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光を浴びて世界と繋がるエッセイ――71歳、激坂を登りきる体力で紡ぐ。

最近、YouTubeのインタビューで芥川賞作家の田中慎弥さんのお姿をよく拝見します。

田中さんは幼い頃にお父様を亡くされ、お母様が女手一つでまじめに働き、家計を支えてこられました。

彼は大学受験に失敗したあと、アルバイトすら経験せず、30代を過ぎるまで長いあいだ家に閉じこもる生活を送っていました。

生きるために何かをしなければならないけれど普通の就職はできず、かといって書きたいものがあったわけでもなく、ただ好きだった谷崎潤一郎などの文章をひたすら書き写すことから彼の創作は始まったそうです。

自分はもう結婚もしない、子供も作らないと決意し、一時は自殺まで考えたというその過酷な日々のなかで、彼は文学という一本の糸をたぐり寄せていきました。

お母様は彼に普通の生活者になってほしいと願い、芥川賞を受賞しても決して手放しで喜ぶそぶりは見せなかったと言います。

けれど、働かない息子を無理に追い出さず、30代半ばで作家として世に出るまで黙って小説を書かせ続けたその背景には、計り知れないほどの深い愛情と忍耐があったはずです。

そんな田中さんはあるインタビュー動画のなかで、母はあまり私の小説を積極的に褒めてはくれなかったですねと回想していました。

お母様は彼に、もっと読みやすいものを書けばいいのにとか、明るい話を書けばいいのにと言っていたのだそうです。

インタビューの映像を見ていると、聞き手もお母様の真意がわからず、ただ受賞を褒めてくれないお母さんとして、双方がトホホなやり取りを続けているように私には見受けられました。

このインタビュー動画を見ている世間の多くの人々も、なぜお母様がそんな言葉を放ったのか、動画のふたりと同じく、その本当の理由に気づかないのかもわかりません。

そういえば、私がエッセイを「書いている」と言ったとき、妻がその言葉に違和感を示したことがありました。 

自分の中からひねり出すのが「書く」なのであって、天からのインスピレーションを受け取って表すのに、「書く」はおかしい、と。

そのときの妻の言葉が、なぜだか今、鮮やかによみがえってくるのです。

インスピレーションをいただいて「紡ぐ」というのが、正解なのかもしれません。

だからこそ、私はそのお母様の言葉を聞いたとき、そのお気持ちが痛いほどわかりました。

ああ、このお母さんは私と全く同じ視線で息子を見つめていたんだなと、胸の奥が熱くなるほど確信したのでした。

世間の人々も、インタビューの聞き手も、そして息子である田中さん本人でさえも、芥川賞という最高の栄誉を前にして、お母様の態度にどこか寂しさを感じていたのかもしれません。
けれど、お母様が本当に見つめていたのは、そんな大人の商業ベースが作り出した【この世の栄光】などでは決してなかったのです。
お母様は、何よりも息子の【魂の救い】を願っていらっしゃったのです。

息子が自ら閉じこもっている暗闇の世界から抜け出し、普通の生活者として、この明るい世の美しいディティールの光を浴びて、その魂を輝かせてほしいと、一心に祈っていたはずなのです。

田中慎弥さんはそんな閉じた世界のなかで、一生懸命に自分なりの人生を生きようとしています。

それを見ていると、なんだか切なくなると同時に、私はどうしても思ってしまうのです。

世界に散らばる美しいディティールに気づき、ただそこに身を置くだけで、私たちは豊かな感動を味わえるはずなのだと。

さらに田中さんは、パソコンを頑なに拒み、鉛筆で原稿用紙に書くことに猛烈にこだわっている人のようです。

「指を動かして、遠い画面に文字が出てくるのは違和感がある。文字は自分の指先から出てくるものだ」と、彼は言います。

そのストイックなまでの職人気質には深く敬意を覚えますが、そのこだわりの感覚を見つめていると、ふとこんな思いが湧き上がってくるのです。

言葉というのは、指先からひねり出すよりも、口から直接発する方が、もっと心と直結していてストレートなはずだ、と。

指で一文字ずつ綴るよりも、口から溢れ出る言葉の方がもっと切実に、人間の生きた感情がダイレクトに伝わるという、その瑞々しい感覚は、今の彼の閉じた世界においては存在しないのかもしれません。

違う観点から、田中さんの生い立ちをひもといてみると、彼はスポーツの楽しさを経験してこなかったようですね。

スポーツの楽しさを知っていたならば、創作に向かう姿勢はもう少し違うものになっていたかもしれません。

というのも、私の今のエッセイの創作のエネルギーは、あの毎日2時間の二刀流壁打ちテニスで蓄えられたと思えて仕方がないからなのです。

「光のもとで培われた体力!」

私のエッセイは、暗闇の世界ではなく、光の世界でこそ、「読みやすく、明るい話」として綴られるのです。

私の通い慣れた30分の自転車コースに、大きな坂道が2つあります。

1つ目の坂はまあまあ楽なのですが、もう1つの坂はかなりきつくて、普通の人は途中で降りて、自転車を押して歩くほどです。

実は60代の頃の私も、そのきつい坂の真ん中あたりで諦めて、自転車を引っ張って歩いていました。

今の若い40代や50代の人でも、もしかしたら登りきれないかもしれない、それくらい厳しい坂道なのです。

しかし、毎日の「二刀流壁打ちテニス」で下半身をしっかり鍛え上げた今の私は、まったく違います。

ノロノロとではあっても、自転車を降りることなく、十分な筋力だけで最後までぐんぐんと登りきれるのです。

いや、むしろそのノロノロとしたペダルの重みこそが、今の私の楽しみなのかもしれません。

そうして体力にほんのちょっとのゆとりがあるからこそ、通り過ぎる街の看板や道端の可愛いお花、お店の絵の一枚一枚まで、視野を広く持ってのびのびと眺められるのです。

そう、この目に入る愛おしい景色のすべてが、私のエッセイの源泉である「ディティール」そのものなのです。

まさに「人生は体力だ」と言いたくなるような完璧な体力を、私は71歳にして自分のものにしています。

その30分の自転車コースの風景の一つに、よく利用する図書館があります。

体力的にも精神的にも余裕のある私は、風景の一部である図書館を見やり、ふと思いつくのです。

「そういえば、最近書いたディティール論のエッセイ、あれこれ配信し、自分でも少し煮詰まっていたな。あの文芸批評家の柄谷行人さんの本を借りて、執筆の合間につらつら読んでみようか」と。

自分からテーマを絞り出す田中さんとは違い、私には神様からのインスピレーションで、向こうから勝手に「今が本を借りるチャンス」という、こんなテーマが降り注いでくるのです。

私は図書館に立ち寄り、係の方に、「できるだけ見つけてほしい」とお願いして、書棚からなんと10冊もの柄谷行人さんの本を探し出してもらいました。

ずっしりとした重みの、借り出した本を自転車に積んで、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で家に帰ってきたのです。

これだけの本をまとめて借りてじっくり読んでみようと思いつくのも、すべては心と身体にしっかりとした余裕があるからこそです。

そんなゆとりのなかにいる私は、ふと、おせっかいな妄想をしてしまいます。

もし叶うなら、あのしかめっ面の田中さんを私の通うグラウンドへ連れ出して、一緒にあの二刀流壁打ちテニスをやってみたいなぁ、と。

そんな風に、世界に満ちている光をただ浴びる心地よさを、彼にもいつか味わわせてあげたいと、どうしても思ってしまうのです。

あれこれと色々なことに関心を持って、のびのびと人生を楽しめている自分の健やかさが、なんだかとても愛おしくなります。

自分を追い込んで書くのではない、外から注がれる豊かなエネルギーに生かされながら、今日も私は心と直結した楽しい言葉をのびのびと紡いでいきます。

















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