見出し画像

【山の心得】~藪漕ぎ編~

こんにちは!!ミズです!!!

秋も深まり、もうすぐ冬の足音が聞こえてきますね。
ファッション的にも楽しくなる季節、そして同時に「セールの季節」でもあります。

この時期になると「Amazonのセール」が始まり、つい心が踊る方も多いのではないでしょうか。
実は、僕も昔はそのひとりでした。
「楽天スーパーセール」や「Amazonブラックフライデー」が始まるたびに、「待ってました!」とばかりにオンラインで商品を物色していたものです。
しかし、今振り返ってみると・・・。
正直、「あれ、結局いらなかったなぁ」という買い物も少なくありませんでした。

思い当たる節、ありませんか?

これはオンラインに限らず、ドン・キホーテなどのディスカウントストアでも同じです。
「これ安くなってるし買ってみよう!」という気持ちで、つい目的外のものをカゴに入れてしまう。
人間の性(さが)といえばそれまでですが、実はこの“安いから買う”という行動こそ、出費を膨らませる原因なんです。

本来、買い物の基本はこうあるべきだと思います。
「必要なものを、必要なときに買う。」
たとえセールではなく定価であっても、それが本当に必要なものなら、合理的な支出です。
この考え方に切り替えるだけで、結果的に無駄遣いが減り、トータルの出費も抑えられます。

さらに、
「買いたいと思っていたものが、たまたまセールで安くなっていた」
そんな“ラッキーな瞬間”が訪れたとき、以前よりもずっと幸福感が高まるんです。

これはマネーリテラシーの基本である「支出の優先順位付け」にもつながります。
つまり、
・セール情報に振り回されない
・本当に必要で、価値のあるものにお金を使う
・感情ではなく目的でお金を動かす

こうした意識を持つことで、お金との付き合い方が変わります。
もちろん、買い物が趣味という人もいますし、それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、出費を抑えたいと考えるなら、
「必要なものを、必要なときに買う。」
このシンプルな考え方を実践するだけで、きっと日々の満足度も変わってくるはずです。


【山の心得≪122≫】~藪漕ぎ編~

という事で今回は藪漕ぎに関して記事に致します。

笹薮漕ぎという、登山者だけが知る“試練と快感”の世界

登山を続けていると、ある日突然、登山道が「道」でなくなる瞬間に出会います。目の前は腰の高さどころか肩口まである笹の壁・・・。
どこが登山道なのかもわからず、ただ緑の海の中を進むしかない。
それが「笹薮漕ぎ」です!

整備された登山道を歩く登山とはまったく違い、笹薮漕ぎでは一歩ごとに体力と判断力を削られます。
朝露で湿った笹が服にまとわりつき、足元は見えず、顔を上げれば枝葉が頬を打つ・・・。笹の間には蜘蛛の巣も見え、ストックで掃うもまたすぐ次の蜘蛛の巣が現れる・・・。
わずか数百メートル進むだけで息が上がり、汗は全身を流れ落ちる。しかし不思議なことに、その極限の不快さの中で、どこか「生きている実感」を覚えるのです。

笹薮漕ぎの魅力は、他人が整えた道を歩く登山とは対極にあるところにあります。誰も通っていない道を、自分の手と足で切り開いて進む。
その時間には、原始的な本能が呼び起こされるような高揚感があります。
快適さを求める登山とは違う、自然と人との力比べ。
それを知っているのは、実際に笹の海に踏み込んだ登山者だけです。


笹薮漕ぎとは何か!?

笹薮漕ぎとは、登山道が笹に覆われ、進むために笹を押し分けながら歩くことを指します。単に「草が生い茂っている」状態とは違い、笹は硬く、密度が高く、まるで弾力のある壁のようです。
一歩進めば体を押し返され、足を持ち上げても笹が絡みつく。
腰を曲げて前傾姿勢を取りながら、全身で道を切り開くように進む姿は、もはや登山というより“格闘”です。

笹薮漕ぎの厄介さは、足元が見えないことにあります。
隠れた岩や倒木、ぬかるみ、さらには穴。
足を取られるたびにバランスを崩し、転倒の危険と隣り合わせになります。
ストックを突いても笹の根で反発してうまく刺さらず、頼りにならないことも多い。もはや蜘蛛の巣を取るためにあるのじゃないかと思う始末・・・。
こうした物理的な障害に加え、湿った笹の葉が冷たく肌に触れる感覚や、絶えず顔を打つ枝葉の刺激が、精神をじわじわと削っていきます。

それでも多くの登山者が笹薮を越えて進もうとするのは、
その向こうに目的のピークがあり、「誰もいない世界」があるからです。
人の手が入らない静寂、風で揺れる笹の音、そして、長い時間をかけてようやく抜け出した瞬間に見る、開けた尾根や稜線の景色。
笹薮漕ぎは、登山者にとっての“通過儀礼”であり、苦労の末に得られる達成感の象徴なのです。


登山道が笹に覆われる理由は??

笹薮が発生する最大の理由は、「人が通らなくなった」ことです。
登山道は、人が歩くことで維持されています。
踏まれることがなくなれば、山は瞬く間に道を奪い返します。
笹はその象徴的な存在であり、地下茎で増殖しながら、驚くほどの速度で山肌を覆っていきます。

特に標高1500〜2000mの亜高山帯では、クマイザサやチシマザサが繁茂します。これらは積雪に強く、雪解け後に一斉に新芽を伸ばすため、わずか数年で人の背丈を超える密集地帯を作ります。
また、春先の雪の重みで古い笹が倒れ、その上から新しい笹が生えることで、地面には層のように重なった古い笹の茎が残ります。これが足を取られる原因となり、踏み抜きや転倒を誘発します。
これらの根は非常に硬く、中途半端に刈られていると余計に滑って転倒を誘発します。

中途半端に残るクマイザサの根

さらに、近年では山岳の人口減少や登山道整備の遅れも影響しています。
メジャーな百名山でさえ、裏ルートや支尾根に入れば管理が追いつかず、一度荒れ始めた道は数年で完全に笹に覆われてしまいます。
自然の回復力の速さは驚異的で、たとえ一度刈り払いを行っても、2〜3年後には元の密林のような状態に戻ることも珍しくありません。

笹薮が登山者にとって障害である一方、それは「自然が健康である証拠」でもあります!人が通らなければ、山はすぐに本来の姿に戻る。
人間の存在の小ささを実感させられる瞬間でもあるのです!


体力だけでなく「メンタル」を試される場所!

笹薮漕ぎが厄介なのは、体力だけではなく、精神力を試される場面が続くことです。歩いても歩いても景色が変わらず、進捗が感じられない。
GPSでは確かに前進しているのに、体感としては同じ場所をぐるぐる回っているような錯覚に陥る。
その閉塞感が、登山者の集中力と冷静さを奪っていくんですよね。

さらに、視界が極端に狭くなることで方角の感覚も鈍ります。
木々や岩の目印は見えず、風の向きも笹の揺れでわかりづらい。
知らず知らずのうちに斜面を外れ、登山道を失うこともあります。
そんなときに焦って突き進むと、さらに深い薮に迷い込む。
ここで最も大切なのは、「焦らない」ことと「戻る勇気」です。
笹薮漕ぎは、肉体の限界よりも前に、精神の限界が先に来ます。

人間は視界を奪われると不安を強く感じる生き物です。
光や空の方向が見えない状況では、自分の位置すら曖昧になります。
この不安を制御できずに行動を誤ると、遭難に直結します!
実際、笹薮で方向を誤って滑落したり、反対方向へ進んでしまう事故は少なくありません。

また、単調な環境が続くことによる“精神的な摩耗”も無視できません。
同じ風景、同じ音、同じ動作の繰り返し。
それはまるで瞑想のようであり、同時に“自分との対話”でもあります。
心が折れそうになる瞬間に、「もう少しだけ進もう」と言い聞かせられるかどうか。そのわずかな踏ん張りが、笹薮漕ぎを乗り越える鍵になります。

この“焦らない勇気”の大切さは、僕自身も身をもって感じたことがあります。
以前、日本二百名山の一つ、安平路山という山に向かった際のこと。
摺古木山というピークを過ぎてからの尾根道が、背丈ほどもある笹薮で、何度も何度も道を見失いました。地図上では間違っていないのに、進んでいる実感がなく、心が削られる感覚。予定していた歩行時間を大幅にオーバーし、「もう少しだけ進もう」と何度も自分に言い聞かせながら進んでいましたが、途中で危険を感じ、折り返すことにしました。
今振り返っても、この判断は間違っていなかったと思っています。
むしろ、“あのとき戻れた自分”を誇りに感じています。とはいえ、いつか再び、心の準備を整えてこのルートに挑みたいとも思っているんです。

おそらく、この精神の消耗を超えた先にあるのが、静かな恍惚です。
笹の中を抜け出し、風の通る稜線に出た瞬間、あれほどの苦労が一気に報われるような高揚感が体を包みます。その瞬間に登山者は気づきます。笹薮漕ぎとは、自然と自分の意志をぶつけ合う“儀式”のようなものだと。

笹薮漕ぎは、体力を奪い、衣服を濡らし、精神を削り取る過酷な行為です。けれど、その中には登山の原点とも言える「自らの力で山を越える喜び」が凝縮されています。快適さとは無縁の世界で、ただ前へ進むために全身を使う。そこにあるのは試練であり、同時に人間の本能が喜ぶ快感でもあります。笹薮を抜けた瞬間に感じる解放感は、言葉にできないほど純粋で、それこそが笹薮漕ぎを“登山者だけが知る特別な世界”にしているのです。


笹薮漕ぎを乗り切る装備と工夫

笹薮漕ぎでは、体力よりも「準備の差」がすべてを左右します。
装備の選択を誤れば、たった数百メートルの薮で全身がずぶ濡れになり、
体温を奪われ、視界を失い、判断力までも崩れていきます。
逆に、的確な装備と手順さえ知っていれば、同じ状況でも余裕を持って進めます。

まず服装です。
笹の葉は柔らかく見えても、先端は細いノコギリのように鋭く、皮膚を切ることがあります。半袖や薄手のタイツだけではすぐに擦り傷や切り傷だらけになるため、軽量のソフトシェルか、薄手のレインウェアが最適です。
特に笹が濡れている朝や霧の中では、レインウェアが防水膜となって体温の低下を防ぎます。
フードをかぶって襟元を締めることで、葉が首筋に入るのも防げます。
更には「マダニ」にも注意する必要があります。マダニに嚙まれると、数日~1週間後に発熱・倦怠感・発疹などの症状が出ることがあります。
重症化すると「SFTS(重症熱性血小板減少症候群)」などの感染症を引き起こす危険もあります。
肌の露出は絶対しない様に注意します。

・THE NORTH FACE クライムライトジャケット

パンツは膝の動きを妨げないストレッチ素材を選びます。そして外に薄手のレインウェアが最適です。
ジーンズのような重い生地は水を吸って脚が持ち上がらなくなるため、避けた方が良いです。裾はブーツの中に入れるか、ゲイターを装着します。
これを怠ると、靴の中に折れた笹が入り込み、足を刺して歩行不能になることもあるのです。僕の場合、冬はバーブパンツ。春や夏、秋はバーブライトパンツを愛用しています。ストレッチが効いた生地に軽い防水性能が乗っかり、濡れていない笹薮であれば歩きやすく快適です。濡れた笹薮の場合、外側にレインウェアを重ね履きです。

・THE NORTH FACE バーブライトパンツ

・THE NORTH FACE クライムライトジップパンツ

・アウトドアリサーチ スパッツ クロコゲイター

手袋もとても重要です。素手では笹を払うたびに葉先で手の甲を切り、それが汗や露でしみて痛みます。
作業用手袋やテムレスのような防水手袋なら、滑らずに笹をつかめて手も守れます。笹薮漕ぎでは“手”が最大の武器であり盾でもあるため、快適なグリップ感はそのまま行動速度につながります。

・【透湿防水】 ショーワグローブ(Showaglove) テムレス

次に「視界と方向」の工夫。
笹の中では、前方数メートルが見えるかどうか。
ピンクテープがあっても、ほんの少しの角度で完全に見失うことがあります。そのため、GPSアプリとコンパスを併用し、数十メートルごとに自分の進行方向を修正する癖をつけます。
笹の密集地では、まっすぐ進んでいるつもりでも、体が無意識に傾斜に引っ張られて右や左へずれていきます。
コンパスを確認するたびにそのずれを修正すれば、迷う確率は一気に下がります。GPSアプリを常に見張っているという方法もあります。

さらに、笹の中では「風の通り道」を読むことが大切です。
風が抜ける方向は、たいてい地形の開けた尾根や谷筋につながっています。
密集地の中でも風の流れを感じられるラインを選ぶと、笹の密度が薄く、進みやすいことがあります。
ただ闇雲に突っ込むより、自然の微妙な変化を観察するほうがずっと重要で効率的なのです!

そして最後に、精神面での“余白”を装備すること。笹薮漕ぎでは、焦りが最大の敵です。先が見えないと人は必ず急ぎたくなります。先ほど挙げた僕の例もそうでした。前が見えないほど「先に先に。。」と焦った結果道を見失います。そんなときこそ一歩止まり、背後を振り返ってください。笹の揺れ方、足跡、わずかな踏み跡。それらが「帰るための道標」になります!
笹薮を進むとは、装備だけでなく心を整える登山でもあるのです!


苦しいのに、なぜか忘れられない!?!?

笹薮漕ぎは、客観的に見ればただの苦行です。
体力を消耗し、衣服は濡れ、虫に刺され、前が見えない。穴にハマることも岩で転倒する事も、衣類が蜘蛛の巣に覆われる事もあるかもしれません・・・。
しかし、それを経験した登山者の多くが、「もう二度と嫌だ」と言いながら、どこかで再びその感覚を求めてしまいます。
なぜ人は、あの不快を“懐かしむ”のでしょうか。

・・・。僕もあの深い笹薮を抜け、安平路山へ再度チャレンジしようと思っているところです。

それは・・・笹薮漕ぎが強烈な没入体験だからです。
周囲の音は笹の擦れる音だけ。
視界は自分の目の前に限られ、汗と呼吸音が混ざる空間に意識が集中していく。現代の生活では滅多に味わえない、“自分だけの世界に完全に沈む時間”がそこにあります。

また、笹薮漕ぎには、克服体験による報酬効果があります。
苦しみを乗り越えた直後、脳内ではドーパミンが大量に分泌され、
その瞬間の快感だけが強烈に記憶されます。
人間は辛い記憶よりも、「乗り越えた快感」を中心に再構築する傾向があります。そのため、笹薮の冷たさや痛みは時間とともに薄れ、「自分はあの薮を突破した」という自信だけが残るのです!!

もう一つの理由は、“孤独と自然の一体感”です。
笹の中にいると、まるで世界に自分しか存在しないような錯覚に陥ります。
鳥の声も風の音も遠く、ただ笹の葉が肩を打つ音だけが響く。あの静寂の中で、自分の存在を確認し続ける行為は、ある意味で瞑想に近いかも・・・。
肉体的には苦しいのに、心の奥底ではどこか落ち着いている。
その矛盾こそが、笹薮漕ぎの“中毒性”です!


自然の中で「人の通った跡」が消えていくということ

笹薮の中に立つと、自然がいかに速く人の痕跡を飲み込むかを思い知らされます。数年前まで確かに登山道だった場所が、いまや何の印もない笹の原に変わっていることがある。
地面にうっすらと踏み跡が残っていても、数年後には完全に消える。
山は、人間がいなくなればあっという間に“原点”に戻るのです。

登山道の維持には、地元の山岳会やボランティアが定期的に草刈りを行ってくれています。しかし、人口減少と高齢化によってその作業も年々難しくなっています。整備の手が途絶えれば、笹は容赦なく道を奪う。
わずか3年放置しただけで、地形図上の“点線ルート”は実質廃道となります。

この現実は、自然の生命力の象徴でもあり、人間の小ささの象徴でもあります。人は山に道をつけ、標識を立て、地図を描いて“支配した気”になっている。しかし笹薮の中に立てば、その錯覚が音を立てて崩れていく・・・。
人間の作った道は、自然の循環の前ではほんの一時的な痕跡でしかない。
前述しましたが、道が消えるということは、自然が健康である証拠でもあります。それを肌で感じる瞬間こそ、登山が「学びの場」になる理由の一つです!

笹薮漕ぎを通して見えてくるのは、人がいかに自然の一部として存在しているかという事実です。人間の都合で登り、整備し、また放置する。
その繰り返しの中で、山は何度でも元に戻る。
それを見せつけられると、登山とは“征服”ではなく“借景の一時利用”なのだと気づかされます。


笹薮漕ぎの先にある“山との距離感”

笹薮を抜けた瞬間に感じるのは、単なる達成感ではありません。
それは「山に受け入れられた」という静かな感覚です。
誰も通っていない道を自らの意思で進み、その結果として視界が開けた瞬間、登山者は自然に対して支配ではなく、対話のような親しみを覚えます!

整備された登山道では得られない“山との距離感”が、笹薮漕ぎにはあります。山が「通っていい」と言うわけでも、「拒む」と言うわけでもない。
ただ、そこに在るだけ。人間は一時的にその懐に入り込み、また出ていく。
その関係性を実感できるのが、笹薮を越えたあとなのです。

また、笹薮漕ぎは登山者自身の“存在感”を薄くします。
自分がどんな格好をしていようと、どんな目的で登っていようと、
笹の中ではすべてが均される。誰も見ていないし、誰も称賛しない。・・・というか物理的にも見えないことが多いですよね。
その孤独の中で、自分の歩く理由が研ぎ澄まされていく。
「なぜ登るのか」という問いに、一時的な答えを与えてくれるのがこの時間です。こういった過酷ともいえる状況こそ脳がフル回転し、自分に理由を投げかけてくるものなのです。

笹薮漕ぎの先にあるのは、征服でも記録でもない。ただ、山と人との境界が曖昧になる一瞬。薮漕ぎが終わり、風の通る尾根に立ち、振り返ると・・・あれほど苦しめられた笹が、いまは美しい波のように揺れている。
その景色を見て初めて気づくんです。
「ああ、自分はただ、山と一緒に歩いていたんだな」って!


藪漕ぎに出かけよう!

さて、あなたも笹薮を漕ぎたくなりましたか?
いくつか思い当たる藪漕ぎポイントを上げるので、是非行ってみて下さい。

①摺古木山~安平路山(長野県)
この区間は、藪漕ぎの度合いで言えばかなり本格派です。特に摺古木山〜白ビソ山〜安平路山にかけては、濃密な笹の海が続き、時には背丈を超える藪に視界を奪われるような区間もあります。
前日雨が降っていれば、笹には水が含まれ重くなり、足を取られる場面も多くなります。
ただし、すべてが完全な迷路というわけではありません。赤テープや目印が一定数配置されている箇所もあり、ルートを完全に見失うことは比較的少ないという声もあります。
アプローチ部分(林道終点~摺古木自然園休憩舎あたり)は比較的歩きやすい道ですが、本格的な藪漕ぎはその先から本格化します。

②黒檜山(赤城山)~小黒檜山(群馬県)
この区間も楽ではありません。実際、黒檜山から小黒檜山へ向かう鞍部付近には「300mほどの急坂かつ笹藪漕ぎ」があり、下りでは滑りやすく、登り返しは「超ハード」と言う登山者もいます。実際先日行きましたが、結構ハードだった記憶があります。
小黒檜山との往復で半分以上が藪漕ぎ区間だった記憶があります。また、無積雪期には踏み跡やテープも見えない状況になる可能性が指摘され、小黒檜山を登るには藪漕ぎを想定しなければなりません。
一部のルート紹介では、時期により、つつじや障害物を避けながら進む描写も見られるようです。つまり、黒檜山~小黒檜山の区間は、整備登山道だけを歩けるわけではなく、藪・不明瞭ルート・トレース消失のリスクを覚悟して挑む必要のある区間だと言えそうです。

③夕森山(岐阜県)
少しマイナーな山になりますが、岐阜県の山です。夕森山は、登るにつれて道の両脇に笹が増え、徐々に視界を奪っていきます。中腹を過ぎるころには笹が肩ほどの高さになり、足元の踏み跡も分かりづらくなります。
風が止むと静寂の中で笹だけが擦れ合い、方向感覚が鈍る瞬間もあります。
そして山頂が近づくにつれ、笹は背丈を越えてきます。その圧迫感の中を抜けて視界が開けた瞬間、山頂に着いたという達成感が一気に押し寄せます。
山頂には鉄塔が建っており、美しい360度の景色が広がります。

あなたの藪漕ぎを応援しています!

という事で今回の【山の心得】は
「藪漕ぎとは?どう対処する?」
と言う事に関して記事に致しました。

今回も最後までご拝読頂きありがとうございます!

また次回もご拝読頂けると幸いです。!

宜しければスキ頂けると大変励みになりますのでよろしくお願いいたします!

YAMAP定期更新しております。是非ご覧ください!

Instagramはこちらになります!
登山にまつわるショート動画を毎日更新しておりますのでご覧ください!

前回の記事はこちらになります!
【山の心得≪121≫】~紅葉と三段紅葉編~
是非読んでみてください!

いいなと思ったら応援しよう!

ミズ ここまで読んでいただき本当にありがとうございます!あなたの応援やご意見が僕にとってとても大きな励みになっています!共に成長し、前に進んでいけるようこれからも努力しますので、今後ともぜひよろしくお願いします!