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文学賞に落選した私が、1本の大根から学んだ「現実への謙虚さ」


要するに、現実に対して謙虚かどうかということなんですよね。

私はこの前、ある文学賞に『大根讃歌』というエッセイを応募したんです。
募集要領には「小説・エッセイ、どちらでも良い」と書かれていましたからね。
しかし、後から選考結果を調べてみると、入賞した3本はすべて「小説」だけということがわかりました。
しかも 選考委員は、手書き原稿大好きな、著名な小説家 1人だけだったんです。

架空の物語を自由に構築できる小説は、構成や展開で高い評価を得やすいんですよね。
悪く言えば、それは表現の名を借りた「現実の軽視」の何物でもありません。
要するに、小説の方がエッセイよりも、読んでいて「面白い」から評価されるということなのでしょう。

けれど、私はある大根との出会いを、必死になって書いたんです。
私にとって、それは奇跡の大根でした。

この村に住み始めて、もう15年になります。
あの日、あの時、あの道を通らなければ、その農家の大根とは出会っていませんでした。
15年間、一度として食べたことがなかった農家の大根。

その大根は私と同い年の71歳の農家の婦人が、一人で作っているんです。
とにかく人気の大根で、手に入れるのが一苦労なんですよね。
彼女は冬大根しか作っていません。
冬大根が一番美味しいからです。
この季節の大根に彼女は こだわっているんです。
使っているタネの袋を見た時、私は彼女の心根を知ることができました。
あの食の安全で名高い、オーストラリア産の種を使っていたんですね。
あの大根の新鮮さは唯一無二、それで納得が行きます。
そのタネ、苦心して手に入れたようです。

「よく出会ったなあ、その農家の大根と」と、つくづく思いました。
神様がとっておきに準備してくれた出会いだったんですね。

出会った翌年、2年目には、5本も購入できたのでした。
彼女に言いましたよ。
「今年も何としてでも5本は購入させていただきますよ」
彼女、笑っていました。

ただそれだけのことだったんですけれどもね。

けれど私は、子供のように必死になってその事実を書き留めました。
どうも審査員にとっては、あまり面白くもなく、興味も湧かなかったのでしょう。
私には貴重な教訓になりましたよ。

現実に対する謙虚さが、私とその小説家である審査員とでは違っていたということでしょうか。
どうもそう考えても良さそうですね。

それがわかったからこそ、私は今、猛烈な勢いでこのnoteにエッセイを配信しているところなのです。

(2026年5月24日 日曜日 曇り)


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