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大覚寺は御所のタイムカプセル!桃山時代の襖絵と出会う【大覚寺展@東京国立博物館】

嵯峨御所・大覚寺

京都の北西、渡月橋の北側に位置する名刹・大覚寺。残念ながら私は行ったことがないのですが、皇族が住職を務めた歴史ある門跡寺院として数々の名宝を擁しているとか。

残雪残る大覚寺 正寝殿
Photo from PublicDomain https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1662126

大覚寺の歴史は古く、最初の基礎を築いたのは嵯峨天皇(786-842年)だったそうです。天皇の離宮には空海が足繁く訪れ、真言密教で重視された五大明王崇拝の拠点としたそう。その後、876年に嵯峨天皇の皇女・正子内親王の意向で離宮は正式に真言宗寺院 大覚寺と命名。以降、京都の西の拠点として栄えます。

大覚寺が第二の繁栄期を迎えたのは鎌倉時代末期、後宇多法皇の院政拠点「嵯峨御所」となったころ。豪華な建物が整備されたようですが、直後の室町時代開始・南北朝の争乱・火事・応仁の乱など数々の災禍によって伽藍は消失。ちゃんと復興されるのは江戸時代に入ってから。日本史あるあるの災難! このためか、現在大覚寺にある建物や宝物の中には持ち込まれた経緯が不明なものもあるようです。

そんな大覚寺が誇る国宝『後宇多天皇宸翰』や重文指定されている障壁画(襖や障子、天井などに描かれたインテリアとしての絵画)がトーハクに集合したので見てきました。
境内にやたらと京都御所に似た建物が残る大覚寺。実は本物の御所が移築された遺構だと考えられており、普通のお寺とは違ったゴージャス装飾が楽しめます。もちろん、仏像も素晴らしかったですよ!



展覧会の概要

正式な展覧会名は『旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―』
出品リストを見ると展示数は前後期合わせて57点と少ないですが、実際は襖18面を1点にカウントしているので展示量は十分多め。ただ展示一点につきひとつの解説パネルが少ないぶん、いつもの展覧会より短時間(二時間弱)で回れました。
展示は四章構成

  • 【第1章】 嵯峨天皇と空海 ― 離宮嵯峨院から大覚寺へ

  • 【第2章】 中興の祖・後宇多法皇 ― 「嵯峨御所」のはじまり

  • 【第3章】 歴代天皇と宮廷文化

  • 【第4章】 女御御所の襖絵 ― 正寝殿と宸殿

会場の70%が第4章に含まれており、ほぼ障壁画を見ていた印象。なお4章のみ写真撮影可。
会場はほどよい混み具合で観覧に支障はなし。最近は人混みで押し合いへし合いすることが多かったのでちょっと新鮮でした。


【第1章】 嵯峨天皇と空海 ― 離宮嵯峨院から大覚寺へ

まず最初は大覚寺の始まりである嵯峨天皇と空海、そして五大明王信仰にフォーカス。見どころは何と言っても五大明王像でしょう。
五大明王とは不動明王、降三世ごうざんぜ明王、軍荼利ぐんだり明王、大威徳だいいとく明王、金剛夜叉明王の五仏。日本の密教で厚く信仰されたことが知られています。

五大明王像そろい踏み。画像はトーハクのブログより

こちらは会場入ってすぐの場所で威容を示していた高さ二メートルの五大明王像。写真だと小さく見えますが、前に立つと射すくめられるような気迫ある大作揃いです。とはいえ、左三体と右二体のテイストがなんか違う。燃え盛る炎を背負い、端正な彫りながら荒々しいエネルギーを放っている前者に対し、後者はなんかすっきりキレイでシンプルなのです。はて?
答えは解説パネルにありました。左三体(大威徳明王・軍荼利明王・不動明王)は1501年に作成されたもの、右二体は数百年後の江戸時代中期に作られたものなんだそうです。室町時代の三体は仏師・院信いんしん作、重要文化財登録されてます。元は院信さん作の残り二体もあったんでしょうか。消失しちゃったなら惜しい話です。

大覚寺のご本尊である五大明王像 明円作、1177年
画像はトーハクのブログより

お次はこちら、大覚寺の御本尊として長年大切にされてきた平安末期の五大明王像。作者は明円という、残存作例は少ないものの見事な造形美を生み出した仏師です。五体が揃って寺外に持ち出されることはほとんどなく、トーハクとはいえ博物館に並んだ姿はレアだとか。ちなみに重要文化財。
前述の五大明王像が二メートルを超えていたのに対し、こちらは最大でも70cmほどと小ぶり。しかし間近で眺めると緊張感溢れる端正な造形で凄みのある仏様たちでした。
今回の展示に合わせて内部調査をしたら胎内に納入品が見つかったという学術的に面白い話も紹介されており、そっちも興味深い! 研究が進むと良いですね~


【第2章】 中興の祖・後宇多法皇 ― 「嵯峨御所」のはじまり

第2章は後宇多法皇特集。嵯峨御所(旧嵯峨御所)の成立と文化的背景が示されています。
後宇多天皇は出家して法皇となった後も大覚寺から政治に参画し、そのため当時の大覚寺は嵯峨にある御所=嵯峨御所と呼ばれたそう。ついでに法皇の御座所だったので建物の整備が進み、寺院全体がゴージャスに建て替えられたんだとか。まさに中興の祖というわけですね。

ところで後宇多法皇ってどんな人? 教えてChatGPT O4-miniくん。

・鎌倉時代の第91代天皇
在位は1274年(文永11年)から1287年(弘安10年)まで。
院政を行った法皇としての活動
1287年に伏見天皇に譲位して出家し、「後宇多法皇」として院政を敷く。持明院統との皇位継承争いに深く関わり、鎌倉幕府との折衝を通じて自らの系統(大覚寺統)を優位に保とうとした。
文化・宗教面での影響
院政期には仏教諸流派への支援や和歌の創作・歌壇振興に力を入れ、後の南北朝時代に至る文化的基盤の一端を築いた。

GPT O4-miniの回答を少し手直し。
『大覚寺/後宇多法皇影』 山内勝春による模本 東京国立博物館所蔵
画像は文化遺産オンラインより

調べてみると、末期の鎌倉幕府や天皇家内の権力闘争を乗り切った辣腕政治家 兼 修行大好き過ぎて本格的な僧侶になってしまった宗教人だったみたい。経歴がアクティブ! なお、息子のひとりは室町時代開始時の天皇こと後醍醐天皇。この人もアクティブな革命家だったと言いますから、似た親子だったのかもしれません。

そんな後宇多法皇は字の名手でもあり、大覚寺には宸翰しんかん(天皇直筆の文字)がいくつも残されています。特に展示にも出ていた『後宇多天皇宸翰御手印遺告』は国宝指定されており、歴史的にも書道文化的にも重要な一品。大覚寺の歴史と密教が栄えますようにとの祈りをつらつらしたためています。うーん、筆まめ。

『後宇多天皇宸翰御手印遺告』


【第3章】 歴代天皇と宮廷文化

ここでは大覚寺の「あまり寺院っぽくない」宝物が登場。
最初の見どころは源氏物語(大覚寺本)でしょうか。かの有名な宮廷文学は何度も写本が繰り返されて現代まで伝わったわけですが、大覚寺には室町時代後期に皇族公家の皆さんが協力して五十四帖を写し取った豪華版が伝来す。華やかな挿絵が描かれているわけではありませんが、三条西実隆さんじょうにし さねたかや伏見宮貞敦親王といった当時のセレブたちの筆跡を堪能できます。皆字が上手い!!

ちなみにこの写本、ほとんど公開されたことがないらしく、珍しいもの見たな~感がありました。

展示スペースの一角で行列が出来ていたのは、すっかり人気が定着した日本刀二振り。いずれも重文登録されている名刀『薄緑(膝丸)』と『鬼切丸(髭切)』がひとつのケースに並べて飾られています。

「鬼切丸は北野天満宮所蔵じゃね?」と思って解説を見れば、大覚寺所蔵の薄緑とは同じ刀工が源満仲のために鍛えた…という伝説があるとのこと。厳密には薄緑(膝丸)とされる刀は複数本あるそうなので断定は出来ないのですが、良く似た雰囲気の端正な刀身を持つ二振り、兄弟刀であっても不思議はないですね。


【第4章】 女御御所の襖絵 ― 正寝殿と宸殿

刀コーナーが終わると障子襖絵を堪能する第四章の始まりです。前にも書きましたが本展の七割はこの章に割り当てられており、かつてのきらびやかな雰囲気を漂わせる障壁画をつらつら楽しめます。

ところで、タイトルにある宸殿しんでん正寝殿しょうしんでんって何?

読み方も似ているので色々と紛らわしいのですが、宸殿は大覚寺の伽藍中枢に位置する重要文化財建築、正寝殿はもう少し奥まった場所にある通常非公開の重要文化財だそうです。

大覚寺宸殿 画像は大覚寺HPより

宸殿はこれどう見ても「御所」ですよね。ちゃんと左近の桜、右近の橘まで生えてるし。それもそのはず。この宸殿、後水尾天皇の皇后・東福門院和子(徳川秀忠の娘)が京都御所時代に使用していた女御御所の建物を移築したもののようです。
一方の正寝殿はさらに遡る安土桃山時代の建物らしい、とのこと。どちらも移築された正確な経緯は不明ですが、備わっている障壁画の立派さからほぼ間違いないと考えられているみたい。
まさか京都御所の建物を寺院に移設していたとは驚き。昔はそんなこともあったんですねぇ…

はい、それでは会場で撮影した写真とともに往時の繁栄に思いを馳せてみましょう。古いものばかりなので、ちょっと色褪せてるものの、一括で重文指定された障壁画240点から約100点が東京に出張です。
最初はこちら、正寝殿の『野兎図』。障子の下側木製パネル部に描かれたウサギの絵がずらり。

正寝殿 東狭屋の間 野兎図。障子戸の腰板にさまざまなウサギが描かれている。
拡大図。木目の凹凸なんて何のその。闊達な筆使いで生き生きと描かれたウサちゃん。
何だこの左のウサギ、模様凄くない?虎かな?
拡大図。顔怖っっ!
裏側は古典的な四季花鳥図になってるそうです。

この縦横無尽に跳ね転げ回るウサギたちは当時の幼い門跡(大覚寺のトップ)が寂しくないように描かれたというエピソード付き。手掛けたのは渡辺始興しこう。江戸中期に活躍した、狩野派 兼 大和絵絵師 兼 琳派という何でもござれな絵描きです。

渡辺始興の作品は他にも展示されていました。こちらは大胆な描線と色遣いが目を惹く『芭蕉図』。画家本人は行ったこともないでしょうに、熱帯の気配を帯びた空気感が良い!

渡辺始興『芭蕉図』 これも正寝殿にあるらしい。
渡辺始興『鶴図』 正寝殿の引き戸に描かれている。
しなやかな鶴のボディを強調した描き方。すっきりと気品がある。
拡大図。近付いて初めて気付く羽根の細かい描写。凹凸のある板の上とは思えない的確な線
渡辺始興『雪景山水図』 こんな禅画みたいなのも描いちゃう。


さて、大覚寺正寝殿は歴代門跡の御座所。後宇多法皇の時代はここが法皇執務室となり、机の隣に御冠を置いて作業していたことから『御冠の間』という名が付いたとか。
この部屋は通常非公開ですが、展覧会場では障壁画の一部と再現模型が展示されていました。

正寝殿 御冠の間を会場内に再現
絵も綺麗で往年の姿を想像するのにとてもいい。

この御冠の間を飾る障壁画はすっきりとした墨色の気品溢れる山水図。作者は狩野派初期の絵師・狩野山楽。正直、経年劣化と展示会場の薄暗い照明の下ではこの絵を見て「素晴らしい!」かどうかは良く分からないものの、それでも細部を眺めていると名人の筆致を感じさせる端正な画面が浮かび上がります。再現拡大画集でじっくり眺めたらもう少し良く味わえるかな?

狩野山楽『山水図』 御冠の間を飾る格調高い水墨画だが、ご覧の通り経年劣化で見にくくなっているのが残念。
拡大図。こうして部分をじっくり眺めてみると、筆運びといい詰め込みすぎない画面といい見事な作りをしている。


展示のラスト三分の一はひたすら金襖をエンジョイするのコーナー。まずは正寝殿にある金箔貼りの襖から。

正寝殿 竹の間を飾る『竹図』 作者は狩野山楽と伝わるが確定ではないらしい。
安土桃山時代っぽいおおらかな竹林。
正寝殿 『桃竹図』 これも作者は伝狩野山楽。色褪せてなお、桃色が華やか。
同じく『桃竹図』より部分拡大。木の枝をよく見ると小鳥が羽根を休めている。風流のきわみ。
正寝殿 『紅葉柳図』 伝狩野山楽 赤く色づいた紅葉の横に柳の葉が枝垂れている。
安土桃山~江戸初期の雰囲気が漂ってくる。
拡大図。紅葉の色は葉ごとに微妙な違いで描き分けられており、視線をさ迷わせるのも楽しい。


正寝殿の次はいよいよ女御御所だった宸殿の障壁画コーナー。最初は狩野山楽による『牡丹図』。幅の広い襖がどどんと18面並んだ様は壮観の一言に尽きます。正寝殿の内装と比べ、皇后の棲家だったこちらの方が装飾が華やかな感じ。

宸殿 牡丹の間を飾る『牡丹図』 狩野山楽筆
黄色味の強い金箔を背景に白やピンクの牡丹の花、鮮やかな緑の葉が映える。
牡丹図が連なって大迫力。
宸殿 『柳に燕図』 作者不詳。激しい強風にきりもみ状態の柳。風に翻弄される燕の姿も見える、ダイナミックな画面。絵の具の剥落が惜しい!
宸殿 『紅白梅図』 狩野山楽筆。赤みの強い金箔に紅白梅が映える。
『紅白梅図』を拡大。花は一輪一輪描き込まれており、非常に手の込んだ大作。小鳥も棲んでる。


まとめ

東京ではあまり見る機会のない大覚寺の寺宝が勢揃いの面白い展示でした。年代が古いので障壁画が褪色気味なのが少し残念。大覚寺には復元模写の障壁画が飾られているそうで、そっちも見てみたいですね。たまには特別公開もあるという話だし、また京都行こう。


参考資料


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