旧西ドイツ製のツァイスの双眼鏡になって、私はエッセイを綴ってゆこう

私はこの名機の眼となって、
120歳現役のエッセイを綴ってゆく 。
思わずワンコインで手に入れてしまった、ツァイスの名機。
東西分裂の時代に、旧西ドイツの職人たちが魂を込めて作った双眼鏡です。
実はかつて、ある個人宅の玄関先で「持って行ってください」とカゴに置かれていた、大きな日本製の双眼鏡がありました。
それも縁あって私の手元にあり、大切に持っているのです。
けれど、リサイクルの店でいただいたこの西ドイツ製の双眼鏡は、全く違いました。
初めて月を見たとき、私は本当に驚いたのです。
月が、こんなにはっきり見えるの、なにこれ……。
世の中には、一見して派手で華麗な、見栄えの良いものたちがたくさんあります。
素人の人は、そうした目立つものに目を奪われるかもしれません。
けれど、私ははっきりと分かりました。
この西ドイツ製のレンズが映し出す月の映像は、あの六代目・三遊亭圓生の落語と、ぴったり重なるのだと。
一言の無駄もなく、ディテールが完璧に、美しく埋め込まれたあの至高の落語。
覗いているという感覚が消えて、月面の細部がすぐ目の前にあるような、あの惚れ惚れする構築美と同じなのです。
前は、この双眼鏡で見ながら、月の地図を色々と調べたこともありました。
海のなまえ、クレーターのなまえ。
けれど、もうそんなことはやめたのです。なまえなんて、どうでもいい。
全体をただ、なまえのない状態であちこち眺める。それだけで、私は幸せになります。
なまえを覚えることは、本質的な問題ではないのですね。
細部の美しさにただ目を奪われ、その手触り感を、目で体験して、体の中に入れていく。
この感覚こそが、何よりも大切なのです。
私はこれから、百二十歳現役のエッセイを延々と続けて書いていこうと思います。
この西ドイツの名機のように 、ディティールを細かく、きれいに埋め込んで。
(2026年5月29日 金曜日 曇りのち晴れ)
