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授業が少しずつ改善できてきた

最近、授業のやり方が少しずつ変わってきました。

大きな教材を作ったわけでも、画期的な指導法を導入したわけでもありません。

むしろ、今まで自分が感覚的にやっていたことを、少しずつ言葉にして整理しているだけです。

その結果、以前よりも生徒のことを信頼して任せられるようになり、私自身の負担も軽くなってきました。

「分かった」をそのまま信用しない

授業をしていると、生徒に説明したあと、

「分かった?」

と聞けば、

「分かった」

と返ってきます。

以前の私は、ここをもっと曖昧にしていたのだと思います。

「分かった」と言ったから、次へ進む。

ところが、実際に少し形を変えた問題を出すとできない。

そこでまた説明する。

これを繰り返していると、教師側はだんだん疲れてきます。

「さっき説明したのに」

「分かったって言ったのに」

という気持ちも出てきます。

そこで、最近はやり方を変えました。

「私に説明できたら先へ進む」

例えば数学なら、まず私が考え方を説明します。

そして「分かった」と言われたら、そこで終わりにはしません。

一度ペンを置いてもらいます。

数字だけを変えた類似問題を出して、

「今度は先生に説明してみて」

と言います。

ここで自分の言葉で説明できたら、その内容は一度任せていい。

説明できなければ、まだ私の言う「分かった」とは違う。

ただ、それだけです。

生徒が嘘をついているわけでもありません。

説明を聞いた瞬間には、本当に「分かった」と思っていることもあります。

だから責める必要もない。

できなければ、もう一度説明すればいい。

この仕組みにしてから、授業中の判断がかなり楽になりました。

生徒を監視しなくてよくなった

「説明できたら一人で進んでいい」という基準を作ると、生徒に任せられる範囲がはっきりします。

説明できた。

では、もう私は口を出さない。

生徒が一人で考えている時間があっても、

「ちゃんと分かっているかな?」

と横から確認する必要がありません。

任せていいと判断したのだから、任せる。

逆に説明できなければ、そこは私の仕事です。

もう一度説明する。

この境界線がはっきりしたことで、生徒の行動を以前より信頼できるようになりました。

「忘れた」は失敗ではない

さらに大きかったのが、次の授業で忘れていた場合です。

以前なら、

「せっかく前回やったのに」

と思っていたかもしれません。

でも、今は違います。

忘れていたら、また説明すればいい。

次回もう一度確認して、説明できたらまた一人で進んでもらう。

それだけです。

一度教えたことを、生徒がずっと覚えていることまで教師の責任にする必要はない。

授業の中で、

理解する → 説明する → 任せる → 忘れたら戻る

という循環を作ってしまえばいい。

そう考えると、かなり肩の荷が軽くなります。

「どこまで教えるか」も見えてきた

この方法を始めてから、もう一つ良かったことがあります。

それは、解説が必要な部分と、必要ではない部分がはっきりしたことです。

生徒が説明できるなら、そこから先は私が説明する必要がない。

生徒が説明できないところだけ、私が解説する。

つまり、授業を「先生が全部説明する時間」にしなくてよくなりました。

これは私にとっても、生徒にとっても大きな違いだと思います。

数学の一つの説明から、授業全体の仕組みが見えた

例えば今回の数学では、記号の意味を一つずつ分けて説明しました。

「分かった」と言われたあと、数字を変えた問題を出して説明してもらう。

そこで説明できれば、次へ進む。

このやり方をやっていると、一つの数学の問題を教えているというより、

「理解したとはどういう状態なのか」

を確認していることに気づきます。

これは数学だけの話ではありません。

国語でも、理科でも、その他の学習でも同じことができます。

聞いて分かった。

ではなく、

自分で説明できる。

そこまで来たら任せる。

この基準は、かなり使いやすい。

保護者にも「進み方」を共有できる

そして、ここまで授業の仕組みが整理されてくると、保護者にも説明しやすくなります。

「今、数学をここまでやっています」

だけではなく、

「この塾では、こういう基準で次へ進みます」

と伝えられるからです。

例えば、

授業では、解説を聞いて「分かった」と言うだけでは次へ進まず、数字を変えた問題を使って本人に説明してもらいます。自分の言葉で説明できたところは、一人で進んでもらいます。次回忘れていた場合は、もう一度確認してから進みます。

と伝えておけば、

「なぜうちの子はここで止まっているのか」

「なぜ他の子より進度が遅いのか」

ということも理解してもらいやすくなります。

前の私は、ここが足りなかった

振り返ってみると、以前の私は授業そのものよりも、

授業の中で何を基準に判断しているのかを、外に出していなかった

のだと思います。

私の頭の中では、

「ここはまだ任せられない」

「ここはもう任せていい」

「これは忘れたからもう一度やろう」

という判断をしていました。

でも、それを保護者に説明していなかった。

だから保護者から見れば、単純に「授業がどこまで進んだか」しか分からない。

今は少し違います。

生徒の行動を見て、理解できているかを判断する。

その判断に基づいて、次に進むか、もう一度説明するかを決める。

そして、その仕組みを保護者にも共有する。

これだけでも、授業の見え方はかなり変わります。

教師が全部背負わなくてもいい

授業を改善するというと、新しい教材を作ったり、教え方を工夫したりすることを考えがちです。

でも今回感じたのは、そういうことだけではありません。

むしろ、

「どこまでが自分の仕事なのか」を明確にすること

も、授業の改善なのだと思います。

私は説明する。

生徒は説明できるようになる。

説明できたら、自分で進む。

忘れたら、また戻る。

それでいい。

生徒が自分で進めるところまで確認できたなら、あとは任せる。

そうすると、教師も生徒も少し楽になります。

そして不思議なことに、こちらが余計なことをしなくなった分だけ、生徒の行動を信頼できるようになりました。

まだまだ改善できるところはあると思います。

ただ、以前よりも少しずつ、

「教えること」と「任せること」の境界が見える授業

になってきた気がします。

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