12.幽玄の河
#富士川の戦い を描いています。

近世の富士川は、堂々たる大河です。しかし当時の富士川河口部は、広い湿地帯になっていて、記録では水深50〜70センチほどの流れが十数本ある状態でした。大きな合戦の場所としては不向きな場所のため #先に渡河を試みるのは不利 だったのです。
この点、先に富士川東岸に布陣した鎌倉勢は地の利を得ていました。後から富士川に到達した平維盛・伊藤忠清らの官軍は、動きが取れず難渋したと思います。さらに富士川上流から現れた甲斐源氏の軍勢を見て #退却を決意 したと思います。甲斐源氏が後ろに回ったら、対応するのは難しい。せめて駿河国府(静岡東部)で体勢を立て直そうと考えたはずです。
逆に鎌倉勢は助かりました。兵の数こそ揃えていましたが、文字通り #烏合の衆 であって、いくさができるような状態ではありませんでした。

源頼朝は、反乱軍の総大将でしたが、その頃はまだ権威も定まってはいませんでした。 #以仁王の命令 で動いているのだ。自分は従五位下・右兵衛権佐の地位にある貴人なのだ。そう声高に叫んで、武者たちを従わせるのがやっとだったと思います。メディアも未発達の時代であり、以仁王が生きているという噂はずっと続いていたのです。


鎌倉勢の勝利は #薄氷の上に成し遂げられた ものだったのです。
