星環機兵アステリオン|第1話「救助記録に、死亡者はいなかった」
星間救命機《アステリオン》は、敵を倒すための機体ではない。
壊れた船を支え、漂流者へ手を伸ばし、生命を連れ帰るための白い巨人だ。
二百十一人の身体を救うことができたなら、それは全員を救ったことになるのだろうか。
あらすじ
磁気嵐へ流される群星客船《エウメリア》を救助するため、四人の乗員によって動かされる星間救命機《アステリオン》が出動する。
客船には二百十一人の乗員乗客がいた。しかし、彼らの接続関係からは、その誰とも異なる局所群星人格《アウラ》が生まれていた。
接続事故によって、二百十一人の身体生命は危機に陥る。全員の身体を救うには、彼らを結ぶ接続を遮断しなければならない。
身体生命を守るのか。
二百十一人の間に生まれた「一人」を守るのか。
救命機の中で、四人の判断が分かれていく。
主な登場人物
カイ・レヴァント
星間救命機《アステリオン》の主操縦者。
機体の手足を動かし、救助対象へ直接手を伸ばす役割を担う。
セナ
群星人の接続士。
複数の生命を結ぶ接続構造を読み取り、アステリオンの感覚と判断を支える。
イリヤ
アステリオンに搭乗する医師。
救助対象の身体状態を診断し、生命を維持するための処置を判断する。
ダレン
帰還判断官。
救助の続行と撤退、現場での最終判断を担うアステリオンの指揮役。
アウラ
客船にいる二百十一人の接続関係から生まれた、局所群星人格。
二百十一人の一部でありながら、その誰とも異なる存在として、自らを「私」と認識している。
ティア・メル
《エウメリア》に乗船していた十四歳の少女。
局所群星人格《アウラ》を構成する二百十一人の一人。
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第1話|救助記録に、死亡者はいなかった
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星暦二一八年、第三環状航路群星客船事故。
星間救命機《アステリオン》は、乗員乗客二百十一名を救出した。
個体生命の死亡者は、ゼロだった。
白い巨人が、壊れた客船へ手を伸ばしていた。
人間の腕によく似た五本の指が、船体を覆う薄い外壁をつかむ。
強く握れば、船が潰れる。
弱ければ、漂流している客船は磁気嵐へ流される。
「右掌、接触圧を二パーセント下げる」
カイ・レヴァントが操縦桿をわずかに倒した。
星間救命機《アステリオン》の右腕が、呼吸するように力を緩める。
『下げすぎです』
頭の内側から、セナの声が響いた。
通信機越しではない。
アステリオンの共有操縦系を通じて、彼女の判断が直接流れ込んでくる。
『船体の回転が再開します。保持圧を〇・六戻してください』
「戻したら第七区画が割れる」
『このまま流されれば、全区画が磁気嵐へ入ります』
「二人とも、動作を止めるな」
後部座席から、帰還判断官ダレンが命じた。
「議論しながら支えろ。それがこの機体だ」
アステリオンは、一人では動かせない。
カイが機体の手足を動かし、群星人であるセナが接続を読み、医師イリヤが身体生命を診る。
撤退を決めるのはダレンだった。
四人の判断が食い違えば、機体の動作も鈍る。
訓練中、カイはその鈍さを何度も邪魔だと思った。
「磁気流、増大!」
イリヤが叫んだ。
正面モニターに、群星客船《エウメリア》が映っている。
船体中央が折れ、後部推進区画が大きく裂けていた。
白い蒸気のように噴き出しているものは空気ではない。
群星接続に使われる微細な星環粒子だった。
赤紫色に変色した粒子が、壊れた船体を包んでいる。
二百十一人分の神経信号が、破損した接続核の中で反響を続けていた。
『助けて』
不意に、声が聞こえた。
一人の声ではない。
男。
女。
老人。
子ども。
二百を超える声が、完全に重なって一つの音を作っている。
『身体が、止まります』
カイの指が硬くなった。
セナが翻訳しているのではない。
客船の集合人格が、アステリオンへ直接接触してきたのだ。
「接続対象を確認」
セナの声が震える。
『局所群星人格《アウラ》。構成人数、二百十一。航行十九日目。客船内の全乗員が接続しています』
「二百十一人の意識が、一つになっているのか」
『違います』
セナは即座に否定した。
『二百十一人が一つになっているのではありません。二百十一人で、一人も生きています』
重なった声が割り込んだ。
『私は、この船が出航して七分後に生まれました』
少し遅れて、もう一度声が重なる。
『最初に覚えたのは、二百十一人が同時に見た青い星です』
カイには、その違いが分からなかった。
理解できないまま、船を支え続けた。
イリヤが身体生命の数値を読み上げる。
「心拍停止予測、最短で四分十二秒。接続核の逆流が自律神経系へ侵入してる。全員が他人の身体を同時に動かそうとしている状態です」
「治療方法は」
ダレンが尋ねる。
イリヤは一度、口を閉じた。
「標準救命手順、第九項」
コックピット内の空気が変わった。
カイも、その手順を知っている。
群星接続事故によって共有神経網が身体生命を危険にさらした場合、外部から接続を遮断し、それぞれの身体を個別生命として安定させる。
訓練では何度も切った。
実際の生命へ使うのは、これが初めてだった。
「実行すれば、全員助かるのか」
カイが聞いた。
「身体は、高い確率で」
イリヤは答えた。
「身体は?」
『アウラは戻れません』
セナの声が割り込んだ。
「接続核を修復すればいい」
『間に合いません』
「遮断した後、もう一度つなぐ」
『同じ構成、同じ順序、同じ感情状態では再接続できません』
セナは説明しようとして、言葉を失った。
やがて、低い声で続けた。
『同じ二百十一人を集めても、戻ってくるのは別の集合人格です』
「記憶は?」
『個体側に断片は残ります』
「なら、アウラも――」
『あなたの記憶を二百十一人へ分配して、全員が少しずつ覚えていたら、あなたは生きていますか』
カイは答えられなかった。
客船が大きく揺れた。
アステリオンの右肘から警報が上がる。
保持圧が崩れ、折れた船体が磁気流の方向へ引かれ始める。
「危険域、七名! 全員、接続核の近くだ!」
イリヤが叫ぶ。
セナがすぐに言った。
『その七人だけを切り離せませんか。残り二百四人で、アウラを維持します』
「一部だけを切り離せば、逆流が残りへ集中する」
イリヤは生命表示から目を離さなかった。
『何人が耐えられます』
「一人も」
短い沈黙が落ちた。
「議論は後だ」
ダレンが言った。
「現在確認できる患者は二百十一名。全員の身体生命が危機にある。標準手順を実行する」
『反対します』
セナの拒否が共有系へ流れ込んだ。
アステリオンの右手が止まる。
「セナ」
『患者は二百十二です』
「法的に確認できる生命は二百十一名だ」
『法が数えていないだけです』
「四分後に、数えられている全員が死ぬ」
『だから数えられていない一人を殺すんですか』
「殺すためじゃない。救うためだ」
『同じです』
機体が動かない。
カイは操縦桿を握ったまま、重なり合う声を聞いた。
『身体が止まります』
アウラ。
二百十一人で生まれた、一人。
『切らないでください』
別の声が混じる。
若い女の声だった。
『死にたくない』
今度は子どもの声。
『苦しい』
老人。
『切って』
男。
『嫌だ』
『助けて』
『戻れなくなる』
『身体を止めないで』
『私を消さないで』
接続核の破損によって、アウラの内側にあった声が分離し始めている。
全体の意思と個々の意思が、異なる言葉を発していた。
カイは尋ねた。
「アウラ。あなたは、どうしてほしい」
重なった声が答えた。
『私たちを、助けてください』
「どっちを」
返事はなかった。
イリヤが叫ぶ。
「一人目、心拍停止!」
モニターの片隅で、一つの生命表示が赤く変わった。
十四歳。
女性。
名前はティア・メル。
心拍が消え、集合接続による代替刺激だけで脳機能を維持している。
「残り三分を切った」
ダレンが言う。
「強制指揮権を使う」
『使えば、私の拒否ごと記録に残ります』
「セナ、拒否を解除しろ」
『解除できません』
「これは命令だ」
『群星人である私に、群星人格を生命として数えるなと命令するんですか』
ダレンは答えなかった。
カイは右手を開いた。
操縦桿から、指を離した。
「カイ?」
「俺が実行する」
『何を言っているんです』
セナの意識がこちらへ向く。
怒り。
恐怖。
懇願。
その全部が共有系を通じて流れ込む。
「強制指揮じゃない。俺が、自分で選ぶ」
『それで何が違うんですか』
「命令されたからじゃないってことだけは、残る」
カイは操縦桿を握り直した。
「セナ。接続核の位置を教えてくれ」
『嫌です』
「君が教えなければ、自動切断モードを使う」
『あれは個体構造しか読みません。中枢周囲の七人が焼断範囲に入ります』
「分かってる」
沈黙。
セナの拒否は消えなかった。
それでも、指先の感覚線だけが開かれた。
客船内部で、二人目の心拍が停止する。
三人目。
セナが泣いていることが分かった。
声は崩れなかった。
ただ、共有系に塩辛い感覚だけが流れ込んだ。
『接続核は、船体中央から左へ四・二メートル』
アステリオンの左手が動く。
白い五指が、裂けた船体の内部へ入る。
『その先に、星環導管が三本あります』
「識別色は」
『今は全部赤です。色では分かりません』
「どうする」
『触れれば、私には聞こえます』
アステリオンの指先から細い感覚線が伸び、導管へ触れる。
触れているのはカイの指だった。
聞いているのは、セナだった。
一つ目。
悲鳴。
二つ目。
子どもの笑い声。
三つ目。
海の匂い。
セナが息をのむ。
『三本目が中枢です』
「切る」
『カイ』
「うん」
『私は、あなたを許しません』
「遮断まで十秒!」
イリヤが告げる。
「切ってください」
彼女は生命表示から目を離さなかった。
「私が今、身体を救える患者は二百十一人です」
船を潰さないために緩めた指が、導管を挟んだ。
客船から、アウラの声が流れ込んだ。
『待って』
五秒。
『身体を助けて』
四秒。
『私を消さないで』
三秒。
『助けて』
二秒。
『どちらも、私です』
一秒。
カイは指を閉じた。
星環導管が切断された。
音はしなかった。
宇宙空間には、何も響かない。
それでもカイには、何か巨大なものが途切れる音が聞こえた。
二百十一人分の声が、一斉に消えた。
客船を包んでいた赤紫色の粒子が散っていく。
生命表示が次々と安定色へ戻る。
停止していた三人の心拍も再開した。
「循環回復! 全員、自発呼吸へ移行!」
二百十一。
全員、生きている。
セナの存在が、共有操縦系から遠ざかる。
彼女は接続を切っていた。
カイたちと一つの機体を動かすことを拒み、自分の座席へ閉じこもった。
「客船を引く」
ダレンが言った。
「医療船まで十二分だ」
アステリオンは、白い腕で《エウメリア》を抱えた。
二百十一人を胸に抱き、磁気嵐を離れた。
誰も死ななかった。
磁気嵐の警報が消えて六時間後、母船の医療区画には、機械の呼吸音だけが残っていた。
ティア・メルは、透明な治療隔壁の向こうで自分の両手を見ていた。
右手を開く。
左手を開く。
自分の指が、自分の意思だけで動くことを確かめている。
カイは医療区画の外から、その様子を見ていた。
イリヤが隣に立つ。
「身体機能は正常。記憶障害も軽い」
「群星接続は」
「戻らない」
「他の人たちは?」
「同じだ。互いの存在を感じられないことで、強い不安症状が出てる。何人かは拘束が必要になった」
カイは隔壁へ近づいた。
ティアが顔を上げる。
視線が合った。
彼女は治療台から降り、よろめきながら隔壁へ歩いてきた。
「あなたが、切った人ですか」
「そうだ」
「私は、ティア・メルです」
「うん」
「それは覚えています」
ティアは自分の胸へ手を当てた。
「母の名前も、好きな食べ物も、学校で嫌いだった先生も覚えています」
カイは何も言わなかった。
「アウラはどこですか」
答えられなかった。
ティアは隔壁へ手をついた。
「ここにいたんです」
自分の頭を指さす。
「私の中だけじゃない。みんなの間にいました。朝、誰かが目を覚ました時の眩しさ。別の誰かが食べた果物の味。泣いている子を、百人が同時に心配する感じ」
涙が落ちた。
「海の匂いも」
カイは顔を上げた。
「海?」
「客船にいた人は、誰も海を見たことがありません」
ティアは両手で頭を押さえた。
「……アウラだけが、夢で知っていました」
治療隔壁へ額をつける。
「今は、何も聞こえない」
「救命のためだった」
「助けてもらったことは、分かっています」
ティアは目を閉じた。
「でも、あなたを見ると、返してって思う」
「何を」
「分かりません」
声が震えた。
「アウラを。前の私を。あの船にいた私たちを」
長い沈黙の後、ティアは言った。
「ありがとうって言わなきゃいけないのに、あなたを責めたい」
ティアは隔壁から手を離した。
「分けられません」
救助報告書の作成は、翌朝まで続いた。
事故原因。
救助時刻。
接続遮断の根拠。
生存者数。
負傷者数。
強制指揮権行使。
死亡者数。
最後の二欄には、最初から答えが入力されていた。
強制指揮権行使 なし
死亡者数 〇
カイは端末を見つめた。
向かいにはダレンが座っている。
「死亡者数に、一を加えてください」
「誰の名前を書く」
「アウラ」
「住民登録がない」
「記録はある」
「人格登録も、身体識別番号もない」
「存在していた」
「それを否定しているんじゃない」
ダレンは疲れた声で言った。
「現行法で死亡者として認定できないと言っている」
「なら、備考欄に」
「集合人格消失の可能性は記載する」
「可能性じゃない」
「断定すれば事故の分類が変わる」
「変わればいい」
「変わった場合、生存者二百十一名は救助対象ではなく、未承認生命分離処置の被験者扱いになる」
ダレンは端末を指で叩いた。
「軍と群星政府の共同調査が終わるまで、帰国も接続喪失後の治療も認められない」
カイは黙った。
「今、この報告へ署名すれば、彼らは今日中に中立医療圏へ移送される」
「ゼロと書けば」
「そうだ」
ダレンは端末をこちらへ滑らせた。
「制度は遅い。現場は待てない。だから現場では、今ある分類を使う」
「その分類にいない生命は」
「備考へ残す」
「死亡者ではなく?」
「今は」
カイは報告書を開いた。
救助者署名欄。
自分の名前。
署名しなければ、ティアたちは移送されない。
署名すれば、アウラの死は公式には起きなかったことになる。
カイは指を端末へ置いた。
一秒。
二秒。
三秒。
署名した。
端末が短い音を鳴らす。
救命活動記録を承認しました。
救助者二百十一名。
強制指揮権行使なし。
死亡者〇名。
「これで移送できる」
ダレンが言った。
報告室を出ると、白いアステリオンが整備庫の中央に立っていた。
星間救命条約を示す白い装甲。
右手の指先だけに、赤紫色の焼け跡が残っている。
整備員が研磨機を手に近づいていた。
「そこは削らないでください」
整備員が振り返る。
「腐食が進む。次の任務前に補修が必要だ」
「白は塗り直していい。でも、下の焼け跡は削らないでください」
「記録に必要か?」
カイは答えなかった。
その日の公式記録には、こう残された。
星暦二一八年、第三環状航路群星客船事故。
星間救命機《アステリオン》は、乗員乗客二百十一名を救出した。
標準救命手順第九項に基づく接続遮断処置を実施。
個体生命の死亡者は、ゼロだった。
カイは自分の航海日誌へ、別の文章を残した。
二百十一人を救った。
その二百十一人が、事故の前にも二百十一人だったのかは分からない。
『どちらも、私です』
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あとがき
《アステリオン》は、敵を倒すためではなく、誰かを救うために造られた巨大人型機です。
けれど、救命機だからこそ、何を「救うべき生命」として数えるのかを避けることはできません。
身体が生きていること。記憶が残っていること。誰かとの関係が続いていること。そして、複数の人の間に生まれた人格が、自分を一人の存在として認識していること。
そのどこから、命は始まるのだろうと考えながら書きました。
カイ、セナ、イリヤ、ダレンは、それぞれ異なるものを守ろうとしています。誰か一人だけが正しく、他の誰かが間違っている物語にはしていません。
正解がないまま、それでも時間内に決断しなければならない。
その決断の後に、救助された人と、選んだ人と、記録を書く人へ何が残るのか。
読んでくださった方が、自分なら何を救助対象として数えるのかを、少しだけ考えてくださったならうれしく思います。
「星環機兵アステリオン」について
救助の後も、カイとセナの間には、同じ機体を動かすだけでは消えない傷が残りました。
アステリオンの右手には、公式記録に記されなかった赤紫色の焼け跡が残されています。
『星環機兵アステリオン』は、救助によって残された傷と、記録に数えられなかった存在を追っていく物語です。
あなたは、この救助記録の死亡者数を何人と記しますか。
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