第19回|7つの習慣[対話編]|正義を裁くのは、誰なのか|アバランチ‐第1弾ー
「正義」という言葉に、少し身構えたことはありませんか
こんにちは、Haoパパです。
最近、久々にドラマ「アバランチ」を見始めました。まだ3〜4話ですが、すでに心に引っかかる場面がありました。
主人公たちが決め台詞のように口にする、このセリフです。
「あんたの罪がどう裁かれるべきかは、この動画を見ている全ての人間に委ねる。それが俺たち・・・アバランチだ。」
(ドラマ「アバランチ」より)
「完全懲悪」に、なぜか合わなくなっていた自分

7つの習慣を学ぶようになってから、「悪人がいて、正義が懲らしめる」というシンプルな物語に、以前ほど乗れなくなっていました。
「自分(たち)が正しい、相手が間違っている」という対立思考のパラダイムに、居心地の悪さを感じるようになったからです。
それでも「アバランチ」はつい続きを見てしまう。その理由が、しばらく分かりませんでした。
裁くのは、俺たちじゃない
けれど、あのセリフを聞いた瞬間、少し違うものを感じました。
アバランチは、正義と悪についての信念を持っています。「正義の力を信じてみないか?」と仲間を誘い、「あんたの罪」と言い切れるだけの確信がある。悪に対して目をつぶらない、はっきりとした価値観がそこにはあります。
それでも彼らは、「自分たちが裁く」とは言わない。事実を動画にして、あとはカメラの向こうの人間に委ねている。
正義の信念は持ちながら、制裁する権限は自分たちのものではないと知っている——この分け方が、単純な「完全懲悪」とは違うところだと思いました。

アドラー心理学には「私憤」と「公憤」という言葉があります。自分個人の怒りをぶつけるのが私憤、世の中のためにならないことへの怒りが公憤。アバランチの立ち位置は、公憤を持ちながらも、その矛先を「国民の判断」という場所に向けている、そんな形なのかもしれません。
7つの習慣で言えば、これは「パラダイムシフト」の話でもあると思います。「正義が悪を懲らしめる」という見方から、「正義を信じながら、裁きは委ねる」という見方へ——信念の強さを持ちながら、行使の仕方を変えることで、行動そのものが変わってきます。
自分が惹かれる理由の中に、原則がある
7つの習慣には「原則中心」という考え方があります。感情や状況に振り回されず、自分の中心に何を置くかで、選ぶ行動が変わるという話です。
自分がアバランチのどこに惹かれているのか——それを考えることは、実は自分がどんな原則を大切にしているかを知る手がかりなのかもしれません。「裁かれること」よりも「自分で考える余地が残されていること」に、私は安心するタイプなのかもしれない、とドラマを見ながら思いました。
まだ結論は出ていません。続きを見ながら、その問いを持ち続けたいと思っています。
あなたが「つい見てしまう」物語には、何がありますか
説明のつかないまま惹かれてしまう物語、ありませんか。
その理由を掘ってみると、案外、自分が大切にしている原則やパラダイムに出会えることがあります。
あなたが最近「つい」見てしまったもの、読んでしまったものは何でしたか。そして、それはなぜだったのでしょうか。
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「なぜこの物語に惹かれるんだろう」——そんな小さな引っかかりを、一人で抱え込まずに話してみたくなることがあります。
7つの習慣®実践会は、答えを急いで出す場ではありません。「自分の正義感は、私憤なのか公憤なのか」「原則中心って、具体的にはどういうことか」——そんな揺れを持ち寄って、一緒に考える時間です。
続きが気になる物語を眺めながら生まれた問いを、誰かと話してみたい方は、のぞいてみてください。
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基本原則:パラダイムとパラダイムシフト
基本原則:原則(中心のパラダイム)
第1の習慣:主体的である
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