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祖父の謎の友達(祖父の話④)

祖父は多くの人と交流がありました。年賀状も何百枚と印刷して、ふうふうと宛名書きをしていました。
学生時代の友人、仕事でつきあいのあった人、研究会や趣味の集まりで仲良くなった人などなど。
学生時代に、とある大物の方とも交流があったそうで、テレビや新聞にとりあげられていると「△△△君はおじいちゃんの友だちなんだ」と言い、自分のことのように嬉しそうでした。

一方で、祖父は人間関係のトラブルも絶えない人でした。自分が良いと思ったら止まらないところがあり、しかも短気です。大げんかをして絶交してしまった人もいました。心配して忠告してくれた人に対してまで強い言葉をかけてしまって、さらにトラブルが膨れ上がっていくこともありました。

今日は祖父の死後に私の知った、祖父の友だちの話を書こうと思います。


お葬式に現れた”大物”の友人

祖父が亡くなったのは5月である。実家を離れて学生生活を送っていた私にとっては、文字通り青天の霹靂だった。
「入院した」という話は聞いていたが、病室で新聞を読み、相撲をテレビで観戦し、ペットの心配をして連れてこいと言っているなどと聞くと、どうってことないのだろうと油断していた。
どうってことあったのだ。入院したという知らせからしばらくして、祖父が亡くなったという連絡が来た。呆然としながら帰省した。

当時の田舎は、葬式は自宅でやるのが普通だった。大騒ぎで祭壇を用意し、ざぶとんやら、お茶やら、葬式用のお菜やらの準備をした。畑は急遽、駐車場ということになった。
もうすぐ葬式が始まる、という時間に、大きな黒い車が駐車場(畑)にどんと止まった。え、まだでしょ、どうして?

車の中から、高齢の男性が杖をついて現れた。上等そうな喪服を着て、ゆっくりと歩いてくる人は、祖父の言っていた”大物”だった。
「◯◯◯君が僕より先に逝くなんて」と涙ぐんで焼香し、またゆっくり歩いて帰っていった。
本当にあの人はおじいちゃんの友人だったのだ。あんなに具合悪そう(私が知っている最近の祖父よりもずっと具合が悪そうだった)なのに、代理ではなく、ご自分で来てくれた。他の弔問客が来る前に。
祖父が喜んでいるだろうと思った。

その後、びっくりするほどたくさんの方がやってきた。仕事で交流のあった人たち、研究会で大喧嘩をした人たち。趣味の仲間の皆さん。

その年の春は寒かった。5月の連休明けからやっと暖かくなってきていて、庭には4月5月開花の花々が一気に咲いていた。例年になく美しい庭に長蛇の列ができあがり、口々に祖父の死を悼んでくれた。

「なんて派手でにぎやかなお葬式なんでしょう。きっと本望だわね」と親戚がつぶやいた。
私も泣きながら笑った。本当だ。いつもは地味な庭が例年になく花いっぱいになっているところに、たくさんの人たちがつめかけている。お経もなんだかBGMのようだ。
喧嘩をしていた人たちも来てくれている。ありがたいことだ。

葬式後に見つけた葉書

葬式が終わると、祖父の部屋を片付けた。祖父はまさか自分がこんなに早くこの世を去るとは思っていなかっただろう。部屋は生前のまま散らかっていた。
片付けていると引き出しの中から葉書が出てきた。大きな、子どものような字で「○○○君、このあいだのテレビ、よかったな」とだけ書いてあった。なんなんだ? 父に見せると、「×××さんだな」とすぐに名前を挙げた。

祖父は一度、テレビに出たことがある。ある偉人の特集コーナーで「地元で研究している人」ということで紹介され、いくつかのインタビューに答えたのだ。
「あの番組を見ていて葉書を書いてくれたんだよ。×××さんは、あの頃はもう寝たきりだったからな」と父。
祖父の研究がささやかに認められ、テレビに出たことを喜んでくれた友人がいる。もう体の自由もきかないのに葉書を書いて送ってくれた。祖父もうれしくてその葉書をずっと大事にしていたのだった。

仙人が来た

葬式の後も、弔問のお客がやってきた。何しろ祖父の交流は広く、とても全員に連絡できなかったからだ。「知らなかった」と言ってはいろいろな人がやってきた。祖父との思い出も話してくれた。「あのときは参りましたよ」「いや、むちゃくちゃ言うなと思いました」などと苦笑しながら話す人もいて、家族としてはすみませんすみませんと言うばかりだった。

そんなある日、全く知らない人が「○○○君の友人です」と言って現れた。白髪に白くて長いあごひげ。まるで仙人みたいな風体の人が、大きな荷物を持っていた。
中に入ると祖父の位牌に手をあわせ、「○○○君に茶を飲んでもらいたかった」と言うと、荷物を広げた。
中にはポットや、茶葉、抹茶用のお椀など、茶を点てる道具が入っていた。そしてその場で茶筅でしゃばしゃばとお茶をたてて仏前に供えた。
その仙人みたいな人はそのまま帰ってしまった。

名乗らなかったので誰なのか分からない。
きっと学生時代の友人なんだろうとは思うが、家族は誰にも心当たりはなかった。
というわけで茶碗も返すことができなかった。

けんかばかりしていた祖父だったが、年をとっても多くの友人と交流があった。羨ましい限りである。


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