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🏳️‍🌈 万博


 昔の大阪万博

現在、大阪関西万博が開催中である。
開催前から、アクセスがどうのとか、デジタルチケットがどうのとか問題山積だったが、ひとまず開催されて連日賑わっているようである。

私はこれまでいくつかの博覧会を楽しんできたが、年々進化する技術についていけないところに、体力も年々衰えていく。
今回の万博は、自宅でテレビ鑑賞と決め込んでいる。

今回の万博と比較されがちなのが、1970年の大阪万博だ。

私は既に生まれていて、しっかり二足歩行もできる年齢だった。
だが悲しいかな、パビリオンはほとんど覚えていない。

両親に連れられ
「絶対に迷子になったらアカンで!」
と迷子バッジを付けたことしか記憶にない。

当時は迷子の数が半端なかったと聞くが、今回の万博では迷子のニュースは聞かない。
子どもが賢くなったのか。
それともお守りのようなバッジではなく、QRコード付きのリストバンドのおかげなのか。

当時の万博の象徴ともなった太陽の塔は、今も記念公園に残っている。
当時は岡本太郎の作品の数々が展示された内部も観覧できたらしい。

少々おどろおどろしい作品に、それを見た伯母がうちに電話を掛けてきて、まだ幼い私が怖がるから行くなと教えてくれたことがあったらしい。
だが、時すでに遅し。
私は両親と行った後だった。

私は記憶にないが、父の話しでは、私は終始うつむいていたらしい。
今回の万博で、両親も昔の万博の思い出が甦ったようである。


 その他の万博

1990年には大阪花博も開催された。
ちょうど夫とは翌年に結婚を控えた交際中で、休日の昼間や仕事を終えた後の夜のデートに出かけたものである。
やはり地元大阪での博覧会には何度でも行きたくなる。
バブルの時代に2990円という入場料も、デート代としては手頃だった。
当時は今ほど花粉症の話題もなく、春の時期でもマスクなしで花見を楽しんだ。

また2005年には愛知万博にも出かけた。
ちょうど夫が勤続年数に対しての特別有給休暇を取得したこともあり、平日に出かける。
朝の5時に車で向かったものの、駐車場に着きシャトルバスで会場に入ったのは10時だった。
当時の日記には、
 1時間並んでトヨタ館を見る
 21:30に会場を後にする
とある。
つくづく若い頃だったと思う。


 暑い思い出

2000年には淡路花博が開催された。

兵庫県の淡路島には、この2年前に明石海峡大橋が架かり、私たちにとっては2度目の淡路島だった。
高速道路ですんなりと島に渡れるようにはなったが、大阪からだと大阪湾を半周するようなものだ。

それでも愛知万博より近いので、私たちは一日たっぷりと花見を楽しんだ。
しかし、私たちが訪れたのは夏の盛り。
淡路島の丘陵地に造られた会場は、景色は絶景ながらも、とにかく暑い。
私たちはなるべく日陰を探して歩く。

それでも昼を回った頃になると、ジリジリとした日差しが体力を奪う。

たまらずエアコンの効いた建物内に入ろうと、少し先に見える立派な建物を目指して、私たちは歩き始める。
手拭きのハンカチは、既に汗でしっとりだ。

やっとの思いで辿り着いた建物は

温室だった。

てっきり涼しい館内と思い込んでいた私たちは腰が抜けそうになり、倒れそうになる体をお互いの体で支え合う。

ふと見ると、所々に送風機があった。
四角い本体から出たノズルが曲がり、まるで扇風機の首振りのように左右に動いている。

周りには植物を楽しむ多勢のお客さんもいたが、ノズルの動きに合わせ左右に動いて涼を取る私たちだった。

  おわり

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