木製の椅子と、備長炭の水筒を持って。
今年の春、新しくオープンした街の公共図書館へ足を運んできました。
実はこの図書館、計画の段階では予算や規模が縮小されると聞き、私自身、少し心配していたのでした。
さらに、一階の広大なスペースにカフェが併設されると知った周辺の住民からは、「なぜ税金を使ってそんな贅沢な空間を作るのか」と、当初は少なくない批判の声も上がっていました。
けれど、実際にこうして足を踏み入れてみて、その不安は心地よい感動へと塗り替えられていきました。
そこには、ありとあらゆる分野の雑誌が、カフェの空間を取り囲むようにずらりと美しく並んでいたのです。
文字をじっくり読むのではなくて、その時の気分に任せて雑誌のページをさささっとめくっていく。
美しい写真と言葉の断片を眺めているだけで、知的で豊かな潤いがじわじわと心と体の奥底に染み渡っていくのがわかります。
見渡せば、黒い帽子をかぶったお洒落な装いの女性が、コーヒーを片手に優雅に雑誌をめくっています。
その一方で、私のように気楽な格好の人間が、そのすぐ近くで思い思いに自分の時間を過ごしている。
私の身内からは「これじゃあ子どもたちが自分も飲みたくなって困るのでは」というリアルな心配の声もありましたが、実際にその場に身を置いてみると、不思議なほど誰も気にならず、自由な空気が流れていました。
お茶を飲みたい人は注文すればいいし、節約家の私としては、カバンから我が家で備長炭を使ってろ過してきた自慢の水筒を取り出せばいい。
高級な一杯を楽しむ人と、自分の手で備長炭を使って丁寧に汲み上げた水を飲み、暮らしの細部を味わう私。
その多様な生き方が、この広々とした空間の中で、誰に遠慮することもなく等しく共存している。
木の温もりが残る階段を一段ずつ踏み締めながら上の階へ上がっていくと、周りにぐるりと配置された木製の椅子たちが目に飛び込んできます。
見渡せば、ずらりと並ぶ本棚も、そして足元に広がる床一面も、すべてが美しい木のトーンで統一されていました。
実際に椅子に座ってみると、木肌の温もりが体に馴染んで、心がすっと落ち着いていきます。
私は以前、夫婦でオーストラリアのメルボルンにある「世界一美しい図書館」を訪れたことがあり、そのとき座った伝統ある木製の椅子の素晴らしい感触を、今でも鮮明に覚えていて、「ああ、この図書館は、メルボルンのあの図書館をお手本にしたのだ」と、心の中で確信したのでした。
この椅子の下には荷物をそっと置いておける袋があり、テーブルの奥には充電用コンセントが設置されています。
きっと、この空間をデザインした設計者は、あのメルボルンの美しい思想を取り入れ、図書館を訪れる人のための「生きた居場所」を作ろうとしたに違いないと、私は想像するのです。
この図書館の木製の椅子に座るたびに、私はあのメルボルンの図書館の椅子を思い出すことでしょう。
――そして、この空間に込められた優しい思いやりは、建物だけでなく、そこで働く人の心にも確かに息づいていました。
昨日は、この図書館の窓口の司書さんに、ある批評家の本を予約してもらいました。
私はスマートフォンの操作がそれほど得意ではなく、画面を見せながらおずおずと尋ねたのですが、司書さんはとても優しく、懇切丁寧に対応してくれました。
私のスマホの画面をのぞき込み、カウンターのパソコンであっという間に手続きをやってくれたその素早さと、温かい応対。
デジタルに弱い私のような人間にもそっと寄り添ってくれるそのぬくもりに、私の胸はじっと熱くなるのでした。
しかし、この図書館の「生きた居場所」としての真価は、さらに上の階に隠されていました。
この建物の本当の凄みは、建物の裏側に広がる切り立った公営の公園との、見事な「合体」にあります。
一階の駐輪場から見上げると、公園の切られた崖のような断面が、建物の背後に高々とそびえ立っています。
自然の荒々しい土壌と、現代的な建築の境界線を、いかに安全に、そして美しく融合させるかという、ものづくりの執念のような工事の凄みが、その断面からひしひしと伝わってくるのです。
しかし、予算や規模が縮小されたにもかかわらず、なぜこれほど豊かな広がりを感じるのでしょうか。
その答えは、最上階の三階にありました。
そこからは、あの切り立った公園の緑に向かって、一本のしっかりとした「架け橋」がのびていたのです。
その橋こそが、予算の制限を鮮やかに飛び越える、設計者の見事な知恵でした。
限られた建物の枠内にすべてを閉じ込めるのではない。
裏山の広大な自然をそのまま図書館の空間として「お借り」し、取り込んでしまう。
この大胆な構造によって、敷地以上の圧倒的な開放感が生まれていたのです。
公園側からやってきた親子連れが、ニコニコしながら図書館の中へ誘(いざな)われます。
入り口の手前には、100%自然の土を踏んできた靴の泥を落とすためのギザギザのマットが置かれ、その上、頑固に付着した泥を洗い流すシャワーの設備もあって、なんとも至れり尽くせりの、考え抜かれた設計なのです。
図書館を訪れ、豊かなひとときを過ごした人が、本を小脇に抱え、三階の橋からあの裏山の公園へと出ていきます。
緑豊かな公園には、様々なところにベンチが置かれています。
今度来るときは、私も、その公園のベンチで、図書館から借りた本をひもどくこととしましょう。
そんなことを想像するだけで、胸の奥がじんわりと温かくなります。
三階の緑から、今度は一階の外にあるテラスへと戻ってきました。
そこには、驚くほど広々とした、開放的な屋外デッキの空間が広がっています。
温かみのある床一面の木の上に、ぽつん、ぽつんと置かれた、真っ白な椅子。
上を見上げれば、吸い込まれそうなほどの空が広がっています。
今の時代ですから、こんな屋外のテラスでもスマホが使えるし、Wi-Fiだって心地よくつながります。
けれど、ただ便利だからいいのではないのですね。
この広い空の下、木の床の温もりを感じながら、白い椅子に深く腰掛ける。
その瞬間の静かな心地よさが、たまらなく愛おしいのです。
名もなき職人の「生活の道具」に美を発見した柳宗悦のように、私はこの新しい図書館の、椅子の一脚、ドアの一枚、あるいはソファーなど、すべてのディティールに宿るぬくもりが、限りなく愛おしくなるのです。
先ほど触れましたように、この図書館ができるとき、予算の関係で規模が縮小されたと聞き、少し心配していました。
しかし、実際に出来上がってみると、不思議なほど広がりを感じさせる、見事なまでの「空間把握」のデザインです。
図書館の後ろに控える広大な緑の公園を取り込んだデザインこそは、実は「誰も排除しない、開かれた居場所」を作るための人間の知恵であり、知性だったのだと気づかされ、深く感銘を受けました。
私がこれまで日本で見てきた数多くの図書館の中でも、間違いなく、最も魅力的なディティールに満ちあふれた場所です。
私たちが納めた大切な税金を、一体どこへ投入すべきなのか。
このような、しっかりとしたデザイナーの手によって、誰もが等しく幸せで豊かな時間を過ごせる公共の場所を作ることにこそ、使われるべきではないのか。
これからの日本の図書館こそは、このような思いに至らせる、素敵な、血の通った空間にしていくべきだと、私はつくづく感じたのでした。
今度来るときは、とっておきの5種類の野草茶をブレンドして持ってきてもいいかなぁ、なんて思っています。
