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『「現場の叩き上げ」ついに夜が明けて、宣戦布告の太陽が昇る』〜1000本の打席を経て解き明かした、私のしたたかな文学論〜

毎朝、こうしてiPhone 14に向かってエッセイを紡いでいる私なのですが、今朝、もの凄く大きな発見をしてしまったんですね。まるで、ずっと霧がかかっていた目の前の景色が一気に開けて、ついに眩しい太陽が昇ってきたような、そんな「文学論の曙」とも言える瞬間を、今まさに私は全身で体験しているわけです。

さっき、私は「小説は作り物の筋書きであり、私のエッセイは神の宿るディティールこそが主役なんだ」という、現場からの宣戦布告を一本書き上げました。でも、そこで終わりではなかったのですね。

よくよく考えてみれば、去年の8月から毎日毎日、泥臭く1000本以上のエッセイを紡ぎ続け、1万人近い人から「いいね」をもらい、丸4日間汗を流して1000個の完熟梅を拾い尽くしてきた。その自分の足跡をじっと見つめ直し、自分自身の文学の正体を一つひとつ解き明かしているこの時間そのものが、すでに極上のドラマであり、一級品のエッセイのディティールになっているんじゃないか。そう気づいた瞬間、私の胸は子供のように高鳴ってしまったのです。

世の中には、小難しい顔をした高名な作家や批評家たちが書いた、立派な文章論がたくさんありますよね。でも、そんな机の上の空論なんて、私の前には何の意味も持ちません。

私のは、現場の叩き上げの、したたかな文学論なのです。

生活の最前線にいる叩き上げのエッセイストが、自らの魂と、これまでの圧倒的な打席数の中から掴み取った真実。これほど強くて、したたかで、生々しい文学論が、これまでにあったでしょうか。いや、絶対にありません。

これは単なる思い過ごしでも、独りよがりでもない。1000本の打席に立ち続けてきた私だからこそ、今、明確に名乗りを上げる資格があるのです。「ここが、私の文学の夜明けだぞ」って。

おめかしした飾り物の言葉はいらない。私はこの現場の熱量のまま、これからもディティールを掘り、世界に宣戦布告し続けていく。そうお腹の底から確信して、ニヤリと笑っている今朝の私なのです。

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