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直径2センチの奇跡――120歳現役の超人と、6歳の人格者との一期一会

「ただのエッセイではない。これは新しい時代の表現だ」と掲げる、エッセイストhideです。

私は毎朝、壁打ち運動場に出かけては、2時間たっぷり「二刀流壁打ちテニス」で爽快に汗を流しています。それも、普通のフォアハンドは一切しません。あのロジャー・フェデラーのような美しい片手バックハンドを、右でも左でも流麗に操る特化型のスペシャリスト――それが私のスタイルです。

なぜフォアハンドをしないのか。フォアハンドは体を内側に巻き込むため、どうしても筋肉を固くしてしまいます。しかし、左右の片手バックハンドを徹底して繰り返すことで、体は外側へと心地よく開かれていく。肩関節や肩甲骨がゆるゆるに解き放たれ、上半身の筋肉は驚くほどしなやかになるのです。もちろん、下半身は絶え間ないステップによって強固に鍛え上げられます。

朝の6時半になると、そのグラウンドには近所のシニア層が40人も集まり、ラジオ体操が始まります。仲間たちと気さくにお喋りを楽しむ時間は確かに素晴らしいものですし、私もたまにはその輪に入って友達として言葉を交わします。しかし、彼らがやるような「ラジオ体操をやっていれば安心だ」という生ぬるい考えに、私が陥るわけにはいかないのです。

私がここで2時間テニスに没頭する理由。それは、「120歳現役」を真剣に目指しているからに他なりません。去年の8月からnoteでエッセイを配信し始め、すでに1200本をこの手で叩き込んできました。肉体も、精神も、120歳まで現役であり続けるための闘いは、もう始まっているのです。

今日も時計の針が朝の8時を指すまで、私は限界を超えてその二刀流壁打ちテニスをやり切りました。

そろそろ切り上げようかというその時、公園の水飲み場の近くに、顔なじみの38歳のカメラマンのお父さんと、その息子さんの姿が見えました。こちらから声をかけて友達になったあの素敵な親子ですが、今日は4歳の弟さんはお留守番のようで、6歳の小学1年生のお兄ちゃんと二人で、何やら熱心に話している最中です。私は彼らのもとへそっと駆け寄って挨拶をしました。

お父さんは私にとって、いつも若々しくエネルギーにあふれた、みずみずしい好青年なのですが、今日初めてじっくりと言葉を交わした6歳の息子さんは、お父さん以上に魅力的な輝きを放っている少年でした。「お父さんと私はお友達なんだよ」と私が声をかけると、彼は「へえ、そうなの」という顔をして、まるで珍しい生き物でも見るかのように私をまじまじと見つめました。

それから彼は、お父さんの方をちらりと振り返り、「この人がお父さんのお友達なんだね?」と確認するように視線を送ったのです。その仕草には、ただの子供らしい好奇心だけでなく、お父さんへの敬意をきちんとわきまえた、どこか大人のようなゆとりの表情がありました。6歳にして、自分の世界とお父さんの世界をしっかり地続きで捉えているその姿に、私は直感したのです。この子は、私にとってお父さん以上にとてつもなく重要な「人格者」なのではないか、と。彼は年齢で私を差別することなど一切せず、一人の人間として真っ向から対等に私の懐へと入ってきた。その真っ直ぐで正直な目が、すべてを物語っていました。なんでも対等に話せる本物の人間に、私はここで出会ったのだと胸が熱くなりました。

そうしているうちに、彼は人懐っこい笑顔を浮かべて、「これ知ってるかい?」と嬉しそうに声をかけてくれたのです。

何だろうと思って覗き込むと、彼は地面を指さして、「この穴、見てみてよ」と私の顔を覗き込んできました。見つめたその足元の地面には、確かに小さな穴がぽっかりと空いているじゃありませんか。「これね、セミの穴なんだよ」と彼は得意げに教えてくれました。立派な上半身を切り落とされ、大きな地肌を晒したけやきの周りには、ここにも、あっちにも、向こうにも、たくさんの穴がポコポコと空いています。

「これ、みんなセミの穴なんだ」と、少しの尊大さもなく、一人の対等な人間に教えるように真っ直ぐ胸を張る少年を見つめながら、私は「えっ、これってセミの穴だったのか」と心の中でハッとさせられました。これまで何度も何度もこのけやきの切り株の横を通り抜けてきたというのに、私は今の今まで、その足元の秘密を全く知らずにいたのだと、自分の無知を突きつけられたような思いがしました。同時に、あの真っ直ぐで正直な目でこんな素敵な世界の秘密を教えてくれた6歳の小さな人格者に対して、心の底から愛おしさと嬉しさが湧き上がってきたのです。私はすぐさま心に決めました。「よし、今日はこの素晴らしい相棒と思いっきりテニスをして遊ぼう」と。

お父さんにも「これ、知ってましたか?」と聞いてみると、「いやあ、私も知りませんでした。この子に最近教えてもらったんですよ」と照れくさそうに笑っています。

すると少年がまた、「お父さん、今スマホ持ってないの?」「じゃあ、調べられないね」と残念そうな口ぶりです。なるほど、スマホがないから、本当かどうか今すぐ確かめられないのか。それなら後で私が家に帰ったら、スマホのAIに聞いて確認してあげよう――そんなことが頭をよぎり、私は彼らと話をしているすぐその隙に、手元のスマホを取り出して地面の穴をパチリと写真に収めました。それだけではなく、持っていたメジャーをさっとあてて、その場ですぐに穴の寸法を測ってみたのです。

直径、ぴったり2センチ。今度書くエッセイのサムネイル写真にしようというひらめきとともに、私はその「2センチ」という数字を、しっかりと頭に刻み込みました。

写真を撮り終えると、私はお父さんに「息子さんと一緒にテニスをしてもいいですか?」と尋ねました。お父さんは「今日は時間があるから全然大丈夫ですよ」と快く応じてくれ、私たちは自然な流れのまま、すぐ隣にある壁打ち運動場へと一緒に移動していきました。

お父さんは私たちが壁打ちをやっているすぐ後ろの方で、ニコニコと嬉しそうにこちらを見守っています。少年は初めて触るテニスラケットとボールを、本当に珍しそうに、小さな手でしっかりと握りしめました。

「いいかい、好きにやっていいんだよ。勝手に打ってみな」と私は声をかけ、隣でポンポンと見本を見せながら打ち始めました。さすがに6歳の小学1年生ですから、大人用のラケットは大きくて重く、扱いづらそうにしています。

ボールを壁に打ってもラケットの面がブレてしまい、1回、2回となかなか続きません。けれど、ちっちゃな体で一生懸命にラケットを振り回し、何度もボールを追いかけています。ここは手出しをしないで、勝手に、自由にやらせてあげよう――私は隣で見本を見せながら、心の中で彼のがんばりを応援していました。とはいえ、やはり初めての壁打ちは少し難しすぎるかもしれないなと、私はすかさず次の手に出ることにします。

「じゃあね、今度は僕の真似をして、ボールをラケットの上でポンポンと上についてごらん。裏も表も関係ないから、やりやすいようにやってごらん」と、今度はリフティングを教えてあげたのです。

私がお手本を見せてあげると、少年はすぐにコツを掴みました。壁に打つよりもずっと楽なのが分かったのでしょう、ラケットの上で、ボールが2回、3回、4回と心地よく弾みます。

「これを朝まで続けられたら、もう一流の選手になれるからね」と、私が茶目っ気たっぷりに言うと、後ろで聞いていたお父さんが、さすがにこらえきれずにっこりと笑いました。リフティングを楽しんだあと、私たちはまた壁打ちのコートへと戻り、さらに夢中でボールを打ち続けました。

「勝手に、楽しくやっていいんだからね」と声をかけながら少年の姿を見ていたその時、私の胸の奥に、ある素晴らしいアイデアがひらめいたのです。私は後ろで見守っているお父さんの方を振り向き、「あの、失礼ですが、テニスラケットを差し上げましょうか」と言ってみました。

するとお父さんは本当にびっくりした様子で、「いえいえ、そんなことめっそうもない」というように、慌てて遠慮し始めたのです。あぁ、これは遠慮しているなと、私はお父さんのその表情から、一瞬にしてそう判断しました。

まだお互いに出会って4回目くらいの間柄なのですから、いきなりラケットをくれると言われても、面食らってしまうのも無理はありません。けれど、このお父さんが濁りのない自由な精神の持ち主であることを見れば、絶対に喜んで受け取ってくれるはずだと、私には確信がありました。「大丈夫ですよ、私が今使っているこれじゃなく、家で眠っているお蔵入りのものですから、全然構わないんです。それじゃあ、2本差し上げますよ」とダメ押しします。お父さんの遠慮がちだった表情が、ここでさっと変わりました。「4歳の弟さんもいらっしゃるじゃないですか。ご家族みんなでテニスをやってみたらどうですか」と畳みかけたのも見事に功を奏し、お父さんはもう、晴れやかな嬉しそうな笑顔になっていました。

6歳の彼が、その「ラケットをあげる」という会話を聞いていたのかどうかは、ちょっと忘れてしまいました。けれど、実際にラケットを手にしたら、きっと飛び上がって喜んでくれることでしょう。そんな風に、朝の眩しい光の中で、私たちは壁打ち運動場で最高の時間を分かち合いました。そろそろご飯を食べに帰らなくちゃいけない時間だということで、8時半頃に、その親子は笑顔で仲良く帰っていきました。

家に帰った私は、早速、スマホに向かってAIの相棒にあのセミの穴の事実を問いかけてみました。すると、セミの幼虫が土から出てくる穴の大きさは、大体1.5センチから2.5センチほどなのだという、完璧な裏付けの答えが返ってきたのです。現場で私が記憶したあの「2センチ」という数字は、間違いなく本物のセミの穴の大正解でした。それと同時に、私の胸の奥には、なんとも言えない猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきたのです。71歳にもなる大人の男性が、セミの穴の存在すら知らずに、よくぞこれまで平気な顔をして生きてこられたものだ、と。

というのも、AIに尋ねてみると、私たちのシニア世代というのは、子供の頃はみんな泥んこ遊びをして、自然に囲まれて育った世代なのだから、同世代の7割近くの人はこの穴を当然のように知っているはずだ、という非情なデータまで突きつけられたのでした。なんて自分は無知なんだろうかと、本当に背筋がヒヤヒヤする思いがしました。他人の用意したブランドや意見を、上から目線で定点観測している暇など、私には1ミリもありません。世界には、私の知らない足元のディテールが、まだこんなにも転がっているのですから。

けれど、ハッと気がついたのです。無知だったことは恥ずかしいけれど、でも、今日あの6歳の少年に教えてもらったおかげで、私はまた一つ世界の秘密を知ることができたんだ。これって、日常がハッと揺らぐような「本物の体験」がここにあるということではないか、と、なんだか嬉しくなります。

彼が教えてくれたのは、セミの穴だけではありません。私を年齢で区別せず、対等な一人の人間として真っ向から向き合ってくれたあの真っ直ぐな瞳。スポーツの技術だけでなく、人間同士として本音で語り合える、彼こそが私にとって最高の「生涯の相棒」なのだと確信しました。

そう思うと、家に戻ってラケットを探す私の手にも、新鮮なワクワクが込み上げてきました。家で眠っていたラケットを調べたら、十分に使えるスペアが5本ほど並んでいました。私はその中から、あの親子にぴったりの状態の良い2本を心を込めて選び出します。

さらにその時、家の北側の部屋から、もう一つのものが目に飛び込んできました。丸い、サッカーボールです。

「そうだ、これを持って行こう!」
ひらめきが胸を叩きました。あの6歳の人格者は、小学1年生とはいえ、私が本気で、真剣に遊べる対等な仲間です。テニスだけじゃない、今度はこのサッカーボールも持って行って、一緒にグラウンドを駆け回ろう。

私の頭の中には、早くも最高のイメージが鮮やかに広がっています。清々しい朝のグラウンドで、私はあの家族と一緒に、子どもたちの後を「キャッキャ」と叫びながら追いかけ、夢中になって駆け回ります。周りから見れば、私はただの「よそのおじいちゃん」かもしれません。けれどその瞬間、私は年齢の壁を完全に取っ払い、まるで彼らの家族の一員になったかのように、一人の子どものようになって本気で笑い合っているのです。

今度このラケットとボールを持っていったら、あの少年とお父さんは、一体どれほど目を丸くして喜んでくれることでしょう。この眠っていた道具たちが仲立ちとなって、あの素敵な家族とは、これからもきっと家族ぐるみで、長く親しく付き合っていけるに違いありません。

小さな子供の目線になってものを見る、その瑞々しい感性を私も彼から分けてもらい、もっともっと子どものようになって輝きながら、私は「120歳現役」へ向かって突き進んでいく。私の胸にはしみじみとした温かい幸福感が、心地よい余韻となってどこまでも広がっていくのでした。


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