「9時30分の攻防」〜50円のカゴをめぐるせめぎ合い〜
みなさんは、最近何か新しい発見をしましたか?
71歳になった今でも、世界にはまだ私の知らないことがたくさん隠れている。今朝、私はそんな新鮮な驚きに満ちた、まるで宝物のような時間を過ごしました。
今日も早朝から元気に壁打ち運動場に立ち、二刀流壁打ちテニスに汗を流していました。それも、憧れのフェデラーの片手バックハンドを、右の手でも、左の手でも、十分にそれをやって、時間を忘れてボールを叩きつけていたのです。気がつけば、もう時計の針は9時20分になるな、というところでした。そろそろ出かけなくちゃ、とラケットを仕舞い、自転車に飛び乗りました。目指すは、ここから自転車ですぐのところにある、朝の9時30分オープンの農家さんの野菜売り場です。
そこには、訳ありの新鮮な野菜を1袋50円という破格で売ってくれる、私の大好きなコーナーがあるのです。
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ところが、9時30分ちょうどに到着してみると、私の前をひとりのお年寄りの女の人が、その売り場に向かって急ぎ足で歩いていく姿が見えたんですよね。おそらく70代後半から80代くらいのお婆さんでしょうか。「あっ、あの人も9時30分を狙っているな。負けられないぞ!」そう思って、私は後から自転車で猛烈にスピードを出して漕いで行ったんです。ところが、なんということでしょうか。結局、彼女の方が早かった。私は負けちゃったんですよね。
しかも、競うようにして辿り着いた9時30分のその売り場には、なんとまだ何にも並んでいなかったのです。彼女は本当に残念そうに、私に向かってこう言いました。「いやぁ、まだ並んでいませんね……」9時30分ぴったりなのに、野菜が並んでいない。やっぱり今日も遅れているのかなぁ、残念だなぁと彼女と挨拶を交わし、彼女はそのまま自分の生活の中へと戻っていきました。ついにそのまま、二度と現れなかったのかもしれません。
目当てのものが何もないので、私は一度そこを離れ、野川沿いにある行きつけの野菜売り場へと、自転車で足を伸ばしてみることにしました。ところが、そこに行ってみても、今回は何にも買うものがなかったんですよね。「やぁ、ちょっと今日はダメか、アンラッキーだなぁ」と思って、10分ほど経ったところで引き返し、帰り道なのでさっきの9時30分の売り場へと再び戻っていったのです。時間にして、9時45分くらいになっていたでしょうか。15分ほど時間が過ぎていました。
すると、遠目にもその野菜売り場で女の人の動く姿が見えるじゃないですか。奥さんという感じで、がっちりしたタイプの方です。いつもこの時間を狙っている人なのかもしれません。後から覗いてみると、左側のコインを入れて鍵を開ける100円や200円のセットのところにも、もちろん野菜が入っていたし、右側の50円コーナーのプラスチック製の網目(あみめ)のカゴのところには、きゅうりとナスがちょうど綺麗に並んだところでした。
どうやら、9時30分に私たちが来たあと、ご主人が10分ほど大急ぎで全ての野菜をセットする時間があったのでしょう。9時40分頃にはもう並んでいたはずです。
ところが、その9時45分に、がっちりした彼女、私が着く手前で、その50円のきゅうりと、ナスの良いものの2つを、ささっと自分の布袋の中に仕舞い込んで、こちらに顔を向けたんですよね。よく見ると、彼女は左側の100円や200円の機械の中に入っている野菜には、目もくれていない。右側の50円のところだけが彼女の目的だったのです。実は私も全く同じで、左側の自販機の野菜には端から目もくれない。50円だけを目的に来ているのです。
「あぁ、50円のきゅうり、本当は今日欲しかったのになぁ! 私も妻も、夕飯にまた食べたかったのに!」心の中で少しトホホと思いながらも、私は71歳のシニアとして、自分からちゃんと「おはようございます」と礼儀正しく挨拶をしました。すると彼女も「おはようございます」って、ちゃんと優しく返事をしてくれました。
去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、私はふと想像を巡らせるのです。いやぁ、すごいなぁ、あの方は。この9時30分の50円の訳あり野菜を狙って、なんとしてもゲットするという強い思いがある。普通の人はスーパーのまとめ買いで簡単に済ませてしまうのに、彼女はしっかりとこの時間を狙って、綺麗な布袋を持ってここに来ている。きっと彼女も、この日々の買い出しをすごく楽しみにして、生活をのびのびと楽しんでいるんだろうな。その姿を見つめているうちに、なんだかとても愛おしい気持ちになり、そしてハッと気がついたのです。そうか、私もこうやって、少しでも安くて経済的な訳あり商品を一喜一憂しながら買いにきているけれど、自分自身もまた、この日々の生活を心の底から楽しんでいるんだなぁ、としみじみ思ったのです。
と同時に、さっき9時30分に一緒にトホホと笑ったあのお婆さんの姿が頭に浮かびました。あのお婆さんも、私やがっちりした彼女と同じように、右側の50円コーナーだけが狙いだったのだろうか。彼女が実際に野菜を買うシーンは見たことがないけれど、そんな風にそれぞれの生活の裏側を考えるだけでも、なんだか楽しくて、すごく想像が膨んでいくのです。
大人の買い物の心理というのは、本当に不思議でおもしろいものです。きゅうりは彼女に譲りましたが、彼女が去ったあとの売り場をよく見たら、まだそこにナスが4つ、並んで残されていました。小さいものが3つほど入っている袋、やや大きめの2つセットが3つほど……。私はその中から、大きなものが2つ入っている袋を手に取りました。よく見ると、その2つのナス、すごく形がかっこいいんですよね。昨日のいただいた大きなナスにも全然負けないくらい、実に見事なナスなのです。これがたったの50円。
最高の収穫をカゴに滑り込ませ、自転車にまたがりながら、私はにっこりと心の中で教訓を得ていました。たとえ9時30分ぴったりに品物が並んでいなかったとしても、あと10分や15分、その場で立ち止まって少しストレッチでもしながら待っているくらいが、ちょうど品物が並ぶいいタイミングなのかもしれない。
物価高の今の時代、世間ではいろいろ大変なこともあるけれど。でも、こうやって同じ50円のカゴを狙うライバルの人たちと一緒になって、同じ街の空気を吸って、私は今日も生きているんだなぁ。そう思うと、なんだか無性に嬉しくなってきました。あぁ、いいなぁ、今日出会ったあの人たちと、こうしてささやかな時間を分かち合えて、本当に楽しかったなぁ。
私は酒もタバコもやりません。家事を一手に引き受けて、質素に生活を組み立てています。そして、このようにエッセイを毎日楽しく紡いでいるんです。
71歳のシニアのこの人生、いかがでしょうか?
