圓生師匠に見習って、120歳現役のエッセイを紡いでいきましょう
71歳、二刀流壁打ちテニスのエッセイストhideです。
私、落語が本当に大好きなんですよ。
なかでも、三遊亭圓生。
あのいぶし銀のような語り口に、私はすっかり惚れちゃいましたね。
毎日のようにスマホで聴き続けていたある時 、LINE で私の妹と三遊亭圓生について語り合ったんです。
「お兄ちゃん、私、昔その圓生のカセット買って聴いてたよ」
びっくりするじゃないですか。
なんだ、妹もやっていたのか。
「うふふ」と、二人で笑い合いました。
あの人の話芸は、やはり天下一品です。
そんな圓生の世界にどっぷり浸かったあと、私は古今亭志ん朝の華やかな話芸にも、心底魅了されていきました。
ほとんどの噺を聴きましたね。
ところが、私の心にどうしても一つ、引っかかりが残ったんです。
志ん朝師匠が、60歳ちょっとで亡くなってしまったということ。
あまりにも、もったいない。
飲む、打つ、買う。
私からすれば「やっちゃいけないこと」に身を投じて、その命を縮めてしまった。
もうあの落語を聴くことができないと思うと、なんとも悲しくなりました。
だからこそ、私はもう一度、三遊亭圓生という人に注目したんです。
あの完璧な話芸をずっと続けていくために、圓生師匠は飲む・打つ・買うを綺麗に退けて、徹底的な健康管理に邁進していった。
それを知って、私はガツンと目が覚めました。
三遊亭圓生師匠が得意とした古典落語の名作の『浮世風呂(うきよぶろ)』
おばあちゃんが今で言う銭湯の湯船に浸かりながら、綿々と、夢中になって、まるで子供のように一人でしゃべり続ける。
ふと気がついたときには、相手はいつのまにかいなくなっている。
あの間の取り方。
あの子供のような、ひたむきな、一人語り口。
なんという素晴らしさでしょう。
私は何回も何回も繰り返し聴いて、魂が震えました。
「私のエッセイも、ああいう風にやりたい。いや、やるんだ」と、聴くたびに思いが強くなるんですよね。
私の「二刀流壁打ちテニス」も、まさにその規律の実践なんですよね。
毎日2時間、壁打ち運動場で右手も左手もバックハンドだけで打ち続ける。
フォアハンドは体を硬くしますが、バックハンドは真逆です。
体を開いて、解放していく。
それによって、私の体はまるであのピノキオのように、肩関節が緩んでだらーんとしてきました。
腹筋も背筋も驚くほど鍛えられ、将来は口笛奏者としてもやっていける確信があるほどです。
私はもう一度、三遊亭圓生の落語を徹底的に聴き込みます。
自己管理を極め、命をコントロールした人の話芸が一体どんなものだったのか、この目と耳で再確認してみます。
それが、これからの私のエッセイの血肉になり、120歳現役の新しい表現を生み出す大きなヒントになると信じているんですよね。
(2026年5月28日 木曜日 曇り)
