです」
「期限?」
 ちょうど、鷹一郎はその杯を飲み干す。この20銭の酒はちょうど期限を迎えたってことだ。
「そう、千代さんは木に成りかけているのでしょう? 木になってしまえばもう人としての千代さんを助けることはできないでしょう、おそらくね」
「まぁ、そうかもしれないな」
「それからこれは勘ですが、それは桜の花が咲くまでのように思われます」
 うん、それは俺もなんとなくそんな気がしていた。
 あの春で満ち溢れた空間に足りないものは桜の花、桜の結実。それがおそらく一つの区切り。
 咲けばもう、戻れない。そんなことはおそらく千夜にもわかっているはずだ。自らの身に起きている変化なんだから。
 自分が人ならざるものになってしまう。しかもそれはじわじわと。足の先から、体の内から、じわじわと桜の種は芽吹いて次第に体を締め付ける。だんだんと、動くものから動かぬものにゆっくりと変化してゆく。自由にどこかへ行くことも、好きなものものを食べることも、もうできない。
 そんな事実が真綿で首を絞めるように実感される緩やかな変化。それはなんと寒々しくて、恐ろしいことなんだろう。
 けれども千代は自らの意志であそこにいた。それを受け入れるほどの理由とは、何なのだろう。春を迎えた後、あの木とあの空間はどうなるんだ。それまでに千代を説得するにはどうしたらいいんだ?

「さて、では次の行動の目処はつきました。まずはあの化け物が何なのか、いつからいるのかを調べましょう」
「どうやって?」
「そんなものは昔の記録を紐解けばいいのです。それではそろそろ出ましょうか。それにしても……」
「なんだよ」
 鷹一郎は床机から立ち上がった俺の頭から爪先までを眺め回す。そしてプククと花が咲くような笑いをこぼす。
「妙な格好ですねぇ」
「うるせぇ」
 どてらに番傘、カンジキにスコップと斧。
 変なのはこちとら重々承知なんだよ畜生。

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