見出し画像

月が泡のように忽然と消えてしまった! 〜私の昼の文学・ディティール論〜

あまりの寝苦しさに目が覚めてしまったのは、夜もまだ深い午前2時のことでした。エアコンは入れず、開け放った窓からかすりもしない夜風を待ちながら、扇風機を首振りにしてやり過ごす、うだるような盛夏の夜。少しでも涼を、あるいは眠気を誘おうと、私は枕元でiPhoneを手に取り、YouTubeを開きました。

画面から直接流れてきたのは、クラシック・ギタリスト、山下和仁さんの演奏でした。耳を悪くしたくないので、私は普段からイヤホンは使いません。静まり返った部屋の空気に、あの剥き出しのギターの音がそのまま響き渡ります。

彼の代名詞とも言える、あのオーケストラの大曲『展覧会の絵』。少し猫背気味の、独特なスタイル。ギターをやや斜めに構え、その表面をご自身で覗き込むようにしながら、自由自在に、体をスイングさせるようにして楽器を揺らす。あの圧倒的な彼の演奏する姿が、画面の中で躍動していました。

普通では絶対に現れてこないような、日本が生んだ奇跡の天才。一本のギターだけで、まるで全楽器の咆哮を表現してしまうような情熱的な調べに耳を傾けながら、私の胸に去来していたのは、昨日知ったばかりのあまりにも突然の衝撃でした。彼は若くして、この世を去ってしまっていたのです。

世界を驚かせたあの奇跡のような指先が、もう新しく弦を弾くことはない。切ないほどの美しさで響くギターの音色を聴きながら、私は寝不足の頭でぽつり、ぽつりと、ひとりの天才の足跡に思いを馳せていました。

気づけば、時刻は4時半を回ろうとしています。ふと、開けた窓の向こうに目をやると、驚くほどまばゆい、煌々とした光が私の寝床を照らしていることに気づきました。月でした。盛夏の始め、この時間の月は南の空を通り過ぎ、南西から西の空へとゆっくり高度を下げていく最中です。

満月を過ぎてまだ数日、ほとんどまん丸の姿のまま、部屋の西向きの窓の正面で、まるで私を誘うかのように激しく輝いていました。「そうだ、あの秘密兵器を、今こそ」私はお布団から起き上がり、部屋の棚の奥へと向かいました。奥まった場所に大切にしまわれていた、ずっしりと重いその機体を取り出します。

いつだったか、街の小さなリサイクルショップの棚の隅で見つけた、旧西ドイツのカール・ツァイス(Carl Zeiss)社製の双眼鏡「10×40 B」。差し出したのは、たったの一枚のワンコインでした。けれどその正体は、かつて職人たちが意地と技術を詰め込んだ最高峰の銘機。今や取引市場に並べば数万円、状態によっては二桁万円もの値がつくような歴史の遺産が、巡り巡って私の手元にある。この奇跡の相棒を、今使わずにいつ使うというのでしょう。

いつもならベランダに出て、体をどこかに固定しながら「あぁ、満月だな」なんて眺めていたものです。けれど今朝は違います。窓から差し込むたっぷりの月光を浴びながら、布団の中に再び寝転び、肘をシーツにしっかりと固定して、双眼鏡をそっと目に当てました。「……あぁ、これだ」思わず、暗い部屋に声が漏れました。

安物のレンズにあるような色の滲みはどこにもありません。驚くほどシャープに切り取られた視界の向こうで、月の世界が肉眼の10倍の圧倒的な近さで迫ってきます。今朝の角度から見えているのは、月面の西側に大きく広がる「嵐の洋」という広大な黒い玄武岩の平原です。その少し上には、まるで丸いお盆のような形をした「雨の海」が静かに横たわっています。

南側の白い高地に目を移すと、そこには恐ろしいほどの存在感を放つ巨大なクレーター「ティコ」が鎮座していました。そこから四方八方に激しく飛び散った白い光の筋——「光条」までもが、まるで自分が月の上空を飛びながら見下ろしているかのように、ザラザラとしたリアルな質感で浮かび上がっています。何億年も変わらない月の地形。あるいは、かつて西ドイツの職人が作ったレンズ。

iPhoneからは、星となった天才ギタリストが遺した、永遠の音楽が今も優しく部屋を満たしています。日本の文学の歴史を紐解いてみると、ある面白い事実に気がつきます。古くは清少納言の『枕草子』から、近代文学の文豪たちに至るまで、古今東西の表現者たちは、例外なく「夜の闇の中に光る月」しか描いてきませんでした。

空が青くなれば、彼らは視線を太陽へと移し、あるいは日常へと戻っていったのです。普通の人だって、夜明けの空を見上げることはあっても、月が消えるその瞬間をわざわざ拡大して見つめたりはしません。つまり、過去の文豪は誰も見ていない。普通の人も見ていない。

けれど、かつて旧西ドイツの職人が極限の技術を詰め込んで作った銘機、双眼鏡を覗く私は、今朝、歴史上誰も表現し得なかった未知の領域に立っていました。朝のぴったり5時を迎えた、まさにその瞬間のことです。私は、信じられない奇跡の終幕を目撃しました。

夜明けを迎えた東の空から、まばゆい青い朝の光が西の窓へと忍び寄ってきた、その刹那でした。双眼鏡の視界を圧倒的な密度で埋め尽くしていた、月の西側に広がる広大な玄武岩の平原「嵐の洋」も、まるでお盆のように美しく横たわる「雨の海」も、探検家たちを魅了する南側の白い高地の巨大クレーター「ティコ」も。

そこから四方八方に縦横無尽に走り、眩しくきらめいていた白い光の鉱石の筋——「光条」までもが、私の予想を完全に裏切るスピードで変貌を始めたのです。「おい、どうしたんだこれ……!?」私は心の中で激しく叫びながら、文字通りへばりつくようにして双眼鏡を覗き込んでいました。

人間が透明人間になってさぁっと姿を消していくように、あんなにクッキリと手触りまで見えていたクレーターのザラザラとした起伏が、刻一刻と透明になっていく。まるで夏の光に晒されたアイスクリームがとろりと融け落ちるように、あるいは儚い水泡がふわっと空気に弾けて消えるように、月面のすべてが青い朝の空気に淡く溶け込んでいくのです。

見事な、あまりにも見事なフェードアウトでした。朝の5時ちょうど、それまでの静かな変化が、わずか数十秒の間に、一気に完全に溶け込んで消えてしまう。地球の大気が月という存在を優しく、しかし確実に飲み込んでいくそのライブの瞬間を、私はこの目ではっきりと言い渡されました。それは、息をのむほどに驚きに満ちた、美しい幕引きでした。月が消えてしまう瞬間を、私は確かにこの目で見ました!!なんという感激なのでしょう。

狙って見られるシーンでは決してありません。小説のような予定調和のストーリーには絶対に出てこない、現実の偶然だけがもたらした奇跡のディテールです。文句なく素晴らしいその瞬間を見届けた感激は、私の人生の中でも、間違いなく忘れられない、最も貴重で、圧倒的な一瞬でした。

偽物のストーリーが束になってかかっても絶対に敵わない、剥き出しの現実の完全なる勝利。私はその圧倒的な余韻の中で、確かな確証を胸に、静かに前を見つめています。世の中にある多くの小説は、あざとく組み立てられた「偽物のストーリー」や、頭の中でこねくり回した作り物のプロットで、必死に人の目を奪おうと躍起になっています。

けれど、計算された予定調和の嘘など、現実の偶然がもたらした圧倒的な一瞬の前には、一体なんと空虚で、なんとチープに映ることでしょう。机の上の文字で人を騙そうとする作り物の物語がいかに浅はかなものであるか、と。私が双眼鏡で見ていた「嵐の洋」や「雨の海」は、名前に海とついていながら、実際には水など一滴もない、干からびた黒い玄武岩の平原、すなわち虚無の砂漠です。ここで三島由紀夫の遺作『豊饒の海』四部作を思います。

世界的日本文学研究者であるドナルド・キーンは、かつて三島文学のこの結末や世界観を、寒々とした不毛な「月の世界」に重ねて評しました。豊饒(豊か)という名を冠しながら、その実態は月の干からびた盆地(虚無)にすぎないフィクションの世界。もちろんキーンは優れた文学者として、三島が命と引き換えに築き上げた完璧な人工物としての文学的価値を誰よりも高く評価していました。だからこそ、その才能を世界に届けるために全力を尽くして翻訳し、広めたのです。

しかし、三島がその完璧な頭脳を使って自分の世界の中に閉じこもり、ガードを固めながらディテールを一つずつ作り上げて配置したその城は、どこまでも不自然な、実体のないフィクションという名の「夜の闇の文学」であったことも事実です。それは、既存の商業主義の小説家たちや、あるいは多くのnoteの書き手たちも同様かもしれません。彼らは自分自身を、世界を超越した特別な存在だと勘違いし、閉じられた世界の中で自分の言葉を切り売りし、宣伝することに躍起になっています。

ついに月の文学から太陽の文学に移り変わる時が来ました。私は彼らのように自分を閉ざしはしない。なぜなら、私自身もまた、神様がこの地上に降り注いでくれた豊かな世界のグラデーションの、ほんの一部(いちぶ)にすぎないのだと知っているからです。主役は私ではなく、この世界そのものなのです。

自分を世界のほんの一部だと自覚しているからこそ、私は世界に向かって完全にオープンに開かれ、目の前のありのままの姿を一切操作することなく、ただ実直に拾い上げ、エッセイとして無限に紡ぐことができる。自己宣伝のためのあざとい数字など、純粋さを濁らせるものは一切要りません。太陽のもとに、神様が降り注いでくれる現実を生きる人間の、生々しい足跡の証明があればそれでいい。ついに月が消えた。いよいよ、私のエッセイの世界が始まるのです。すっかり夜が明け、西の窓の外には、月を美しく吸い込んだ真っ青な空が広がっています。私は、歴史上初めてこの手で捉えたかもしれない、消え去った奇跡の余韻を胸に、ゆっくりとこの秘密兵器を置こうと思います。眩しい太陽の光のもとで、私はこれからも、魂のペンを握り続けるのです。

いいなと思ったら応援しよう!