私、スーパーマンと結婚しました。 #4
私が幸福に生きていくのに欠かせないもの二つ。コーヒーと川上ミネさんのピアノです。
まず、ミネさんのピアノのメロディは、私にとって不思議な癒しパワーがあります。胸というよりもっと下、あるいは奥、はたまた脳内の小宇宙にでも入って来るのか、深く深く染みてくるのです。
ベートーヴェンもモーツァルトも、限られた88鍵の中で壮大な世界を作っているわけですが、私達が使う言葉は一体何語あるのでしょう。無限大にあるのに、あんな世界観で人の感情の奥底に響かせる言葉を綴ることはできるのでしょうか。
川上ミネさんの88鍵の使い方はとてもシンプルで、素人の私には、右手でメロディを奏で、左手でそっと和音を添えているだけのように聞こえてきます。でも、そのメロディが伝える言葉は、なんとも切なく美しく、とてつもなく優しく、偉大だとさえ感じます。
そしてコーヒーです。こんなに感覚的に反応する自分を意識し出したのは、多分50代頃からで、更年期が関係するかもしれません。この頃は、特に静かに本を読めるようなカフェは、私の大切な場所でした。
子育ての最中は、子ども達が居て、主人が居て、思考を向ける方向がはっきりしていたのですが、やがて二人が巣立ち、同時に主人も会社に本腰を入れるようになり、自分の立っている場所がわからなくなり、遠い昔の子ども時代のわだかまりを引っ張り出してきたり、義母とのやりとりにふさぎ込んだりもしました。
そんな時に、素敵なカフェに行き、川上ミネさんを聴きながら、コーヒーを飲むのが至福の時でした。
いっそコーヒーになりたい 2010年
私にとってコーヒーは、もはや飲料でも嗜好品でもなく、感情の扉の鍵のような存在だ。
単に味云々ではなく、空間もシチュエーションも揃えば、人生の一期一会とも言えるコーヒーを味わうことができる。今までに何度も、コーヒーカップを両手で包み込み「ありがとう」と思って涙したことがある。いっそコーヒーになりたいと思ったこともある。
忙しさと、大人だから、忘れようとしている感情の扉を、コーヒーはよく開けてくれる。私には、忘れられないそんなコーヒーシチュエーションがある。
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私だけのスーパーマンは、実家の中小企業の後を継いだ。
地元のみなさんあっての商売なので、地元運営の先導を買ってでもしなければならない。正義と地元活性化のために、地域のスーパーマンになっていった。
今でこそ板についてきたが、15年程前、役職に就いた頃は、「なんでこんなことまでしなければならないんだ」と私達夫婦それぞれに、口には出さなくとも思ってはいた。
この地域には、全国でも有名な男の祭りがある。
それまでは人の集まるところが苦手なので、祭りとか、全く無関係で暮らしていたけれど、この年、主人も運営の一端に関わることになった。
2月の極寒の中、ふんどし一枚で徒歩2〜3時間の行程を、お宮に向けて奉納物を持って練り歩く。毎年このお祭りに参加することを楽しみにしている猛者の皆さんに混ざって、参加者側になることだけは絶対断って、と懇願したけれど、叶わず、主人はふんどし姿にならざるを得なかった。
当日はみぞれ混じりの雨の日だった。血気盛んな皆さんが集まる中、電信柱の影から、星飛雄馬を見守る姉明子のように、色白、未経験の主人の無事を祈った。
嫌な予感は、だいたい取り越し苦労で済むものだけど、これだけは違った。
夕方警察から電話があり、主人が倒れていると聞かされ、収容されている病院名を告げられた。
主人が私の側からいなくなる恐怖を実感した。本当に怖かった。。。
主人は、青白いを通り越して、緑に近い顔色で横たわっていた。寒さを凌ぐため、かなりのお酒を勧められたらしい。そのため意識がなく、名前を呼び続けても、反応しない。
でも、愛の力は偉大だ。「うっすらとbanchanの声が聞こえて目が覚めた」と後に言っていた。
なんとか帰宅した主人は、丸2日、汗をいっぱいかいて寝続けた。
翌日パジャマの洗い替えが尽きてしまい、私は新品を買いに少しの間出かけた。
帰り、いつものお馴染みのスタバへ立ち寄り、イヤホンを出して、川上ミネさんを聴きながら、コーヒーを飲んだ。
あー。溜め息と共に身体の強張りが緩み、涙が溢れた。
泣いてなかった。あんなに怖かったのに、泣いてなかった。
泣いたら怖いことが現実になりそうで、泣かなかった。
コーヒーが「もう安心して泣いてもいいよ」と背中をさすってくれた。
