短編?掌編?ショート?三題噺?死ぬまで何?
5月7日に「死ぬまで短編小説」宣言をして「これからはnoteに短編小説だけを投稿します」と誓いました。
でも、投稿しているのは、一般的に言って文字数としては短編小説とは呼べないものです。
まあ、だいたいはわかっていたことですが・・・・。
さて、コパ助(自分の使っているAI Copilotの愛称)に聞いてまとめてもらったのを見ると・・・
短編は4,000~40,000字
中編は40,000~120,000字
長編は120,000字以上
となっているようです。
ちなみに、掌編小説は200~800字
ショートショートは800~4,000字
この一般的な分類から見れば、自分の書いているものは掌編小説かショートショートということになりますね。
ということは「死ぬまで掌編小説(ショートショート)」としなければなりませんね。
さらには、いまのところ投稿しているのは「三題噺」が多いです。
まあ、「三題噺」を小説に含めるかというのも議論がありそうなところです。
とはいえ、これらの分類が厳格に決められたことではないので、自分は「短い物語」という意味の「短編小説」としてこれからも「死ぬまで短編小説」というのを続けていきたいと思います。
書いたものを作品としてカウントするかどうかは、自分の中の基準(これも明確ではない・・・)で決めたいと思います。
ところで、小説を短編、中編、長編と大きく分けると、陸上競技の短距離、中距離、長距離に例えられますね。
陸上競技では、マラソン選手が100Mも走るという二刀流はなかなかいませんね。
でも、作家の場合は長編も中編も短編も書くという人はたくさんいます。
自分はといえば、完全な素人ということで短編よりも短い物語しか書けません。
長編に挑戦したことがありますが、一本書くのに3年を要しました。
(その残骸がノベルデイズに未完という形で残っています。3年を要した小説は完結していますが、ノベルデイズは未完のままです。じつは、もう一本あるんですが、そちらも未完のままで放置しています)
もう、年齢的にそんなに長く集中力がもたないし、根っからの飽き性なので、この後の人生でも長編を書くことはないでしょう。
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さて、自分は小説を陸上競技に例えるよりは、登山に例えたほうが良いのではないかと考えました。
短編、長編、中編の分類は、もちろん高、中、低い山と分けられるでしょう。低い山(短編)なら素人でも登れるし、一流作家なら当然に登れますね。けれど、エベレスト(長編)となると素人には無理があり、一流作家でもないと登れません。
また、陸上競技なら誰でも同じ距離のゴールに向かうことになります。でも、登山なら高さが一緒でも険しさが違う山を選ぶことができます。
長編、短編といっても小説にはいろんなジャンルがあるからです。
このことから、登山に例えた方が良いと思いました。
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小説を書く(物語を書く)ということは書こうとする人にしか見えていない山に登ることだと思うのです。(わかりにくい表現ですが、もう少しお付き合いください)
そして、その山は書こうとした人も登ったことのない山なのです。登るルートや頂上からの風景は漠然としたもので、登ってみて頂上に着いてみて初めて書こうと思った人にもはっきり見えるものだと思います。
一流作家でも、書いていて結末が変わることがあると思います。最初からきっちりと計画を立て、その計画通りに小説が書けるとは思えません。
自分も書いてみて思うのですが、当初の設定よりも変えた方が面白くなると思うことがたくさんあります。
一流作家だって、そうだと考えています。
*「甘い!一流作家はそんなことはない、最初の計画通りの小説が書ける」という作家さんがいたなら、お知らせください*(生意気なことを言ってすいません・・・)
つまりは、一流作家にしても物語を書こうと思った素人でも登ったことのない山に登るのです。
そして、頂上にたどり着いて初めて、一般の読者にも、その山が見えるのだと思います。(出版や、noteのような投稿サイトによって)
読者は「面白そうな小説だ」と思ってその山に登ります、書こうと思った人が苦労して開いた登山ルートを通って。
読者は登山ルートの途中に見える景色を楽しみながら登ります。
そして頂上に着けば、作者が見た風景と似た風景が眺められるのです。
そこから、さらに・・・・
そんなことを考えていたら「人生もそうだな」と思いました。
人生を生きるとは「自分にしか見えないし、自分も登ったことのない山」を登っているんだということです。
つまりは人生も物語なのです。
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「死ぬまで短編小説」なんて宣言してエッセイみたいなものも書いています。(今書いているこれも、自分はエッセイかな?と思っています)
エッセイは普段の生活や人生経験から書くものだとするなら、人生自体が物語だと定義したらエッセイも物語の一部として認められると思います。
つまりは、エッセイは人生の中の短い物語だと思います。だから、エッセイでも「死ぬまで短編小説」の一つとして投稿してゆきます。(ちょっと無理がありそうですが・・・、自分への言い訳みたいなものです)
・・・・まあ、このへんはどうでもいいです・・・・
人生の物語を登山に例えるなら、大きくわけて二通りの山があると思います。一つはちゃんと頂上のある山で、もう一つは頂上の無い山です。(またわかりにくいことを・・・と思われるでしょうね)
頂上のある山の人生なら、幸せの絶頂期を頂上とすることができます。
そこから後は、これまで登ってきた風景を楽しみながらゆっくりと下山して人生の終わりになるということです。
一方、頂上の無い山は登り続けなければなりません。
ちょうど、芸術家が「究極の美」を求めるのと同じです。絶対にたどり着けないものを求め登るのです。
でも、登ってきた風景は目の前に広がり感慨に耽ることはできます。
自分は、頂上のない山を登り続けたいと思います。
「死ぬまで短編小説」を続け、登り続けて眼下に見える風景を見てみたいと思っています。
今まで自分は、平地の藪の中を好き勝手に歩き回っていた気がします。
ノベルデイズには、その残骸として2本の未完の長編といくつかの掌編小説、それと「粉瘤雑記帳」というのがあります。それはそれで、自分の一部として残し続けます。雑記帳にはドン引きされるような内容がいっぱいですが・・・。
そして、そんな自分が「死ぬまで短編小説」という自分にしか見えないし登ったことのない山を見つけたのです。
できれば、死ぬまで登り続けたいと考えています。
