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文学賞落選作『大根讃歌ー神が与えし世田谷の奇跡の大根』


この大根を口にした時、私の心は奮い立った。

すかさず自問自答する。
え、これが本当に大根というものなのか!?

自分の目を疑った。
今まで食べてきた大根は、一体なんだったのだろうか。
これまでの経験からすれば、この大根は絶対にありえないものなのだ。
でもはっきりと、目の前に存在しているではないか。

大根を輪切りにする。
薄く切っても厚く切ってもその幅に関係なく、輪切りした大根全体が、ほとばしるほどの水分で満ち溢れているのだ。
大根自らの体の中に、水の層を蓄えてでもいるか、あるいは収穫されたあとも、土の中の豊かな水分をコンコンと汲み上げる管を持っているかのように、食べ尽くす 最後の最後まで 大根は みずみずしいのだ。

大根に包丁を入れた瞬間、ほとばしる 水分の量のあまりの多さに、私は驚きとともに喜びを隠しきれない。

野菜のほとんどは、グローブの タジン鍋で蒸して食べるのだが、この大根に限っては、輪切りにして生のまま 食するほか手立てはない。
大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、熱を加えて食べるのは、大根に対してあまりにも失礼なことなのだ。

ちょっと行儀が悪いのだが、食事の準備をしながら立ったままの姿勢で、私は 輪切りした大根を口に入れる。
カリカリ、シャキシャキ。
ほのかに辛くほのかに甘く、実にデリケートな大根の繊維の感触。

大根は柔らかすぎず 硬すぎず、繊維が生き生きと 立ち上がっている。
そんな 繊維が、カリカリ、シャキシャキと弾んで、しっかりとこちらの相手をしてくれる好敵手なのだ。
輪切りした大根が、5、6枚はあっという間に食べられてしまう。

妻も熱は加えず、生で食べたりスムージーにして食べているようだ。
大根の葉の素晴らしさも、書き留めておかなければならない。

大根の葉を グローブの タジン鍋で蒸し上げると、ものの数分で鮮やかな グリーンの蒸した葉っぱが出来上がる。
この大根の葉はハマダイコンの葉とはひと味違って上品な苦味の柔らかい繊維質で、舌をことのほか喜ばせてくれる。

この奇跡の大根に出会い、2本目を求め、12月下旬の早朝に、農家を訪ねる。
農家の例の無人の売り場に大根は置いていない。
門扉は締まり、家はひっそりとしたままだ。
午後も 訪ねてみたが、家は相変わらずひっそりとしており、ひと気がない。
呼び鈴を押しても応答がないので、仕方なく 退散することにする。

意を決し、翌早朝7時に自転車で駆けつける。
門扉はやはり締まったままで、 売り場には大根は置いていない。
立ち去りがたく、諦めきれずにそのまま立ち尽くしていると、遠くから庭の掃き掃除をする音がかすかに聞こえてくるではないか。
よししめたと喜び勇んで駆けつける。
この農家の婦人だ。
聞くと大根は今は売り場には置かず、予約した方に特別にお分けしているだけだと言うではないか。

「こちらの大根を食べたらもうよその大根は食べられないのです。」

「そんなことはありません。」と婦人。

必死に食い下がる 私に、婦人はしばらく首をかしげ目を閉じ考え込んで、私の目をしっかり見ながら、「では分かりました。特別にお分けしましょう。」と言ってくれたのだった。

婦人は自宅 すぐ横の畑に行って大根を物色する。
畝の手前の大根をさっと引き抜く。
その大根は、先日1本目に購入したものと同じく、中くらいの大きさだった。

婦人が言う。

「注文いただいた方には変なものは差し上げられません。」

今回はしっかりした大根をくれようとするのか、念入りに 吟味し、畝の向こうの端の大根を引き抜いた。
この大根なら大丈夫との自信の表情で、大根を差し出してくれる。
大きくて長い。
文句なく素晴らしい 大根だ。

親切にも「袋を持っていますか。」 と言ってくれたので、 はい 持っているので 大丈夫ですと答える私。
泥を水道水で洗おうとするので、そのままで結構ですよ とこちらが言ったにもかかわらず、冷たい水道水で大根を素手で素早く洗ってくれる婦人の優しい心遣い。

大根を受け取るとともに、すかさず私は懇願する。

「年の暮れに3本目の大根を是非ともいただきたいのです。」

ここでまた婦人はしばらく考えて、「では29日でどうでしょうか 。」と応じてくれる。
忘れてはいけないと、私はすかさずスマホのGoogleカレンダーを開き、「29日」に大根と書き入れる。

何から何まで本当に親切な婦人だ。

1本目の大根を購入した時のことを思い出す。
売り場には、ご自由にお持ちください との張り紙があり、八ツ頭が4個、袋に入れて置いてあったのだ。
4個とも大きくて、しかも綺麗に洗ってあるではないか。

婦人に八ツ頭の件を話すと、実はあれは八ツ頭でなく親芋 なのだという。
素人の私には里芋に関してなんの知識もなく、親芋と八ツ頭の判別などつくわけがない(里芋は、親芋を囲むように子芋、孫芋と付くが、八ツ頭は親芋と子芋が分かれず塊になり、まるで頭が八つくっついて固まっているように見えることから「八ツ頭」と名付けられたとのことなのだ)。

婦人の言うこの親芋を、グローブのタジン鍋で蒸して食べたところ、硬いどころか柔らかくて、それこそ私の舌を喜ばせてくれたのだ。
このような 親芋をどうぞ召し上がってくださいと、綺麗に洗って 袋詰め してくれる婦人。

それにしても、このような奇跡の大根がどうして生まれるのであろうか。
この農家の地域の土は、同じ世田谷でもとりわけ土壌の豊かさで有名であり、隣接するほかの農家の大根も美味しいことは美味しいのであるが、この農家の大根の超絶した美味しさとは比べようがない。

妻が語る。

「土壌の良さプラス 作り手の人柄が出るのだろうね。」

私は大人になってもまるで子供のような性格で、初めて会った人とでも、旧知の間柄のように、無邪気に立ち話ができる。
この農家の婦人とも 無邪気に 立ち話をしたところ、私と同い年だということがわかった。

よし決めた、この農家とは親しくお付き合いして行こう。

長年、この界隈の農家を訪ね歩いているが、この農家の存在にはまるで気付かないで今日まで来てしまっていた。
実に迂闊だった。
灯台下暗しとはこのことか。

神様が引き合わせてくれたご縁だ、大切にして行こう。

冷蔵庫に大切に保管している 2本目の大根。
私には降って湧いたような宝物の大根。
食事のたびに輪切りの大根が楽しめる、これは人生の愉悦というものだ。

クリスマスも過ぎ、今日は12月26日、2本目の大根の残りもあとわずか。
3本目の予約の29日まで、大根はどうやら持ちそうもない。
妻にとっても 大根は欠かせないので、あす27日早朝にはもう1本手に入れることにしよう 。
この時期の農家の大根は、暮れも押し迫って、どこも予約を取れないほどに引っ張りだこなのだ。

27日早朝の8時半過ぎに、婦人の家に向かう。
幸いなことに、婦人は正門のところで来客の女性と 立ち話をしているところだ。
婦人に、これこれこういうわけで 是非もう1本分けていただきたいと懇願する。

婦人は困ったという表情で申し訳なさそうに言う。

「残りの大根は全て予約で埋まっていて、申し訳ないですが、もう1本も差し上げられないのです。」

立ち話の来客もすかさず口を挟む。

「確かに、こちらの大根はことのほか美味しいと 、近所の知り合いの人が言ってますね。」

来客が去ったあと、婦人とゆっくり話を交わす。
仕事は自分一人でやっており、こと大根に関しては、夏大根は作らず冬 大根 だけにしているのだという。
どうしてかと問うと「夏大根は甘みが少なく、水分も多くないですからね。」

作付けしている 畑を詳しく 案内してくれる。
ついでに 、今回作っている大根に使ったタネの袋を、わざわざ私に渡してくれたのだ。
袋の表書きには「耐病総ぶとりーース入りの心配がない、甘い 青首の最高峰!」と書いてある。

さらに袋の裏の詳細な説明書きを読むと、こう書かれている。

「特性ー耐病性が強く、早太りで、特にス入りが遅い良質の青首総太りだいこん。適期蒔きでは播種後60日から収穫出来、60日余日で根長38cm 、根茎 8cm 程度によく整う。 尻の肉付きが良く、揃いは抜群で肉質も上々で 市場性が高い。」

このタネの生産地を確認すると、オーストラリアとあるではないか。
オーストラリアといえば 、食の安全性では 太鼓ばんの国だが、そのオーストラリアでこの大根のタネは作られているのか。

このような次第で、この農家の大根は諦めざるを得ない。
幸いなことに、この婦人のところからさほど離れていない行きつけの人気の農家から、大根を かろうじて分けてもらい安堵する。

早速 持ち帰って味を比べてみる。
綺麗な小太りの出来で、見栄えは文句ない。
切ってみると水分は豊かで、婦人の大根に決して負けてはいない。

輪切りにして食べる。
繊維は細かくなめらかで、さすがの出来栄えだ。
だがちょっと私の舌には柔らかすぎ 、味もどこかのっぺりしている。
例の大根と比べると、繊維の立ち上がり感と味にパンチがないのだ。
これは味見して比べてみるからわかる話なのであって、初めて食べる人にとっては全く文句のない素晴らしい大根 なのだ 。
したがって輪切りして生で食べ ようとは思わない。
この大根は、スムージーや熱を加えた料理に使うことにしよう。

婦人の大根がなぜこうも美味しいのか、再考してみる。

使っているタネ、土壌、作り手の人柄。
色々考えてみてあたりはつけられるのだが、到底解き明かせるものではない。

婦人の話によると、この畑で取れる大根は200本 に満たないという。

それにしても、このような何とも美味しい大根を、わずかワンコインの100円で売ってくれるこの農家に、頭を下げるしかない。

待ちに待った12月29日、9時半に農家を訪れる。

タイミングよく、婦人が私のために大根を準備してくれている。
その大根のあまりの大きさに驚く。
予約した人には変なものは 差し上げられないとはこのことだったのか、ひとかかえもありそうなほどそれはそれは見事な巨大な大根なのだ。
しかも、大根を念には念を入れて梱包してくれているではないか。

まず葉の部分をビニール紐で結わえ、それをさらに新聞紙で包み、かつ新聞紙がほどけないように、丁寧にビニール紐で結わえている。
そして最後に大きなビニール袋に入れて両端の部分がほどけないようにビニール紐で結わえるという念には念の入れようなのだ。
これは最愛の我が子を手放す母の愛そのものではないか。

婦人が言う。

「もう1本 大根がありますが、持って行かれますか。」

私は2本の巨大な大根を自転車に積み帰宅する。
あまりにも大きいのでそれぞれの大根の寸法を測ってみる。
長さ45cm の大根と 40cm の大根。

45cmの大根を輪切りにして 食べてみる。
「そうだったのか、そういうことだったのか。」

食べて合点がいったのだが、1本目と2本目に頂いた大根とは程遠い味。
水分はかなりあるのだが、甘みが少なく辛味が舌先に感じられるというくらいになってしまっているのだ。
あの感激した味、水分と辛味と甘みの絶妙なコンビネーションが、崩れてなくなっている。

1本目と2本目の大根の長さは30cm くらいであっただろうか。

大根の美味しさは、まさに収穫の時期と密接な関係があるということを思い知らされる。
40cm の大根は 45cm の大根よりも生で食べても美味しいので、40cm のこちらをできるだけ生で食べてみよう。

私が大根をよもや生で食べていることなど、婦人は思ってもいないことであろう。
購入者のほとんどは、煮物や炒め物に使うのであろうから、大きい大根に越したことはないのだ。
それだからこそ、予約いただいた方には、婦人はそれこそ大きな大根を差し上げるのだろう。

ところが 我が家はというと、私と妻は生でこの大根を食べるのだ。
生で食べないと、この大根の本当の美味しさは理解できない。
作り手である婦人も、生で この大根を食べなければ、大根の本当の美味しさは理解できないはずなのだ。

来年の大根は婦人に相談し、 30cm ほどのやや 小ぶりのものをなるべく多く食べさせていただくことにしよう。
来年は思う存分大根を生で賞味することとしよう。

あの生で食べた2本の大根の美味しかったこと、生涯忘れられるものではない。
神様は、あのような美味しい大根を作り続けている人柄優れた婦人と、出会わせてくれたのだ。
そのことに感謝し、心からの讃歌を捧げることとしよう。

ー2024年(令和6年)12月28日 土曜日は晴れー


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