この熱量は自分でも手に余る ――71歳、マグマの正体
71歳、二刀流壁打ちテニスのエッセイストhideです。
最近なんか、マグマのように煮えたぎっているんですよね、心の中が。
どうしようもない熱量を感じるんです。
吐き出し口が見つからないもどかしさ。
その吐き出し口を求めて、noteのコンテストに応募したんですよね。
いよいよ5月末と6月末に結果が出ます。
でも、それも一つの工程にすぎないんですよ。
目指すはもっと先、120歳現役のエッセイストなんですから。
去年から今年にかけて、文学賞のエッセイに応募したのも、すべてはこのドロドロしたマグマの仕業でしょうね。
とにかく、吐き出さなければどうしようもないのです。
日々のエッセイだって、240日以上の連続投稿ですよ。
何か知らないけれども、メラメラしていますよね。
エッセイのテーマも、もうその時のインスピレーションで、これやっちゃおうかということでどんどん書き連ねるんですよね。
面白くて感動することが、あらゆる方向から流星のように飛び込んでくる。
私の心の中に、押しかけてくるんですよ。
そのマグマの正体が、最近ちょっと分かってきたんです。
私は、相手が人であっても、花や虫であっても、切ないと言うか、心の悶えの「一対一の関係性」を求めていくんですよね。
相手と徹底的に話し込むんですよ。
私は聞き役に徹しますよ、その時は。
ふむふむ、なるほどなるほど、そういうことね。
相槌を打ちながら関係性を保ち、一片のエッセイを綴るんです。
例えば、いま流しているひらがなの「どくだみ」シリーズ。
昔は臭くて根絶やしにするのも大変な、みんなの嫌われ者でしたよね。
10人いたら9人は嫌い、私もその一人だったんです。
だけど、体にいいとお茶にしたら、美味しいのを通り越して大大大好きになっちゃった。
南の庭にいっぱい咲いているどくだみを、この前、蕎麦に載せてみたら実にうまかったんですよ。
今日も暑いので、蕎麦にしてみます。
今度は、家内の大好きなスムージーに挑戦してみましょう。
首の細長いガラスの花瓶にどくだみの花を生けて、徹底的に一対一の関係を持ちます。
人間だってそうじゃないですか。
壁打ち運動場に行くと、決まって親しく目と目を合わせる相手がいるんです。
小学3年生のスケガワ君。
彼は仲間たちと野球、私はそこで二刀流壁打ちテニス。
なかなか一対一は難しいんだけれども、もう1年の間柄ですからね。
スキマ時間を狙って話をするし、彼はnoteのコンテストの結果も気にかけてくれている。
昨日は彼らの野球に入っていって、1球ボールを打たせてもらいました。
三塁へのファウルで終わりでしたけれどもね。
彼との関係性も、一対一を極めていくんですよね。
狙いを定めると一直線に行っちゃうんですよ。
最近はバラかな。
神代植物公園に行かなくたって、近所の家々のバラを見ることができるじゃないですか。
あのロンサールのピンクのバラ、同じロンサールのルージュのバラもありますよね。
あっちこっちの家に見かけるので、集中して一対一の関係を作っていきますよ。
こんな風に、一対一の関係を徹底的に求めていく。
そうすると、人生が濃密になるじゃないですか。
宇宙に自分が参加するんですよ。
宇宙の、そういう一つ一つ対面したものの秘密も、だんだんわかってきますしね。
私にとって「概論」じゃダメなんですよ。
最初から「各論」。
もうこれ面白いな、これいいなあ、そんな塩梅ですよ。
私はこの世に命を与えられて71年間生きてきました。
だけど、まだ生まれたての赤ちゃん、子供のままの新鮮な、ピチピチの感受性で私は生きているんですよ。
だから、年を取らない。
どうしようもない内なる、子どもの自分のマグマ。
これがある限り、私は書き続けるんでしょうね。
(2026年5月18日 月曜日 晴れ)
