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71歳、子供になって背走し、激しく転倒してしまいました


昨日、事故と言うか事件と言うか、大きな出来事がありました。
5月25日、午後5時。
念願のチャンスがやってきたんです。

公園側から壁打ち運動場の入り口を入ってすぐ右側の壁。
そこで二刀流壁打ちテニスをやっていた時のこと。
もう一つの壁の方で、人だかりがあります。
野球をやっていました。

何気なくそちらの方を見ていると、大飛球がこちらに向かって飛んできます。
瞬間、「捕まえよう」と、脳にスイッチが入りました。一気に体が動きます。

両手に持っていたラケットを、地面に投げ捨てました。
上空を見上げながら、そのまま駆け出します。ボールはどんどん伸びて、こっちにやってきます。

背走します。
「もっと走れ」脳が命令します。
体はついていきます。
「あー 取れそう」

とその瞬間、後ろにのけぞって、両手を上げてボールをキャッチ。
自分では見事キャッチしたと思ったのですが。
後ろに完全にのけぞって、激しく転倒します。

ボールを手でキャッチした、触った感覚は残っています。
けれども地面に、転んでいる自分の姿。
その場では、何がどうなったのか全く分かりませんでした。
ただ必死に、衝撃に耐えていただけです。

後になって、振り返るとこういうことだったんです。私は、背中をまったく打たなかったんですよ。
左の肩、肘、腕で、とっさにフォローし。
あとは両手の手のひらで地面をおさえて、体全体を支えていた。
これこそが、日頃の二刀流テニスで鍛えていた効果だったのです。
後からそう気付いて、ハッとしたわけです。

この一団の全員が、私のところに集まってきました。口々に、「大丈夫!?」の声。
大人のお母さんの顔。
クワハラ君の顔も見えます。

すぐには立ち上がれません。
やはり、体がヒリヒリします。
悔しい、残念の思いが先に立っています。
「もう少しだったのになあ」

彼らには大丈夫、大丈夫と苦笑いの私。
もう、壁打ちテニスどころではありません。

転倒から立ち上がって帰る時、向こうの集団をもう一度私が数えてみたんです。
全員で9人いました。
大人の女の人一人、後は全員子供たち。

以前、エッセイで書いたシーンが思い出されます。
スケガワ君にお願いして、バットを振らせてもらったときのこと。
三塁へのファウルで、打撃が一瞬にして終わってしまったのです。

その時はすごく悔しくて。いつか彼らと一緒に野球をやって、大きなフライもキャッチしてみよう。
そう思っていたのでした。

昨日の、その大飛球は願ってもないチャンスだったのです。
文句なく子供になって捕まえようと、夢中になって走ったのでした。
チャンス到来、その思いは実現しました。

けれども、結果は激しく転倒。
左肩から崩れ、左肘、左膝をかなり地面に打ち付けました。

帰宅してお風呂に入ろうと思ったのですが、考え直し、銭湯に行くことに決めました。
全貌が明らかになりました。

銭湯で脱衣すると、擦り傷が分かりました。
左肩の後ろ、左肘、それに左膝のところが赤くすりむいています。
3箇所とも擦りむいた程度で終わったのは、まさに不幸中の幸いというものです。

帰宅した妻には、心配されました。
それでも、この一言には自分も激しく同意します。
「二刀流壁打ちテニスで鍛えていたから、この程度で済んだわけだよね」

本当にそうです。毎日鍛えていて良かった。

でも、あまり無謀はいけません。
どんなに体に自信があっても、大きな事故にあっては元も子もありません。
もう少し慎重にことに当たらなければ。

ここ最近のたまりにたまっていた心の中のマグマは、一応これで決着です。
この原稿を書いている今も、左腕はかなり痛く動きづらいのです。

でも、もう一度言いますが、この程度で終わったのは神様の計らいだと感謝しています。
これからは、全ての行動を慎重に行っていきましょう。

こうしてエッセイに今回のことを書き留め、皆さんに配信できるのは嬉しい限りです。
子供のような自分の情熱を、少しでも皆さんに伝えることができるのですから。

あとがきに代えて

高校1年の時、小説を書くという機会が与えられました。
その時は小説とはどのように書くものか全くわからなかったので、こういう雰囲気を書きたいなということを、それらしく書いた覚えがあります。

今でははっきり分かります。
私は今回のエッセイのような書き方で、あの頃から作文したかったのです。

それを小説と呼ぼうがエッセイと呼ぼうが、そういうことはどうだっていいんです、私にとっては。

「大切な雰囲気をしっかり書き留める」

それにはどうするか。
答えははっきりしています。
事実を正確に、濁りなくすくい上げるということです。
ただこの一点に尽きるのです。

エッセイを書くというのは、私の人生で何が起こったのか、そのディティールをできるだけ正確に書き留めるということなのです。
それは翻って言えば、与えられた人生を、誠実に、心を尽くして生きるということに他ならないのです。

そう気づいてからは、エッセイこそが私の生きがいとなりました。
ディティールを自分勝手にこねくり回した小説というものは、もはや私の眼中にはありません。

こうして皆さんにエッセイを届けられるというのは、極上の幸せなのです。

(2026年5月26日 火曜日 曇りのち晴れ)

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