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邪道と言われて。71歳の私が、小学2年生にタイムスリップした朝

ちょっと、聞いていただけますか。実は今日、ものすごい感動に満ちた特別な時間を過ごしたんです。その余韻がまだ冷めやらぬうちに、どうしても皆さんに伝えたくて、こうして語りかけています。

始まりは、今朝の6時前のことでした。
6時半からラジオ体操が始まるんですけれど、その前に、私は誰もいないグラウンドの壁を独占して「二刀流壁打ちテニス」をやっていたんです。
ロジャー・フェデラーさながら、右も左も片手バックハンド。

ハチャメチャに見えるかもしれないけれど、私は大真面目なんですよ。左右両方でフェデラーのあの美しい片手バックハンドを、実戦レベルにまで特化させて操る人間なんて、おそらく世界を探しても私一人しかいません。世界唯一の「二刀流壁打ちテニス」の使い手。それが私、71歳のhideなんです。

実はね、私はフォアハンドをあえて「禁じ手」にしているんですよ。なぜならば、フォアハンドをやると筋肉が固まって、上半身がそれこそ丸まってダメになっちゃうんです。バックハンドにするから、右も左もバックハンドに絞り込むからこそ、もう上半身は特に解放されて広がっていく。街中の整体なんかでよく「肩甲骨はがし」なんて言葉がありますよね。みんな大金を払ってやってもらうらしいですが、私にはそんなもの必要ありません。毎朝のこのバックハンドの連打によって、私の肩関節も肩甲骨も、すでにゆるゆるに解き放たれているんです。だから猫背になんてならないし、立ち姿がものすごくきれいなすごい姿勢になってくるんですよ。この二刀流は、71歳の肉体を老いから解放するための、私だけの独自の肉体進化論なんです。

気がつくと、6時半からのラジオ体操を待つ70代や80代の同世代の方々が、少しずつ集まってきていたんです。
皆さん、私の動きを呆然とした様子で見つめていました。私はその視線を感じながら、心の中でほんの少しだけ期待していたんです。
「自分もあなたみたいにハチャメチャにやってみたいから、ちょっと教えてよ」って、誰か一人でも声をかけてくれないかなぁ、と。これだけ人が集まっているんだから、誰か一人くらい飛び込んできてくれてもいいですよね。でも、誰も声をかけてはくれません。

それどころか、私とLINEでつながっているシニアの人から、後になって、こんな風に話しかけられたんです。
「あなたのそのテニスは邪道だ」
「ウィンブルドンで二刀流のテニスの試合なんて、あるのかね?」

そんな憎まれ口を聞いてくるんです。それくらい私のやっていることがエキセントリックで、誰も思いつかない偏屈な奴だということなんでしょうね。けれども、私は分かっています。あれはわざとなんですよね。口では「邪道だ」なんて言いながらも、心の底では「なんてハチャメチャで、ものすごいエネルギーを持った70代なんだ」って、呆気にとられながら、どこか羨ましく思っているに違いないんです。私に対する、これ以上ない「決めつけの賛美」のようなものなんですよね。

ふと思うんです。朝のラジオ体操に集まっていた多くの人たちの中で、社会の用意した「大人」や「老人」という退屈な枠をぶち破って駆け回る感覚を持っている人なんて、おそらく誰一人としていないんじゃないか、と。みんな枠の中に綺麗に収まってしまっている。でも、私は違います。私はいつだって、枠からはみ出す「邪道」の側にいるんです。

そういえば、思い出します。地元の野球チームの少年たちと遊んでいたときのことです。彼らは私の大の仲良しグループなんですが、べったり一緒にやるんじゃなくて、お互いのエリアを尊重し合いながら、時間が空いた時にお互いのエリアに入って楽しむという、すごく粋な関係なんです。
その彼らが放った大飛球を、私は必死に追いかけて、ジャンプ一番キャッチしたかと思ったら、その勢いのままもんどり打って後ろへ転がり、左の肩から腕、そして手首にかけて大打撲を負ってしまったんです。大好きな二刀流テニスが1ヶ月もできなくなるほどの打撲でした。71歳にもなって、打撲をするほど無茶をしてしまった理由。それはあの瞬間も、私の心が完全に、やんちゃな少年時代そのものになっていたからなんですよね。解き放たれた子どものようにがむしゃらに走る。自分が本当に自分らしい姿でいられるのは、まさにあの瞬間なんです。

そんな、少しだけちぐはぐだった朝の空気を、一瞬で吹き飛ばすような出会いがそのあとに待っていました。

ゆったりとした気分で二刀流壁打ちテニスを楽しんでいたところ、突然、私の目の前に小学1年生の彼が現れたんです。よく知るカメラマンのSさんの息子さんで、彼とは今日が5回目の対面でした。
「hideさん!クワガタがいるから、ちょっと来てみて!」

彼に導かれて隣の公園のテーブルへ走っていくと、そこにはもう一人の男の子が待っていました。1年生の彼の友達で、小学2年生。私にとっては、今日が本当の「はじめまして」の初対面でした。違う小学校に通う二人なんですけれど、このグラウンドで親たちと一緒に遊ぶなかで、大親友になったのだそうです。

驚いたのは、ここからなんです。出会ったばかりの私に対して、二人は交互に、まるで専門家みたいにクワガタの解説を始めてくれたんですよ。
「これね、脱皮したばかりの子なんですよね。ほら、角が小さいからメスでしょ」
2年生の彼が、小さな小枝をそっと差し出すと、クワガタがその角で小枝をギュッと挟み込むんです。そのままふわっと持ち上げると、クワガタが小枝を挟んだまま空中へ浮き上がりました。
「今8月だけど、脱皮したばかりだから10月までは生きられるよ」
初対面の私にそんな風に詳しく教えてくれます。私は好奇心旺盛で、あの知りたがり屋のおさるのジョージとおんなじです。私の精神年齢もいつの間にか小学1年生か2年生になっています。私は1年生の彼に言いました。
「この前教えてくれたよね、セミは1週間しか生きられないって」
「そうだよ」と彼は無邪気に頷いてくれました。
短い人生を生きるセミと、もう少し長く生きるクワガタ。小さな命の不思議を、私は彼らから教えられました。

そうこうしているうちに、自然と「一緒にテニスをやろう!」という話になったんです。

グラウンドには、2年生の彼のお母さんも見守っていました。私はそこで、お母さんと彼に、改めて自己紹介をしたんです。
「私はここで、二刀流の壁打ちテニスをやっているhideです。右でも左でも打つんです」
そう伝えると、お母さんは目を丸くして本当に驚いていました。そりゃあそうですよね、私の年齢は71歳ですから。そんな老人が、ハチャメチャに、けれど凄まじい躍動感で二刀流テニスをやっているなんて言ったら驚きますよね。

さっそく彼らにボールとラケットを渡して、好き勝手に壁打ちをさせてみました。1年生の彼は今日が2回目。まだよちよち歩きで上手には打てないんですけれど、前に私が教えてあげたラケットでのリフティングを一生懸命に披露して、こちらに応えようとしてくれます。その健気さが愛おしくてたまりません。

ところが、初めてラケットを握ったはずの、初対面の2年生の彼が、とんでもない才能を見せつけたんです。
気取ったところが一切ない、ケレン味のないスイングで、バンバンと壁にボールを打ち込んでいくんですよ。なにこれ、すごいな!と思って私が驚いていると、後ろのお母さんが、涼しげに微笑みながら教えてくれました。「そういえば私のおじいちゃん――息子にとってはひいおじいちゃん――が、テニスの選手だったんです。その血を引いているのかもしれません。野球もやっているので、バッティング感覚なんでしょうね」

なるほど、血筋だったのかと納得したところから、私と2年生の彼との、真剣なラリーが始まりました。今日初めて会ったばかりの少年と私。けれどそこにはもう、年齢の壁なんてありません。お互いにかなり距離を取って、本気の黄色いボールが行き交いました。
彼が鋭い当たりを私の正面近くに落としてくる。すかさず体制を整え、私もワンバウンドで彼の前に打ち返す。彼がまた振り抜き、ボールが私のすぐ近くへ。するすると走っていって、また打ち返す。これはラリーが続くかもしれないぞ、思いのほか楽しいな!わくわく感を噛み締めていると、彼が思いっきり遠くのあらぬ方向へボールを飛ばしたんです。

私は必死になって、地面を蹴って、走って、走って、走りました。ラケットを懸命に伸ばし、なんとか食らいついて彼のほうへ打ち返す。その瞬間、私の心にある強烈な感覚が湧き上がってきたんです。

(ああ、私は完全に、この子と同じ『2年生』になっているなあ)

誤解しないでほしいのは、71歳の老人が無理をして頑張って走っているんじゃない、ということです。そりゃ遠くまで走るのはしんどいんですけれども、あの瞬間の私は、年齢の壁も、大人の理屈も、71歳という現実もすべて脱ぎ捨てて、心も身体も、完全に子どもの私に戻ってタイムスリップして、懸命に走っていたんです。それは、理屈抜きの、ものすごい感動に満ちた特別な感覚なんです。

実はね、この話には素晴らしい続きがあるんです。この朝のラリーで彼の天才的な才能に心から感動した私は、後日、彼らにテニスラケットをプレゼントしたんですよ。カメラマンのSさんに2本手渡して、「2年生のあの友達、すごくテニスが上手だったから、1本あげてもいいですか?」と言われて、「うん、いいですよ!」って。今では彼らの手元に、私が贈ったラケットがあるんです。

そうなると、これからの朝のグラウンドがどうなるか、想像するだけでワクワクしてきませんか。これからは彼らもマイラケットを持ってグラウンドに集まってくるんです。朝の早い時間には、38歳のSさんが自分の息子や2年生を相手に「鳥籠」をやったりする。その時、私はテニスラケットをちょっと置いておいて、彼らの輪に入して、完全に同じ目線で徹底的に遊べるぞ、という野望を持ったんです。

そのために、私は1人で壁打ちをしている時、サッカーボールを1個使って新しいエクササイズも始めているんですよ。インサイドキックで壁に蹴り出して、それを反対側の足で受け止めて、また右足で蹴り出す。あるいは返ってくるボールを足の裏でピタッと受け止める。そうやって自分を徹底的に鍛え上げておけば、彼らが集まってくる6時半以降から8時半までの2時間、私も一緒になって、完全に同じ目線で、仲間になって大はしゃぎで遊べるじゃないですか。

あの野球のチームとの粋な距離感とは全然違います。完全に同じ子供の目線になって、私には3人の女の孫がいますけれど、まるで「よその孫」のような彼らと、私は1年生・2年生の子供に帰って、これからずっとずっと、夏休みだけじゃなく普段だって遊び続けることができる。今では38歳のSさんともLINEでガッチリ繋がっています。なんとも言えない、未来へ続く大きな約束ができたような、ものすごい感動が胸に満ち溢れているんです。

私は去年の8月からエッセイを配信し始めて、ちょうど1年少し。気がつけば1,180本もの原稿を配信してきました。その上で、全体ビュー数は120,808回を超え、10,703人もの方から「スキ」をいただき、195件のコメントをもらっています。

この、普通では考えられないような圧倒的な数字を叩き出すことができたのは、なぜか。それは、私がこの「子どものような純粋な熱量とやんちゃさ」を持ち続けているからに他なりません。子どものような気持ちがなければ、これだけの熱量で、あそこまで毎日毎日、狂ったように書き続けることなんて、到底できなかったはずなんです。そしてこの数字は、今この瞬間も、猛烈な勢いで増え続けています。

邪道と言われようが、ウィンブルドンになかろうが、関係ありません。今日出会ったばかりの少年とだって、一緒に純粋に遊べば、私はいつでも、あの輝かしい少年の時代へと帰ることができるんです。ボールを追いかけてがむしゃらに走っている自分こそが、本当に自分らしい姿なんだと、私は胸を張って言いたいんです。

この素晴らしい感動を、どうしても皆さんに伝えたくて、私は今、このエッセイを書き上げました。
私はこれからも引き続き小学2年になって、皆さんに圧倒的なディティールのエッセイを打ち込んでいきます。

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