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大河「べらぼう」第47回「饅頭こわい」 和解の凧は春町に


はじめに

 「天時不如地利。地利不如人和」(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)」とは、孟子の言葉。今では、天の時、地の利、人の和と勝つために必要な三つの条件として扱われることもありますが、元々は、人の和が一番大切だということです。つまり、事を成し得るには、それに携わる人々の心が一つになっていることが最も大切だということです。一致団結などと言えば、聞こえはよいですが、人間とは「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)ものです。さまざまな考え、性別、年齢、立場、身分があるのですから、そうそう簡単なことではありません。

 大河「べらぼう」は、ある種、群像劇です。多くの、さまざまな人々が蔦重のもとを訪れ、駆け抜け、集まり、ぶつかり、すれ違い、いがみ合い、愛し合いながら、多くの作品を生み出していきました。その過程は、まさに人の和が出来るその有り様だったように思われます。

 そうやって描かれた人の和、歌麿とていの想いが昇華されプロジェクト写楽となりました。しかし、これだけでは、巨悪、一橋治済を封じることは適いました。蔦重が築いてきた人の和には、まだピースが足りない…昇華されていないわだかまりがあるということです。そこで、今回は蔦重の、人の心を救う敵討ちが出来上がるまでを見ながら、大きな人の和が生まれるのを見ていきましょう。


1.そっくりさん斎藤十郎兵衛

 一橋治済に一杯…いや毒饅頭を食わされた定信一派と蔦屋耕書堂芝居町支店。長谷川平蔵の機転で命拾いをした蔦重は、定信らが治済を仕留めるため潜んでいた廃浄瑠璃小屋へ誘われます。そこは死屍累々の惨事…ここに至って、ようやく蔦重は定信から、この傀儡好きを倒す「敵討ち」の全貌を知らされることになります。蔦重らの「プロジェクト写楽」は、傀儡好きをおびき寄せるための壮大な花火。計画を成功させる重要な要素の反面、「敵討ち」の核心ではありませんでした。事の要諦は、傀儡好きを替え玉とすり替え、傀儡好き本人を暗殺するということでした。

 暗殺という後ろ暗い事の性質上、その事実を知るのは最低限に絞られていたでしょう。もっとも安徳寺にいた面々のうち、知らざるは蔦重だけ、この小屋にいない高岳、三浦は知っていたでしょう。蚊帳の外に置かれた蔦重からすれば、いい面の皮と自嘲したくもなるでしょう。ただ、蔦重の役割は源内生存説を派手に吹聴すること。謂わば、本屋ならではのお祭り騒ぎを仕掛けることです。大いに戯けることが大前提。


 しかし、暗殺と本屋の遊興は真逆の方向性で相性のよいものではありません。生真面目な定信と洒落っけの強い蔦重と二人の相性を象徴していますね。したがって、蔦重に存分に力を発揮してもらうため、蔦重には真相を伏せたのだと思われます。蔦重とは昵懇の三浦と平蔵は、そうした事情よりも、血生臭いことに蔦重を巻き込みたくないという情のが強かったでしょう。ですから、蔦重の知らぬうちに事を収めたかった。どこかで蔦重を気にしていたからこそ、真っ先に蔦重のところへ毒饅頭を阻止できたのでしょう。

 と考えると、定信らが蔦重を蚊帳の外にしたのも故あることです。果たして「筆より重いもんは持ちつけねぇ」(第28回)蔦重が、いくら悪逆非道の輩の成敗とはいえ、人殺しのために腕を振るえたか、と言えば、到底無理だったでしょう。蔦重の商いの上手さの一つは、人々を当事者として巻き込みムーブメントにするところにあります。また利他的な蔦重は、ある意味では繊細です。暗殺のための企画と知ったなら、ていを、奉公人を、歌麿を、チーム蔦重を総出で巻き込むような案思を打つことは躊躇したでしょう。加えて言えば、春町を死なせたトラウマを蔦重は決して忘れていません。そもそも、プロジェクト写楽は春町への供養なのですから。

 ところで、定信らの「敵討ち」が成功するには替え玉の役割が重要です。治済とすり替わっても誰も気づかない…そんな好都合な人物を市中で見つけたことが「敵討ち」の計画を思いつかせたのでした。それは大崎探索中の平蔵が、源内の痕跡を探しに重政らと芝居町を訪れた蔦重とすれ違った日…密偵の磯八、仙太に埒が開かないと零していた平蔵は、自分の脇を通り過ぎた人物に驚愕…「嘘だろ…」と後を追いました(第44回)。どこから見ても一橋治済にしか見えないその人物の正体は、阿波蜂須賀家お抱えの能役者、斎藤十郎兵衛でした。

 現在、半ば定説化している「東洲斎写楽=斎藤十郎兵衛」を知っている視聴者は「そう来たか!」と声をあげたでしょう。あるいは前回、ラストシーンに彼が出てきた時点で、替え玉が斎藤十郎兵衛と看破した鋭敏な方々答え合わせに得心がいったところ。序盤から度々描かれて来た治済の能好きは、屋敷に能舞台を作っていたなど史実からの人物造形ですが、それが斎藤十郎兵衛の能役者という身分とつながり、二人の入れ代わりというシナリオの案思になるとは予想の斜め上でした。

 第45回note記事「はじめに」では、「東洲斎写楽=斎藤十郎兵衛」説の根拠、斎藤月岑「増補浮世絵類考」の原本が、1790年頃に太田南畝執筆、1802年に山東京伝加筆とチーム蔦重の面子の手によるものであることから、次のような推測を書きました。即ち、プロジェクト写楽の存在と目的を隠蔽するため、京伝あたりが見知った適当な人物の名前を使用し、後付けで正体をでっち上げる「物語」も可能だと。
 しかし、今回の治済と斎藤十郎兵衛の入れ替わりということを踏まえると、替え玉として歴史からその名が消えてしまうプロジェクト写楽と「敵討ち」最大の功労者、斎藤十郎兵衛の名を何からの形で残そうとしたのではないか?そうも考えられます。斎藤を巻き込んだ定信の意向でしょうか?というのも、定信は後年、京伝らに仕事を依頼するなど、関係は少なからずありますから。


 ところで、治済そっくりの斎藤十郎兵衛がいたとなると、ここ一ヶ月ほどの劇中、市中のあちこちに出没していた治済と思しき人物は、治済のお忍びではなく、斎藤十郎兵衛であった可能性大になってきました。平蔵が追っていった先のシーンは無論のこと、例えば、人相見、大当開運の列に並んでいた(第41回)のも、高島屋おひさ会いたさの行列のなかにいたのも(第42回)…そして定信失脚の顛末についての読売を買っていたのも(第43回)、皆、斎藤十郎兵衛だったのでしょう。

 思えば、この3つ、放映当時もうっすら違和感はあったのです。例えば、人相見に並ぶ件。人の欲を見抜くことを得意とし、それを弄ぶことを喜ぶ治済です。玄人はだしの彼が、人気とはいえ市井のテキトーな口八丁、軽薄なインチキくさい人相見を果たして楽しむのかと。高島屋の行列にしても、妙にウキウキして浮わついた無邪気なミーハーぶりは治済らしい傲慢さとは削ぐいません。そもそも、息子であろうと自分の虚無的な愉楽の玩具でしかない彼が、推しのために並ぶ我慢をするのも妙な話です。たかが町娘一人、拐かすほうが早い。治済は無駄なことはしません。極めつけは読売を買う行為。買う前に定信失脚の報せにやや驚き、読売を買います。定信失脚を目の当たりにしていて何を今更…というわけです。

 こうした小さな違和感を覚えた方は少なくなかったでしょう。にもかかわらず、今日までスルーされて来たのは、一橋治済が自ら物乞いに扮して丈右衛門(仮名)と騒いで民衆を煽り立て、打ち壊しを誘発したことが衝撃的だったからでしょう(第32回)。騒ぎの後、新之助らを止めようとする蔦重が袋叩きに合う様を遠巻きに眺めていた物乞い姿の治済が印象的でしたね。その後、蔦重に凶刃が襲いかかり、庇った新之助が落命したのは、その時、治済が蔦重を認識したから…そういう演出がなされました。
 結果、視聴者は「一橋治済は暴れん坊将軍(祖父)よろしくお忍びで市中を徘徊する」と刷り込まれてしまいました(笑)

 これが壮大なブラフ、カモフラージュになりました。人は情報が少ないとき、想像力で補うのが性。その後、度々、市中に現れる生田斗真くんという断片的情報を見て、視聴者は勝手に一橋治済と誤認していきます。読売を買うのは、定信失脚を改めて味わうため、人相見に並ぶのは情報収集のため、というように。人相見に並ぶ生田斗真くんと蔦重がすれ違ったときなぞは、「志村、後ろ後ろ」(死語)よろしく、一橋治済に蔦重が狙われると戦慄が走った視聴者もいたのではないでしょうか?

 巧みだったのは、高島屋の行列です。一橋治済が看板娘の絵を見せられたことがきっかけで、物価高騰に気づいた本多忠籌、松平信明がお忍びで市中へ出向きました。難波屋の茶一杯の高値に仰天する忠籌らのシーンの直後に、高島屋のシーン。視聴者は自然と治済と老中らが揃ってお忍び、治済だけ別行動…という物語を脳内にこさえてしまいます。
 また例年、その回のネタバレがひどい大河ドラマのオープニング(笑)も、この件だけは完全秘匿。斎藤十郎兵衛の役名を第46回まで伏せ続けました。もしかすると生田斗真くんなど一部の俳優と一部のスタッフ以外は箝口令引かれていたかもしれませんね(邪推)こうして入念に斎藤十郎兵衛登場は、微に入り細に入り、仕組まれ、「そう来たか!」になったようです。


 話を浄瑠璃小屋に戻しましょう。斎藤十郎兵衛が一橋治済と瓜二つであったこと…これが真の事の起こりでした。定信曰く「事故や拐かしに見せかけ、傀儡好きを亡きものとすれば大騒ぎになるが、替え玉がおれば避けられる…斎藤殿がおったゆえに…我らは敵討ちに踏み切れたということだ」と。おそらく、斎藤を見つける前の定信と高岳らの計画は、大崎を見つけ、動かぬ証拠を押さえ、治済に突きつける…のような単純な企みだったのでしょう。

 一点、個人的に残念だったのは、讃岐出身の柴野栗山が治済と初対面の折、呆気に取られる表情をしたのが、治済が旧知の斎藤に似ていたからだったということでした。伏線としては秀逸だったのですが、てっきり治済の邪気を直感した優秀な儒者と考えていたため肩透かしに…見損ないました(笑)


 さて、瓜二つとはいえ、治済と斎藤は生まれも育ちもまるで違います。「一橋さまの癖や好みを教えたり、さまざまな取り繕いはいる。その役を任せることと引き換えに大崎もこちらへ引き込んだのだ」と平蔵はつけ加えます。蔦重は驚くばかり。あの日、定信の面前へ引き出された大崎は、定信に厳しく詰め寄られました(第45回)。大崎の話した、生き延びるため、それが殺しであっても必死に務めるしかなかったとの言い分は、額面通りに受け止められるものではないでしょう。

 演技混じりとはいえ、大崎は、微笑しながら数々の悪事を進めて来ました。その最たる一つが、高岳失脚の一件。件の家基暗殺の証拠、死の手袋を治済に預けられた大崎、それを高岳に差し出し、毒が仕込まれていたことを仄めかします。そして、「調べましょうか」(第33回)との一言だけ。無論、問いではなく、こちらはいつでもお前を追い込むことが出来るという恫喝です。脅し文句を一切つかわず、柔らかい表情であの老練な高岳を心理的に追い込み、権力の座から引き摺り下ろした。その手練手管は、得意の毒よりも毒性があるでしょう。
 その後、大奥内で権勢を振るい、蓄財を重ねたたのですから、治済の尖兵となった対価を十分に得ていますから、生きるためだったとの言い訳は嘘ではないにせよ、盗っ人猛々しいの謗りは免れないでしょう。


 もっとも定信と対立したため、「大崎殿は不正な蓄えの他、老女の任に相応しからぬ行いも多く見受けられ」(第37回)と、その権勢を理由に大奥を追われたことは彼女にとって痛恨だったでしょう。こうなってしまうと大崎は、知りすぎた使えない駒。命の危険から尼寺へ逃げ込んだ…一橋治済の恐ろしさに怯え、尼寺での日々のなか、自分の重ねた罪と向き合うことはあったでしょう。ですから、言い訳は保身ですが、悔いる思いと怯えは本心でしょう。
 そんな大崎を烈火の如く叱責した定信ですが、彼女を斎藤と引き合わせると態度を和らげます。瓜二つの男に驚きを隠せず二度見する大崎へ「我々は一橋と斎藤を入れ替えようと考えておる。入れ替える前、最中、そしてその後…助けてはくれぬか?」と、穏やかに依頼します。「前、最中、その後」…それは、つまり協力すれば助かるという命の保証の確約でした。穏便に済ませる提案をしたのは、大崎以上に治済に詳しい者がいない、背に腹は代えられぬ、という事情が大きいでしょう。そもそも、生真面目な定信には一旦引き入れ、その命に従い、成果を出した者を口封じするような卑劣は思いつかなかったとも言えそうです(蔦重への脅しは陣営に引き入れる前)。


 そして、定信の温情は、結果的に、数知れぬほど人(そのなかには定信の兄、治察もいます)を殺めながら、のうのうと生きながらえてきた大崎に贖罪の機会を与えたことになります。加えて、将軍家斉の乳母であった彼女は、所謂、教育係はうってつけでしょう。大崎に断る理由はありません。
 それにしても、定信がどこまで自覚的かはわかりませんが、定信と治済の手先であった大崎の関係は複雑ですね。今回の後半に出てくる大崎の告白によれば、大崎は定信の兄、治察を毒殺した実行犯の一人。その一方で、定信が老中首座の座に着けた最後の一押しをしたのも大崎です。彼の就任を阻む田沼意次の策の要は、大奥からの就任反対でした。先の大崎による高岳への静かな恫喝は、それを取り下げるためのものでした。時に敵、時に味方…それは定信の半生が、いかに一橋治済の掌の上で踊らされていたものであったかを如実に語っています。勿論、それは大崎も。二人が宿怨を越え、治済妥当に手を結んだのは必然であったかもしれませんね。


 再び浄瑠璃小屋。ようやく定信らの「敵討ち」のからくりが飲み込めた蔦重が、後一つ聞きたいのは「因みに傀儡好きってのは?」…肝心の「敵」の正体です。「敵討ち」に半ば強制的に参加させられた形の蔦重は、そこへ踏み込む余裕はなかったと察せられます。それだけプロジェクト写楽が大掛かりで、専念せざるを得なかったのです。治済らの計画が「正しい」と信じて。

 それだけに、「敵」の正体が「一橋治済、上様の父」と知った蔦重は息を飲み、「…それは謀反にごさいませんか!」と詰め寄るしかありません。それほどに命懸けの危険なことに、何も知らない自分たちを巻き込んだのか…蔦重には信じられません。大義のためには命を掛ける。それを当たり前として、納得しない人に強要し、事実を知らない者も動員するのは、為政者らしい傲慢と武家の理屈でしかありません。
 一般庶民である蔦重からすれば、それよりも大切にすべき日々の暮らしや小さな幸せがあるのは道理でしょう。もっとも、一見、カッコよく見える大義に殉ずる、毅然とした態度やらを称賛する人々は戦前にも、2020年代にもいますが。

 ただ、蔦重に問い詰められ、目を剃らした定信は、この大義が正統であっても倫理的弱さを持つことを自覚し、町人である蔦重らの命を危険に晒したことを悔いる気持ちはあると思われます。こんなはずではなかった…というところでしょうか。武張った「敵討ち」に呆れた蔦重は「斎藤さまはよろしいので?替え玉って…」と、縁も所縁もない「敵討ち」に巻き込まれている彼へ痛ましそうに問い掛けます。

 ただ、能役者とはいえ、武家の家中の人間である斎藤。「越中守さまが蜂須賀家の殿と話をつけられ、主命として替え玉となるよう命じられた…」と正当な手続きを踏んだものであると説明すると、「そもそも、この方々に言われ、私に断れるわけがなかろう」と微笑します。主命と大義なれば致し方ない。そう覚悟しているようです。因みに当時の阿波蜂須賀家の当主は、蜂須賀治昭。湯島聖堂に並び称せられるほどの蔵書家であったとか。学問好きの定信とは話があい、協力を快諾したと察せられます。

 斎藤の穏やかな態度に、かえって沈鬱な表情になる蔦重。我が心のままに生きられない武家の理屈と道理に理不尽さを感じざるを得ないでしょう。しかし、生きる世界が違う彼らに、それを今、説いてもせんないことです。蔦重は「今後はどうなさるおつもりで?企みは露見されたのでございますよね?」と当面の方針を聞きます。その当然の問いに何も返せず、押し黙る定信。
 あまりの無策に蔦重が訝るのは当然です。黄表紙なり錦絵なり、ヒット作を生み出すのは容易ではなく、当たるか当たらぬかは、最終的には博打。ですから、入念なリサーチ、案思を練り込み、失敗したときのリスクマネジメントを考え、あらゆる手立てを打っているのです。そういう一流商人からすれば、あまりに一本道を突き進むだけの計画など、不用意かつ素朴過ぎます。

 赤穂浪士の敵討ちとて、浅野家再興などあらゆる手立てを講じた上での最終的な手段だったこと思えば、杜撰と言うしかありません。思わず、「まさかしくじったときのお考えもなく…」と驚く蔦重の言葉を「しくじりなど考えておっては、かようなことは出来ぬ!」といきり立つ定信。強がりが、事態の深刻さを物語っています。悔し紛れの「命が惜しくば、息を潜め、店を畳んでおれ!」との捨て台詞を聞いた蔦重…自分たちが八方塞がりに追い詰められたことに落胆します。



2.窮鼠猫を噛むは敵討ち

(1)みの吉の案思

 真相が分かりはっきりしたのは、ほとぼりが覚めるまで、てめえの身はてめえで守るしかないということ。相手は公方の父、しかも企みが暗殺であってはら命が狙われたからと公儀に訴えることは出来ません。陰謀の片棒を担いだと裁かれるがオチ。頼みの定信たちも我が身を守るのが精一杯でしょう。加えて、市中のどこに、あるいは奉行所内ですら治済の手の者がいるか知れたものではない。こうなっては蔦重に出来るのは、ほとぼりが覚めるまで「当分の間店を閉め表に出るな」とするしかありません。

 ただ、事情を知らない奉公人らには、動揺が走ります。プロジェクト写楽が、「敵討ち」の一端であることを知るのは蔦屋夫婦のみ。奉公人らは、主人の仕掛けた面白企画としか思っていなかったはずです。主人が何を言い出したのか、にわかには理解出来ないでしょう。事態を察するリーダーのみの吉は、蔦重の心中を慮り、長期休みが出ただけと思おうと励ましますが…倒れてしまいます。彼は件の毒饅頭を食べてしまっています。急いで吐き出しはしたものの、完全には毒から免れることは出来なかったようです。

 こうなっては、奉公人たちにも何が起きたのか、話すより他なくなりました。丸屋時代から、この店に奉公するみの吉が、巨悪によって害されたことに心を痛めるていは「あのとき…写楽をやろうなどと言わなければようございました…」と臍を噛みます。そんな恋女房に首を振る蔦重は「そもそも、のこのこ釣られた俺が悪い…」と慰めますが、言葉に力が入らないことだけはどうにもなりません。蔦重にしても日本橋に見世を構えて以来、最も信頼する奉公人です。このような惨事に打つ手もない無力感に夫婦は沈黙してしまいます。

 やがて「諦めるしかないのでしょうね…これが浮き世なのだと…」と、巨悪の恐ろしさに絶望的な思いを口にするてい。そう弱気にしなければ、この状況に耐えられなかったのでしょう。蔦重も「今は嵐が通りすぎるのを待つしか出来ねぇ。店閉めて、食い物には気をつけて…」と、それに力なく同調します。利他的な蔦重は、自身の死は恐れないところがありますが、逆に周りの人間が被害に合うことには落ち込みます。

 たまらず「勘弁してくださいよ!」と、蔦重の言葉を遮り、叱咤したのは、古株の女中たかです。はっとする二人。蔦重へは「気をつけるにも限りがあるってんです」、ていには「お嬢さまも、諦めるってなんです!奉公人危うくして…それでも女将ですか!」と叱りつけます。起きてしまったことに、消極的なことを言っても始まらない。こういうときこそ毅然として、何とかしようと頑張らなければ駄目だというわけです。
 たかの厳しい言葉に、ていは泣きそうな表情でうな垂れるてい。主人夫婦の怯えは、すぐに奉公人に伝播します。口々に不安と恐れを口にします。たかが二人を叱ったのは、奉公人に不安を抱かせないのも主人の務めであると思うからです。


 ただ、そうは言っても、今回ばかりは八方塞がり。奉公人に掛けてやるべき言葉が浮かびません。すると、息も絶え絶えのみの吉が「うっかり、毒饅頭を食わねぇですかね?そいつ…」と口にします。聞き返す蔦重に、なおも「仕込んだ奴ら…うっかり食ってぽっくり逝くってなぁ…面白くねぇですか?」とみの吉。こんな死にそうなときになっても、みの吉は蔦屋耕書堂のため、案思を捻り出そうとします。蔦重のしてきたことをずっと傍で見てきたみの吉は、夫婦が落ち込んでいるときにも案思を考えるなど(第44回)著しい成長を見せています。蔦重の薫陶を受け、みの吉もまた骨の髄まで本屋となっているのです。

 誰かが精神的に参っているときは、誰かがフォローに入る…蔦重夫婦が意気消沈しているときは、みの吉がたかが、二人にその本分を全うさせようとしてくれる…それが蔦屋耕書堂の強さです。「そうだな…毒饅頭」と、安心して寝るように気遣う蔦重ですが、みの吉の必死の案思は、やがて蔦重にとんでもない閃きを与えます。


 一方、定信が蔦重らを庇っている余裕がないのは、一橋治済一派に返り討ちにされ、数多の家臣を失ったことを隠し切れないからです。治済と老中に呼び出された定信は、「祭に繰り出し大騒ぎしたようで…まこと…汗顔の至りで」と怨敵に土下座するより他ありません。
 かつての盟友、そして自分を裏切った本多忠籌と松平信明からも「風紀粛清質素倹約を叫んだ本人の御家中がこれかと、御公儀は最早笑い者とされております」「大名のなかにかほどの恥さらし、けじめをつけるべきとの声もございますな」と厳しい声。特別、治済に阿っているというよりも、定信の立てた方針を基本的には受け継いでいる彼らにしてみれば、要らぬことをされたとの思いが強いのでしょう。そのあたりの心中を、治済は上手く利用し、自分の暗殺を企んだ定信を最大限、苛み楽しもうというわけです。プライドの高い奴ほどいじり甲斐がある…治済にとっては余興でしょう。

 隠居をちらつかせ、怯んだ定信は、屈辱に顔を歪めながらも、「どうか…それだけはなにとぞ」と平伏するしかありません。「たしか…松前どのには遊興を理由に隠居を申しつけておったなぁ」と過去の言動を取り上げると、扇子で顔を上げさせ、「聖人君子でもぉ我が身はかわいいものよのう」と言葉で嬲り尽くすと、公衆の面前で扇子で顔を叩きつづけ、髷を唾でなでつけ、いたぶり続けます。ただ、面白くてやっているだけ…そこが治済の恐ろしいところです。


 屋敷に戻り、刃傷に及ぶと癇癪を起こす定信。耐えに耐えた意次との度量の違いが丸見えですが、若さというものかもしれません。宥める柴野栗山と長谷川平蔵ですが、定信の怒りは収まりません。そこへ、もう一人、定信の怒りに油を注ぐ男が現れます。蔦屋重三郎です。「本屋の相手をしておる暇はないのだが?」と嫌味全開の定信ですが、そこは売り言葉に買い言葉、「そうおっしゃらず。何せ暇なんもんで…どなたさまかの不手際で店を休むことになりまして」と慇懃無礼に返します。何せ、白洲でも定信に啖呵を切った蔦重です(第39回)。この程度で怯むわけもありません。

 わなわなと震える定信は「一生、店を開けぬようにされたいか?」とねめつけますが、素知らぬ顔で「ちと思いついたのでございますが。傀儡好きに毒饅頭食わせるってなぁいかがにございましょう」と提案をし始めます。ただ、「毒饅頭の敵は毒饅頭で取るってなぁ…こりゃあ、なかなか頓知が聞いておりますかと。こううっかり…ん、と食わしちまって」と食べる真似を加えて話すその様は、落語のごと。

 ドン!と足を踏み鳴らした定信は「ふざけるのもいい加減に…」といきり立ちますが、これにも蔦重、「とおっしゃられても、ふざけんのが私の分にございますんで」と本屋の務めを果たしているだけだといなし、挙句の果てに「ああ…たしか…きっちり分務めてりゃあ、よい世が来るのではございませんでしたっけ?」と、定信の揚げ足取り。定信の「敵討ち」に無理矢理参加させられた結果、自分ばかりか家族や奉公人にまで類が及んだのです。これくらいの意趣返しをしなければ、蔦重も納得がいきません。
 一方で「敵討ち」を続行する以外に、自分たちが助かる道はない。だから、本屋らしい案思を持って、ここにやって来たと蔦重は、真剣な思いを伝えてもいるのですね。毒饅頭を食わせるというのは、ふざけてなどいないと。

 そこで怒りの収まらぬ定信に代わり、蔦重の意を汲んだ柴野栗山が、その物言いには呆れつつも「毒饅頭をうっかり食わせるとは、これいかにして。一橋の奥女中でも抱き込み、仕込ませるのか?」と、ズバリ詳細を問い質します。これには「いえ、それじゃ奥女中の首が危ない。これ以上、死人が出るのはいただけません」と返す蔦重。しかし、それを言い出したら、誰も毒を盛れないと感じた栗山は「ではいかに?」と再び問い質します。

 ここで待ってましたとばかりに「お一人だけおられましょう」とうそぶきます。アップで捉えられた蔦重、ニヤリとして周りを見渡すと、いたずらっ子のように「誰にいくつ毒饅頭食わせても…許される御方が」と、仄めかします。目を丸くする栗山に、「まさか…」と絶句する平蔵、そして、「左様なことが出来るわけがなかろう!」と激昂する定信。蔦重の意図が伝わったようです。武家のなかでも御三家に次ぐ地位にある一橋治済に毒を飲ませても咎めを受けない存在、それは現将軍徳川家斉だけです。

 あり得ないと怒り狂う定信に「けど!こりゃあ上様の分にございます」と、笑顔も消して真剣な表情になる蔦重。「上様の分」、この言葉には定信も虚を突かれます。少しローから見上げるアングルで捉えられた蔦重、それは彼がこの案思に自信を持っている証拠です。蔦重は「上様ってなぁ…この世に太平をもたらすためにいらっしゃる。太平を乱す輩がいんなら、毒饅頭食らわすのが上様の務め。分だ」と、その理屈を理路整然と話します。将軍が頂点に立ち、ふんぞり返っていてよいのは、その唯一無二の役割を果たしているからです。

 それだけに蔦重は「あたしらには、分を!分を!っておっしゃいながら…天下を治める公方さまが、己の分には知らん顔ってなあ、こりゃ道理が通らないってことじゃございませんか」と嫌味を多少、込めながら、いつもの如く、定信の語る道理を梃子に、自分の意見を主張します。白洲のときの啖呵よりも見事な物言い。定信は、蔦重の案思の意外さにあんぐりとしていますが、その筋道は認める以外にありません。

 トップに立つ者の一番の仕事は何か、それは見事な指導力を見せる、毅然とする、などといった見た目のカッコいいことではありません。何か問題が起きたとき、自分の首をかけて責任を取る。このことです。一橋治済という巨悪が問題であれば、家斉が責任をもって駆除すべきなのですね。昨今は、「責任を感じる」だけで、「責任を取らない」政治家ばかりですが、詭弁に騙されていけませんね。


(2)重好の小さな勇気

 将軍家斉を引き入れてこそ「敵討ち」は謀反にならない。蔦重の発想は大胆かつ極めてハードルは高いものの、正鵠を射たものでした。少なくとも後先考えず、家臣を路頭に迷わす刃傷で治済を討つと息巻く定信よりは遥かに冷静。取り立てて有効な手段もない今、定信は蔦重の策に乗るしかありません。

 足掛かりがあるとすれば、家斉と治済の親子関係がギクシャクしていることです。原因は、大奥内で広がる家基の祟りの噂の扱い。今、家斉は、子は生まれども、そうそうに亡くなってしまう事態に悩まされていました。心痛のせいでしょう、家斉も時折、激しい偏頭痛に襲われるようになりました。そこで家斉は、家基の法要を大々的に行い、家基の御霊を鎮めようと考えたのです。しかし、一笑に伏し、頑としてそれを受け入れないのが実父の治済でした。

 そもそも、人の心と命を弄び、苛む性癖を持つ治済には、死を悼む気持ちがありません。彼にとって他人の命とは、自分が玩具にするため、無尽蔵に湧いて出るものでしかないのです。また他人の死を軽んずる家斉は、祟りや呪いの類いは勿論、死者が生者に何か出来るとはまったく考えていません。恐るるに足りない。ですから、過去の己の罪を今更、暴き立てる家基の呪い話も、ひたすらに忌々しいだけ。噂に狼狽える息子を不愉快に感じるばかりで、怯える我が子の心に寄り添う、助けてやる気持ちはまるでありません。治済の酷薄さが際立ちます。

 この軋轢に楔を打ち込めれば、定信たちの謀は進展します。とはいえ、家斉から蛇蝎の如く嫌われ、排除された定信では、説得は不可能。そこで、定信が頼ったのが、先代将軍の弟にして、御三卿清水家の養子に入った清水重好でした。死病により余命いくばくもない重好ですが、血筋、年齢、人柄、家柄など、家斉を説得する今回の話にうってつけです。

 事情を打ち明け、丁重に助力を請う定信へ、重好はため息を漏らしながら「丁度、兄上と甥に冥土の土産を…と思っておったところでな…あの日よりずっと…敵を射てぬ己が不甲斐なくて」と意外な話を漏らします。あの日とは、先代将軍家治が絶命した日のこと。家治は最後の力を振り絞り、一橋治済へ這って行くと、胸ぐらをつかみ「よいか!天は見ておるぞ。天は天の名を騙る傲りを許さぬ!」と凄まじい形相で、恫喝し、凄絶な最期を遂げました。あの時、重好は「今の…?」と狼狽えるばかりでしたが、家斉のため錯乱を装い、兄が告げた真実と真意を重好は気づいていたのでした。

 ただ、時の将軍をも殺める治済が恐ろしく、身を潜めて今日まで生き長らえたのだと重好は言います。死期が近づいた今ならば、恐れることなく、何かが出来るのではないか、そう感じたのでしょう。「覚えておらぬかもしれぬが、そのときのこと、上様に思い出していただければ…」と協力を申し出ます。先代将軍を亡き者にして平然としている危険な人物となれば、父と言えども捨て置けなくなるだろう。そこに一縷の望みを掛けます。


 早速、家斉の側室の死に対するお悔やみの建前で、家斉に拝謁した重好は、公方が夢枕元に現れ、自分と家基の無念を晴らすとの話を持ち出します。その話に家斉が乗り出したのは、ときには母子共々命を落とすことに、遂に大奥では、女性たちが家斉の夜伽に選ばれること自体を恐れるようになるまでになっていたからです。事態は深刻でした。家斉が聞き出そうとしたそのとき、見計らったように治済が現れ、それを邪魔しました。根っからの陰湿な陰謀家である治済は、違和感には敏感です。
 重好の身体を気遣うふりをした詰問に、身に染み着いた治済への恐怖がぶり返した重好。つい、定信の助言と口を滑らしてしまい、そそくさと逃げ帰ります。去っていく彼を尻目に治済は「田安と清水か」と呟きます。黒幕は定信、まだ諦めてないのかとバカにしたように笑います。彼には、血筋が絶える家の悪あがきにしか見えないでしょう。


 ただ、重好の話に色をなした家斉は「改めての御法要を」と父に跪きます。「くどい…」と不愉快そうに言い捨てる治済に、事態を深刻と見る家斉は「しかし…しかし夢枕にと清水も」と食い下がります。すると、「おいたわしや…最早、中納言さまは、夢か現もお分かりにならぬように…」と、わざとらしく遠い目をした治済は、さっさとその場を去ります。

 しかし、その場を誤魔化すための治済の安易な台詞は不用意でした。呆然と父を見上げ、見送る家斉に襲いかかる頭痛…記憶の断片が甦りかけます。今の父の言葉をどこかで聞いていた…「何だ…これは?」と狼狽えます。予想外の登場と恫喝に恐れをなして逃げ帰った重好ですが、「上様に思い出していただければ…」との目的はわずかに成功していました。蟷螂の斧も無駄ではないのですね。


 そのことを知らない定信は、使者から事の報告を受け、「すべてが台無しになったではないか!」と激昂します。特に自分の名を漏らしたことは致命的。相手に警戒心を与えることになり、以降、同じ手は封じられたも同然だからです。いきり立つ定信を前に「まこと…!」と襖を開けて声をかけたのは蔦重、「ご苦労に存じましたとお伝えくださいませ」と金一封を渡し、引き下がらせます。
 目の前で賄賂同然の行為をさらりとの桁蔦重に「うぬは叩っ斬られたいのか!」と、今度は蔦重へ、やりきれない思いをぶつけます。蔦重は穏やかに「物事なんて、そう思ったとおり運ぶわけがございませんでしょ」と、その怒りをいなし、寧ろ、人を遣うとはどういうことかを身をもって諭します。失敗しても労を労う。相手に次こそは頑張ろうとその気になれば、次の機会に協力を仰ぐことになる。それが人の縁となるのです。多くの人とかかわり、ものづくりをしてきた蔦重は、長年の経験から、それをよく理解しています。勿論、金一封は口封じの効果も持っています。


 そして、憤懣やるかたない定信へ「国が治まると思って、凧を揚げちまった人を叩き切ったって、何の意味もねえ」と釘を刺します。この世のためと信じて事を起こそうとした人、それは勇気と志の人です。失敗したからと、それを罰しているだけでは、人材は、心ある人はいなくなるだけです。凧とは、勿論、定信の著書「鸚鵡言(おうむのことば)」の一説を揶揄した、恋川春町「鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)」のことです。庶民が笑える世の中にしたい、そう願い、為政者定信を諫めた春町を厳しく処断してしまって、どうなったか。結果は、ただ定信に阿り、反感を抱く面従腹背の輩だけが残っただけでした。

 定信自身、紀州公治貞に「世は思うがままには動かぬもの。そう諌言した者を私は腹を切らせてしまいました…」と、その痛恨を告白、罪の意識から後戻り出来なくなった自分を自覚しています。蔦重の言葉は、再びの春町の言葉。定信にも響いたと思われます。蔦重とて、定信を責める気はありません。「それならそれでどう立て直すのか。それこそが事を収める腕ってもんじゃありませんか?」と、プライドの高い定信を叱咤します。以前のnoteでも書きましたが、逆境のなかでこそ蔦重の才能は輝きます。ですから、定信へのこの言葉は経験に裏打ちされた至言です。わざわざ春町を意識させた蔦重が腹立たしい定信ですが、正しさは認めるしかありません。


(3)大崎の贖罪

 とはいえ、悪い報せは続くもの。丁度、現れた長谷川平蔵の話は、大崎殺しの証は何も出てこなかったという結果でした。こちらの証拠集めも行き詰まったということです。息をするように人の暗殺する連中ですから、証拠は最初から望み薄だったかもしれません。新之助を殺めた際に討ち取った丈右衛門(仮名)から何も出てこなかったことと同じです。

 一方で、平蔵から最後に会ったのは蔦重だけと言われたことから、蔦重はその記憶を辿ります。思い出したのは、治済が錦絵を買った際に包み金を手渡されたこと…「釣りは入らぬ…その割に…」と呟いたのは、妙に軽かったからでしょう。
 大崎が出し渋ったのではなく、少ない額と分かれば、その場で包みを開かないからです。高額と感じたら、つい開いてしまうのが人情ですから。そこに秘めた密書が、いずれ相手に伝わるためにも治済の前で開いて欲しくなかった…そういうことでしょう。ただ、その密書は遺言書、死を覚悟するが故に蔦重に渡す際、さまざまな思いから力が入ったのでしょう。


 こうして起死回生の一打となる、治済の罪を認めた大崎の証言が遺言として発見され、それは漢籍教授の名目で訪れた柴野栗山から、将軍家斉に直接、手渡されます。栗山は説教くさいことは口にせず、後は家斉の良心に任せます。「上様、お久しゅうございます」と始まる、懐かしい乳母の字ですが、中身は過酷なものでした。

  とは申せ、お手元にこれが届いたときには、私はこの世におらず、
  地獄への道中を歩んでいることと存じます。
  人を殺めてきたからにございます。
  先の公方さま、家基さま、田安治察さま、右近将監さま、
  名も知らぬ数多の民…女子ども。
  関わり方は様々ですが全てはお父上さまのお指図にございました。

己の罪を包み隠さず話すことで、治済の罪の証とする捨て身の行為。あの夜、定信から与えられた贖罪の機会は、涙が出るほど嬉しかったに違いありません。その一方で、誰よりも身近に、一橋治済の企み、その複雑なからくりと深慮遠謀を目の当たりにしてきた大崎からすれば、定信の温情は優しすぎ、その危なっかしい綱渡りの「敵討ち」はいかにも杜撰に見えたでしょう。
 となれば、治済の元へスパイとして送り込まれた自分の命はない…その思いは、浄瑠璃小屋を誘ったとき、易々と定信が乗ってきて確信したかもしれません。それでも、治済へ寝返り命乞いをしなかったのは、もう心底、治済の手先になりたくなかったでしょう。

 書かれた真実に驚愕した家斉を、また激しい頭痛が襲います。大崎の言葉に、先代家治臨終の記憶が呼びさまれます。フラッシュバックする記憶…「悪いのはそなたの父だすべて…そなたの父だ」(第31回)それは義父となった家治ではなく、家斉のことを指したのではなかったか。だからこそ、家治は「天は天の名を騙る傲りを許さぬ!」(第31回)と、その罪を天は知っていると断末魔で詰め寄った…死にゆく家治の必死の訴えを、家斉は全て思い出します。
 あの断末魔は、治済を怯ませたものの、彼の権勢に傷をつける実効性はありませんでした。まさにこれも蟷螂の斧…しかし、回り回って遂に治済を追い詰める刃となりました。その記憶が、大崎の言葉を真実と伝えています。食い入るように読み進める家斉に、大崎が告げたのは、人を苛み、欲を貪るだけの一橋治済の虚無。

  お父上さまは生身の人をまるで傀儡のように操ることがお出来になる
  比類なき才をお持ちに ございます。あの御方は天。
  この世の者は皆、傀儡。私も傀儡。
  御無礼にはございますが、上様こそ最たる傀儡にございます

それは息子であろうとも同じ。薄々感じていた父の酷薄さ、そして将軍家斉こそ、最高の操り人形という重い真実…カメラはそれを知った家斉を斜め後方から映し、衝撃と悲哀と苦悩と寂寥の合わさった心境を捉えます。それは、これまで歩んだ人生は家斉の人生ではなかった、生きてすらいなかったというもの。半生を否定されたのです。

 しかし、彼を育てた乳母の慈愛は本物でした。残酷な真実を告げながらも「上様…どうか、お父上さまの悪行をお止めくださいませ。あの御方を止められるのはこの世にただお一人。上様しかいらっしゃいませぬ」と、自分の人生を取り戻す道を示し、名君となることを祈り、筆を置いています。
 己の最期を覚悟したとき、大崎にあったのは己が心血を注ぎ、お育て申し上げた家斉のことでした。大崎は、最後に「乳母としての人生」を全うすることで、贖罪を遂げたのですね。


 「まことに大崎さまがしたためたかどうか、私は知る術はございませんが…」と控えめに話しかける栗山へ「これは大崎の字だ。幼き頃より何度も見た…乳母の字だ」と断言します。大崎の真摯な願い、命懸けの激励は、確かに家斉に伝わりました。大崎の想いに答えたい…家斉の率直な心。クローズアップになったその目には、操り人形ではない、自分の意思が宿ります。
 「それにもし大崎の書いたものが無くとも…余は知っておる。ここにあることは真だと、とうの昔から」と確信を口にする家斉の脳裏に過ったのは、命懸けで恫喝した先代家治に対して言い捨てた「はあ~、おいたわしや、最早、夢と現もお分かりにならぬとは…」という言葉、それは過日、死病にあった重好に向けた言葉と同じ。その重なり合いで、人の命を何とも思わない、父の冷酷な本質が窺い知れます。最早、放置するわけにはいかない…「栗山、余はいかにすべきであろうか」、家斉は初めて師に学ぼうとします。


 その後、栗山が家斉に語った秘策は、蔦重も加わって練ったもの。家督についての相談を、清水家茶室で行うことを口実に将軍家斉と治済を呼び出し、毒を盛る…というのが大まかなところ。茶をたてる重好が毒を盛る重要な役割。汚名返上の機会があるところに、先の蔦重の諭しが効いていますね。
 無論、既に重好の裏には定信がいることは、治済にバレています。「ふーん…それは楽しみじゃのう」と白々答えつつも、治済の警戒心は強く、これを逆に利用するくらいのつもりで茶室に乗り込みます。将軍にして息子である家斉を毒見に使い、平然としている人間性には呆れますね。治済にとって、家斉もまた替えの利く傀儡に過ぎません。


 家斉を使うことで毒は盛られていないと確信した治済…遂に茶を口にします。これこそが狙い…治済の冷酷さは誰もが分かっています。息子を毒見にすることも…だから、重好は家斉と治済の二人に毒を盛ります。倒れる息子に謀られたと気づいた治済ですが、手遅れ。「まさか…まさかもろともに…おのれ…」と、息子を置いて一人逃げ出そうとしながら、遂に膝から崩折れます。
 実は盛った毒は眠り薬なのですが、治済は死毒と信じたでしょう。一橋治済は息子に裏切られ、謀られたとも知らず、落ちる瞬間まで死の恐怖を存分に味わったと思われます。かつて、意次に後ろを取られたとき(第28回)以来の死の恐怖ですが、此度はじわじわ忍び寄る類いのもの、その悪行に相応しい格別なものとなったでしょう。


 此度の策の要諦は、毒殺しないという蔦重の意向が強く反映されたことです。蔦重から「殺さねぇで阿波の孤島に閉じ込めることになってんです」と説明を受けた三浦は落胆しますが、蔦重は「お武家さまは平気なのかもしれませんが…私にはてめえが企んだことで人が死ぬってぇのは…どうもあれで…」と痛ましい表情になります。
 刀を持たない町人のつくる「敵討ち」の案思だからこそ、将軍もろとも治済に毒を盛る、という発案が可能になりました。また、父を追放し懲らしめるだけとなれば、家斉も父を裏切る後ろめたさを幾分和らぐでしょう。そして、気弱な重好が、毒を盛ってシラを切り通せたのも眠り薬だから…定信ら任せる側とて安心です。となれば、それぞれが役割をこなせる蔦重の眠り薬という案思はなかなかですよね。

 この蔦重の案思に理論的な補強を加えたのが、柴野栗山。「栗山先生が、どれほど外道な親であっても、親殺しは大罪。義はあっても上様は大罪を犯すことになり、それを仕掛けた私たちも外道に成り下がると…おっしゃってくれて」と、安堵の笑みを漏らす蔦重。これには、三浦も頷くしかありません。
 思えば、蔦重の敵討ちと言えば、山東京伝の大傑作「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」。江戸市中の人々を、息子を失った意次を、皆を笑顔にしたものです。蔦屋重三郎のつくる敵討ちは、人の心を救うものでなければならないのです。

 そこへ、蔦重と三浦のもとへ、水野忠利から「無事替え玉は城に」との朗報。遂に巨悪は政の世界から阿波へと放逐されたのです。笑みが零れた三浦、泣きながら田沼親子の位牌へ向かいます。人々に恨まれる形で世を去るしかなかった意次と意知。忠臣、三浦庄司だけがずっと菩提を弔い続けていたのが、泣かせますね。「殿…若殿、やりましたぞ…やりました、やりました、やりました」との報告に、定信の側近水野すら貰い泣き。両家の雪解けを予感させます。
 そして、蔦重も真摯に手を合わせます。意次と意知、あの二人ならば、今回の「敵討ち」の案思をきっと喜んでくれる…そんな想いとようやく恩返しが出来た満足が、蔦重にはあるでしょう。



3.春町好きに悪人なし

 一橋治済が、長持に入れられ秘かに阿波へ送られたその頃、命が狙われる危険が去った蔦屋耕書堂は、再び店を開けます。客を見送る奉公人が、さりげなくみの吉であることで、本当に平穏な日常が戻ってきたのだと実感させてくれます。今回の毒饅頭返しの発案は、そもそも息も絶え絶えだったみの吉。主人の蔦重を奮い立たせて案思を思いつかせた彼が、ある意味ではMVPです。そんなみの吉が生き延びてこそ、治済への意趣返しになるというものです。

 そんな日常へ大名行列というイレギュラーが立ち止まります。駕籠から降り立った足…蔦重が丁重に店へ迎え入れたのは、松平定信です。店内に入った途端に見せたその晴れ晴れとした表情は、長年憧れだった耕書堂に足を踏み入れた喜びに満ちています。権威も武威もそこにはありません。
 憑き物が落ちた…とも言えるその表情からは、幕政への執着、田沼意次への恨み、理解されない鬱屈、受けた様々な屈辱などといった過去のしがらみと負の感情から解かれたような印象を受けます。「敵討ち」を無事終えたことで、人知れずこの世の役に立ったことで、定信の抱えていた鬱憤も昇華していったのでしょう。

 なまじ文武両道で才覚に溢れ、己の血筋と立場を意識するがため、自他共に厳しく律し、原則に煩い融通の利かなさ。こうした定信の苛烈な性情は、経済を停滞させて人々を苦しめ、また多くの敵をつくり…結局は、己の言動によって失脚しました。その一方で、財政を立て直す、人足寄場をつくるなどの功績があったのも事実。功罪が極端な定信の改革ですが、そこには卑しい権勢欲や保身はなかったことが窺えます。


 元来、定信が幕政にこだわったのは、祖父吉宗への敬意からでした。つまり、自らの才をこの世の役に立てたいとの純粋な思いが始まりです。しかし、その思いは白河藩への養子縁組によって潰えたことから変質をしていきます。松平武元より、意次が賄賂欲しさに縁組をしたと告げ口されたことで意次への恨みを抱きます。そして、決定的だったのは、兄、治察の急死の折、彼が田安家を継ぐことを意次に阻止されたことでした。当時、幕府の財政の立て直しに必死になっていた意次が、維持だけで年10万両の経費がかかる金食い虫の御三卿を取り潰し、その石高を召し上げようと画策していたからでした。

 意次が源内に捏造させた吉宗の遺言書を前に賢丸(定信)は、田安家へ戻ることを諦めるしかありません。そして、それは定信が将軍になるという道筋が完全に断たれた瞬間です。秘かな夢を打ち砕かれた定信は「足軽上がりにここまで愚弄されねばならぬ。今に見ておれ、田沼…」(第4回)と恨みを募らせるのは至極当然だったでしょう。こうして、意次を蛇蝎の如く嫌い、その逆張りをする四角四面な為松平定信が生まれます。


 謂わば、意次が、政治家としての定信をつくったと言えるのですが、そもそも意次が田安家を潰すことを画策したのは、先代治察の急死がきっかけです。そして、大崎の遺書によれば、その治察の死は、大崎…つまりは一橋治済の手によるものでした。
 一橋治済の息子を将軍にする計画の始まりは、治察の死。治察が死ねば、意次が田安家取り潰しのため、定信が田安家に戻ることを封じる…意次の思惑を読み切っての暗殺だったのです。将軍候補を意次が勝手に潰し、恨みまで引き受けてくれる…治済は笑いが止まらなかったでしょう。

 元々、意次の政敵だった武元を後ろ盾にしてきた定信は、意次との関係はよいものではありませんでしたが、それを殊更、煽り立て、決定的な亀裂にしたのは一橋治済の策略です。互いに対して疑心暗鬼になる、いがみ合う、足を引っ張り合う…政治にかかわる者たちの仲を裂き、決して共闘させないようにする。人を弄ぶことで出来た不安定な政局、混乱する世の中にこそが、治済の下卑た虚無的な享楽であり、またその隙にこそ、我が子を将軍にする計画を進める余地が生まれます。一石二鳥でした。


 結局、定信は、原動力の一つであった意次への恨み骨髄すら、治済によって画策され、言いように利用されたのです。自分一人が無理をしてきた定信は、失脚によって得たのは、言い知れぬ屈辱と無力感と忌々しさだけです。政への純粋な気持ちに端を発したにもかかわらず、治済の自己中心的な野心によって砕かれた定信の無念を晴らすのは、彼の初心のとおり、世の中の役に立ち、正義を貫く以外にない。
 ですから、「敵討ち」で悪を排除したことで、彼の心は救われたのではないでしょうか。つまり、ある種の政にて、己の負の感情を昇華したということです。

 それは奇しくも、治済の策謀で息子意知を失った意次が、紆余曲折を得て、その志に殉じようとしたことに似ています。意次も政に打ち込むことで、無念と哀しみを昇華させ、さまざまな献策に動いたのでした。思えば、蔦重は吉原者の哀しみを本づくりへ打ち込むことで、歌麿は報われぬ恋心を絵にすることで、春町は日々の鬱屈を作品に替えて、自分の想いと向き合い、昇華させていっています。
 つまり、「べらぼう」という作品は、ままならぬ我が心をいかに仕事という形に替え、己が心を救っていくのか、というプロフェッショナルの性も一貫して描いていたように思われます。


 ただ、こうした定信の思いは公人としてのものです。定信という人間が複雑であったのは、為政者(公人)としての彼と、文化人(私人)としての彼が、相反する状態になっていたからです。蔦重に身上半減を下したことで、出版界が冷え込んだとき、「黄表紙は教訓的、狂歌は格調高いものが多い、錦絵は相撲絵、武者絵」と、全体に勢いもなく、大人しくなりました(第40回)。自分の政の思惑どおりに進んでいるにもかかわらず、彼の口から漏れたのは「まことよい流れではあるが…」と絶句するようなもの。
 当代一の文化人でもあった定信の目から見て、明らかに質が高く面白かったのは、自分が出版統制を図る前。その事実に思わず、狼狽えたということです。彼の芸術センスは、為政者としての理念でねじ伏せられるものではありませんでした。

 しかし、今、「敵討ち」によって、為政者としての志は一段落つき、後は後進に任せる気になれています。こうなれば、残るのは己の本分、文化人としての定信です。元々、定信は、黄表紙に親しみ、絵画も嗜み、芸道に造詣が深い趣味人でした。そもそも、水野為長が恋川春町「金々先生栄花夢」を読んでいるのを見咎めたのが、定信の黄表紙好きの始まりです(第12回)。
 その後、定信は、自身と黄表紙を結果的につなげた為長を、気の置けない側近として長らく重用し続けています。それは、彼の有能さだけではなく、趣味人としての部分でも通ずるものがあったからでしょう。それはつまり、趣味人として生きるほうが、彼の本性に近かったということです。心置きなく蔦屋耕書堂に来られたことは、彼自身の褒美のようなものでしょう。


 もっとも、将軍補佐でもあった定信と本屋として長い闘いを続け、散々に酷い目にも合ってきた蔦重からすれば、その素直な笑顔はかえって警戒心を煽るようなものだったでしょう。一言で言えば、「らしくない」。それに尽きます。まして「敵討ち」は終わり、縁も切れたはずです。「今日はいかなる御用向きで?」と、揶揄するような物言いになってしまいます。気にも留めず、「国元へ下るのでなぁ」と、帰参のついでだとあっさり答える定信の目に止まったのは、数多く並べられた名作黄表紙シリーズ。蔦屋耕書堂の主力商品の一つです。

 「今さら売れるのか?」と問われ、「江戸ではそこそこにございますが、ま、諸国では黄表紙が流行っておるのでございます」と答える蔦重。どんなに出版統制されようとも、黄表紙を欲する人々がいる限り、黄表紙の火は消さないのだと改めて宣言しているのです。
 黄表紙を売り広めること、蔦重が書物問屋の株を買うことにした目的の一つは、そのことでした。「他所の国、異国にも黄表紙の火を灯して回ろうってか」(第38回)とうそぶき、ていと盛り上がったものです。その思いは、今も消えていません。何せ、黄表紙の火を消さないことが、死なせてしまった春町への蔦重なりの仁義の切り方なのですから。

 しかし、聞いた当の本人、定信は「なるほどな…」と返すもののうわの空。黄表紙に釘付けの定信は、我が心のままに、目に止まったものを片っ端から手元に抱え込み、ホクホクとしています。同人誌即売会でよく見るマニアのそれですね、これは(笑)その夢中な姿に、為政者としての影も未練もないことを見て取ったのか、あるいは黄表紙好きとの昔の噂を思い出したのか、蔦重は「江戸を離れるのでございますね…」と、彼が今後どうするつもりでいるのかを察します。
 「ご公儀の政にお戻りになると考えておりましたが」との問いは、勿体ないのでは?という意があります。互いに不倶戴天の敵だった蔦重からの言葉に、一寸、間が開いてしまう定信でしたが、「今戻れば要らぬ噂を呼ぶことになろうし、それに外道とはいえ、上様の御父君を嵌めたのだ。誰知らずとも謀反の罰は受けるべきである」と、率直に答えます。


 権力に固執するような卑しさがない爽やかな物言い、世間体などではなく自分の信念から己を律する公正さに、蔦重は思わず感心、笑みを浮かべるのですが、すぐにやや渋い顔になります。不倶戴天の敵に、つい感心してしまった自分が悔しくて、いらっとしてしまったのでしょう。しかし、そこは江戸っ子、いつまでも根に持つことも、相手を正しく評価しないことも野暮の谷保天神ってことを知っています。かなり言いにくそうにしながらも「そういうこたぁ、筋を通されるんでございますね」と褒めそやします。ちょっと皮肉交じりになってしまうのが、蔦重の正直さです。

 蔦重が精一杯褒めたと気づき、わずかに呆気に取られた定信ですが、そこはやはりいがみ合ってきた相手、「そういうところ「も」…だ」と不敵に笑います。長き闘いを経て、共闘するに至った二人だからこその距離感の会話、そのリアリティがよいですね。

 ここで「というわけでな…そのほうには時折、絵や本を十郎兵衛に届けて、無聊を慰めてやってほしい」と、陰の功労者のことを忘れないところが、定信の懐の深さ。国元へ帰る自分に代わって頼みたいと蔦重に告げます。それは、彼なりに蔦重を信頼しているということでもあります。
 今回の企てで斎藤のことは犠牲者に見えていた蔦重ですが、「元家老であった田沼の甥(田沼意致)を入れるなど内々で計らっておるし、何と言っても上様がお味方だ。多少何か出ても、その身は確かな力で守られる」との至れり尽くせりに安堵の表情になります(たくさんの能面に囲まれ嬉しそうな斎藤十郎兵衛…治済のそれとは全然違いますね)。
 さりげなく、田沼意致のことに触れているあたりに、田沼家に対する積年のわだかまりが解けたことが窺えます。先にも述べたとおり両者の対立も、治済の謀でしたから。

 そして、「その点につき、上様を引き込んだそなたの考えは、秀逸であった。誉めて遣わす」と今度は、定信のほうから、たぶんに上から目線ですが、最大級の賛辞を送ります。結局、巨悪を制するのは武威でも権勢でも金でもなく、人の縁でした。単につながっているということではありません。一人一人はささやかな力しかなくとも、それぞれが自分の分を果たすことで紡がれていく関係性…それが「べらぼう」でずっと描かれてきた人の縁です。蔦重がやってきたさまざまな出版物もムーブメントもすべて、名もなき人々も含めて、多くの人々が当事者としてかかわることでなされたことです。蔦重が半生をかけてつくってきた人の縁は、やがて人の和となりました。そして、そこに遂に将軍すら加わり、時代の和となったのですね。


 思わぬ激賞に、呆気に取られた蔦重ですが、定信が向けた言葉の奥にある心根が蔦重に沁み入ってきたのでしょう。やがて「お…ああ…」と微笑し、得心した蔦重は「あの…それ、おっしゃるためにお立ち寄りに?」とズバリ聞きます。定信との間に、ようやく縁が出来たような感覚が蔦重にあったのでしょうね。嬉しさが滲み出ています。
 もっとも、所謂、ツンデレの傾向にある定信は、「いキちキどコきキてケみキたカかカったカのコだカ」と、照れ隠しに慣れぬ唐言(からこと)で返します。音節の間に別の音節を入れることで中国風にすることで、内容を分からなくするという言葉遊び。「べらぼう」劇中では、誰袖と大文字屋二代目が抜け荷の話をする際にこれを使って、隠語になってないような隠語として会話していたことが印象深い例(第25回)でしょうか。

 因みに定信の唐言の意味は、「いちど来てみたかったのだ」という本音。照れ隠しと同時に、定信なりの諧謔、いなせな返事をしたつもりだったのでしょう。何故なら、言葉遊びこそが、自分が愛した恋川春町に対する定信のリスペクトになるからです。何せ、春町と言えば、地口同士が争う「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらしいのね)」、春町文字なる造語が可笑しい「廓𦽳費字尽(さとのばかむらむだじづくし)」など、言葉遊びの宝庫でしたから。無論、春町を大切にしてきた蔦重にも定信の想いは伝わったはずです。

 やがて、定信は「金々先生よりこちら、黄表紙は漏れなく読んでおる」と春町の代表作、「金々先生栄花夢」に触れます。それは、かつて鱗形屋孫兵衛と蔦重が案思をつくり、春町が書いたもの。蔦重にとっても、思い入れのある黄表紙の原点です。「春町は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集う社であった。あのことは我が政、唯一の不覚である」と、静かに自分の罪を口にします。
 この耐え難い慚愧の念は、一人、布団の上で慟哭するのみで抱えてきたもの。このときの深すぎる後悔の念がかえって、春町の死を無駄にしないため、更なる改革の断行という、春町の想いと真逆を突っ走る原因ともなりました。推しを殺してしまい、何も怖くなくなってしまったのもあるでしょう。

 蔦重の二度の絶版騒動、身上半減は、定信の春町愛深きゆえのことですが、ただ、それは自分の間違いを認めない、自分が殺したと思いたくなかった。大義に責任転嫁しようという行為でした。蔦重がこれでもかと幕政批判の黄表紙をつくってくることに苛立ったのも、己の後悔の念が伝わらないことへの腹立たしさもあったでしょう。しかし、そういう相手だった蔦重だったからこそ、自身の秘めてきた想いを唯一、告げていいのです。春町を巡り、真剣に争ったのは、蔦重と定信だけなのですから。

 「揚がった凧を許し、笑う事ができれば……すべてが違った」と、もしあのとき、春町を死なせていなければ、もっと違う形で、性急に事を進めず、武威を誇るでなく、庶民の声に耳を傾けながら、緩やかな改革を行うことが出来ていたかもしれない…そう定信は思いを馳せます。この定信の「「揚がった凧を許し、笑う事ができれば」との言葉に、蔦重が万感の笑みを浮かべたのが印象的です。凧を上げれば天下が治まると勘違いした人のおかげで瑞兆の鳳凰まで飛んだ「鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)」。
 それを書いたとき、春町は真面目な顔で「ふんどしの思い描いたとおり世は動かぬかも知れぬ。だが思うようには動かぬものが、思わぬ働きを見せるかも知れん。故に躍起になって、己の思うとおりにせずともよいのではないか。少し肩の力を抜いてはいかがかと」(第35回)と、その真意を蔦重たちに語ったものです。


 つまり、春町は、「鸚鵡返文武二道」とは、定信を最大の読者と想定して書いたのですね。その春町の想いが、時を経て、定信にきちんと伝わったことが分かった…ずっと聞きたかった言葉をようやく聞けたような感動が、蔦重に定信へのわだかまりを捨てる決意をさせます。神妙な顔つきで定信の横に立った蔦重、「写楽ってなぁ、春町先生の供養で取り組んだのでございます。春町先生を唆し、でっけえ凧揚げさせちまったのは私にございますんで」と、彼もまた好敵手へ自分も同じ後悔を抱えていたと告白します。

 思えば、二人とも全く同じ想いで、それぞれの道を突っ走り、憎しみ合うように争い続けました。しかし、春町が本当に望んだのは、そこまで同じ気持ちになれる二人が手を取り合うことだったのではないでしょうか。商品の垂れ幕にある「恋川春町」の文字を偲ぶ二人の気持ちは、ようやく一つに溶け合いました。


 やがて、蔦重は、定信に折り目正しく向き合うと「ご一緒出来てようございました」と一礼します。松平定信を、ふんどし守としてではなく、一人の人間として認め、和解を申し出たのでしょう。今ならば、春町も、そして定信の政敵だった意次も許してくれるだろうとの意識もささやかにあったと思われます。

 その言葉に少し思案した定信「では、今後は随時、よき品を見繕い、小まめに白河に送るように」とニヤリと笑います。唖然とした蔦重に「抜け目ない商人に千両も取られたゆえ、倹約せねばならぬ」としらじらと言い放つ定信。そう簡単に許してなるものか、と戯けます。その言葉に苦笑いする蔦重、抜け目がないのはどっちだよ…という気分でしょう。こうして、二人の男は積年の因縁をようやく捨て、真の意味で縁を結ぶことになりました。


おわりに

 何故、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公は、絵師や戯作者などクリエイターではないのか。それは、単に一人の男のサクセスストーリーを描くことが目的だったわけではないからでしょうか。本作で描かれた、黄表紙、錦絵、祭など蔦重が生み出したさまざまなムーブメントは、蔦屋重三郎という希代の天才プロデューサー一人で成し得たことではありません。先のも述べたことですが、いつも、彼のために、いやさ、それが面白いからと参加してくれる数多の人たちの存在が欠かせませんでした。人々の結びつきに蔦重の出版は支えられています。


 人同士のつながり、最初は吉原のごく一部だけで留まっていたそれは、積み重ねによって吉原全体となり、やがて日本橋、江戸市中を、幕政すら巻き込み、遂には全国へ…。横の広がりだけではありません。身分にしても、最初は四民の外と言われた吉原の者たち、しかも、そのなかでも最下層とされた河岸見世の女郎たちの協力を仰ぎ、つくったのが「一目千本 華すまひ」でした。しかし、武家も老中もと分を越えたつながりは、今回、遂に将軍まで蔦重のつくった案思に加わりました。人の縁が人を呼び、更に多く、深い人の縁となり、それはやがて環となり、人の和となる…「べらぼう」で描かれたのは、そんな世界です。

 戦国の世は武力や権力で、人を従わせ、世を治めていきました。しかし、文化が成熟しつつあった江戸後期はそうではない。庶民が、武家が、身分を越えてつながった人の縁が、世の中の理となっていく。泰平の世ならではの、文化を通した時代の和。その有り様を描くには、その人の和の中心にいる人物を中心に描くのが一番。ですから、江戸後期という時代を描くため、版元、蔦屋重三郎が本作の主人公に選ばれたのでしょう。

 不倶戴天の敵だった松平定信との和解、将軍家斉が「敵討ち」に加わったことは、「べらぼう」で描かれた人の縁の集大成であったように思われます。となれば、残りは大団円…それこそが最終回に相応しい…自然とそう思えてきますね。


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