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昭和33年の奇跡から始まった英雄伝説。長嶋茂雄さん、ありがとうございました。

長嶋茂雄さんが天に召されたと、事務所のラジオから知った。89歳だったとのことだ。拙著「俺たちの昭和後期」では、少ないワード数ながら出色の部分で登場いただいているから、感謝と哀悼の気持ちを込めて天に手を合わせた。昭和を彩った大スターであり英雄が、またひとり逝ってしまった。

昭和中期にもトピックは多くある

もちろん多くいる、「俺たちの昭和後期」を読んでない方に解説させていただく。昭和45年の大阪万博が大きなチェンジャーになり、昭和46年よりを昭和後期と定義づけた。この解説をすると何千文字も必要になるから、ご興味のある方は立ち読みでもよいので書店に向かっていただきたい。

タイトル通り、昭和後期を掘り込んだ。が、それ以前のトピックは取りあげた。昭和20年の8月15日までを昭和初期として、そこから昭和45年までを昭和中期と定義づけてだ。その中期には、後期に繋がる大きなトピックが点在する。これを拙著ではご説明申し上げた。

昭和中期のトビックイヤーとして「もはや戦後ではない」が宣言された昭和31年と、東京オリンピックの昭和39年、昭和中期を締め括った昭和45年をあげた。もうひとつが昭和33年である。ここに長嶋さんが関わってくる。

“3”が並ぶ奇遇も昭和のミラクル!?

昭和33年に完成した東京タワーが、「もはや戦後ではない」以後のビッグアイコンだ。333メートルの赤い塔は、元気と夢を見せてくれたのだろう。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が舞台としたのも昭和33年だから、この年のスペシャル感は大きかったことを示している。昭和33年の333メートルの奇遇に、もうふたつの“3”が日本を明るくしたのだ。

この年に安藤百福が発明した、「チキンラーメン」が発売された。日本に3分間という重大な単位が刻まれた。拙著の感想として、昭和24年生まれの方が寄せてくださった。「チキンラーメンを父と弟と3人でお湯を注いで3分、本当に出来るのか固唾を飲んで待った」と。その後も日清はカップヌードルで3分を守り、日本人の生活を築いたと言っていいだろう。暮らしを変えたアイデアは、戦後の闇市でラーメンの店にできた行列から浮かんだそうだ。この辺にも拙著ではふれている。

昭和を太陽のように照らしたミスター

これに加え、昭和33年の軌跡として登場いただいたのが長嶋茂雄さんだ。「俺たちの昭和後期」から、原文のまま掲載する。
 後楽園では、4月5日に長嶋茂雄がデビューした。昭和を太陽のように照らした、背番号3番の躍進が始まり永久欠番は今も続く。
 昭和ジャンキーはこんなことを見逃さず、昭和33年の赤い糸と主張するのをご終止くだされ。

ひばりと裕次郎、そして言わずもがな長嶋さんが昭和の3大スターだ。日本を発展させた少し上の世代にとって、猛烈に働くエネルギーとオアシスになった3人である。その後もスターは次々に出てきた。だが時代からの必要性も加味して、これほどのスターはおるまい。

倒れてからも、不自由な身体で野球界に貢献する姿が心に焼き付いている。でももういいんです。ごゆっくりとおやすみください。ミスター、ありがとうございました。

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