見出し画像

在り方が変わらないまま知識だけ増えるとき

瞑想を30年実践している天馬です。仏教、瞑想、カバラ、脳科学、カウンセリング、コーチング、心のことを30年以上勉強・実践してきました。そこでつかんだノウハウをnoteでお届けします。

色々学び、お金もかけてきたのに現実が変わらないのはなぜ?それは、人生の本質に触れていないからかもしれません。実は、現実を優しく変える方法があります。
➡現実を変える12の自己点検を無料で受け取る

学べば学ぶほど、見えることは増えていきます。
心の仕組みも、苦しみの背景も、以前よりずっと言葉にできるようになります。

それは、とても大切なことです。
何が起きているのかわからずに飲み込まれていた頃に比べれば、それだけでも大きな変化です。

けれど、ときどき感じることがあります。
知識は増えているのに、どこか深いところは、あまり動いていない。

その感覚は、努力不足の証ではないのかもしれません。
むしろ、知識と在り方が別々に進んでいることに気づき始めた合図なのかもしれません。

・知識が先に進むとき

ここでは、知識が増えていくことの意味について解説します。

知識は、混乱を整えてくれます。
感情に名前がつき、出来事の意味が見え、自分の反応も少しずつ理解できるようになります。

心理学も、哲学も、仏教も、そうした整理を助けてくれます。
それぞれ違う角度から、私たちの苦しみや思い込みや執着を照らしてくれます。

だから知識が増えること自体は、決して悪いことではありません。
むしろ、多くの人にとって必要な過程なのだと思います。

ただ、その一方で、
知ることが進むほど、変わったように感じやすくなることがあります。

理解できることが増えると、以前より進んでいる実感も生まれます。
でもその実感と、在り方そのものが変わっていることは、必ずしも同じではないのかもしれません。

・在り方が動かない感覚

ここでは、知識があるのに深いところが変わらないときについて解説します。

在り方というのは、考え方のことだけではないのだと思います。
何かを失いそうになったとき、否定されたとき、不安が立ち上がったとき、どこから反応しているか。
その深い重心のようなものが、在り方なのかもしれません。

頭では「手放したほうがいい」とわかっている。
でも実際の場面になると、心は前と同じように握りしめる。

「執着は苦しみを生む」と理解している。
でも、失いたくないものを前にすると、体は静かにこわばる。

そのとき起きているのは、知識の不足ではありません。
知識よりも深いところで、これまでの自分の反応がそのまま続いているのかもしれません。

だから、知識が増えているのに変わらない感覚があるのは、不自然なことではないのだと思います。
それはむしろ、見えていなかったずれが見え始めているのかもしれません。

・理解がやさしい壁になるとき

ここでは、知識が多い人ほど入りやすい静かな構造について解説します。

多くを学んだ人ほど、自分の状態をうまく説明できます。
「これは不安だろう」
「これは思考の癖だろう」
「これは執着かもしれない」

その理解は、とても大きな力です。
けれど、ときにその力が、ほんとうに揺らぐべき場所の手前で、やさしい壁になることがあります。

本来なら、少し立ち止まり、少しわからなくなり、少し不安定なまま見たほうがよい感覚がある。
でも知識があると、その前に「こういうことだ」と整理できてしまいます。

すると、痛みには名前がつくけれど、まだ深くは触れていない。
違和感は説明できるけれど、まだほんとうには見ていない。
そんなことが起こるのかもしれません。

在り方が変わらないまま知識だけ増えるとき、理解は助けであると同時に、静かな防御にもなりうる。
ここに、小さくて見えにくい分かれ目があるように思います。

・問われているもの

ここでは、知識の先で静かに問われ始めることについて解説します。

ある地点までは、「何を知ればいいか」が大切な問いです。
そしてその問いは、確かに私たちを助けてくれます。

けれど、その先で少しずつ問われるものは変わっていくのかもしれません。
何を知っているかではなく、どこから見ているのか。
何を理解しているかではなく、何を守りながら理解しているのか。

私は本当に変わりたいのだろうか。
それとも、変わりたいと言いながら、今までの自分の形を保っていたいのだろうか。

こうした問いは、すぐに答えを出すためのものではありません。
でも、本当の変化は、答えを増やしたときよりも、
問いが自分自身の足場へ向かい始めたときに動き出すことがあるように思います。

知識が増えても在り方が変わらないとき。
それは失敗ではなく、知識の先にある別の層が見え始めた合図なのかもしれません。

・まとめ

ここでは、この記事でお伝えしたかったことを静かにまとめます。

在り方が変わらないまま知識だけ増えることがあります。
それは、学びが無意味だからではありません。

むしろ、学びが深まったからこそ、
知識と在り方が少し違う層にあることが見え始めるのだと思います。

知っていることが増えるほど、
自分がどこから見ているかは、かえって見えにくくなることがあります。
だからこそ今、問われているのは、何を知っているかより、どこから生きているかなのかもしれません。

ただ、本当の停滞や未変化の構造は、この記事で触れたよりももう少し具体的で、順番があります。
どこで認識が止まり、どこで自己像が支えられ、どこで探求が同じ場所を回り始めるのか。

それは思想の話というより、内側で何が起きているのかという構造の話です。
ここで全部を書き切らないのは、また理解だけが先に進んでしまうことを避けたいからでもあります。

その順番については、メルマガの中で、もう少し丁寧にお伝えしています。
また、その構造を頭で理解するだけでなく、実際に自分の内側で確かめていくための場として、瞑想講座も用意しています。

瞑想は、何かを信じるためのものではありません。
答えを急いで得るための方法でもなく、核心に触れるための静かな実験装置のようなものです。

もし、知識は増えているのに深いところが動いていない感覚があるなら。
その入り口として、瞑想という方法は、控えめでありながら深く働くことがあるのかもしれません。

今回の記事が参考になったと思っていただけるのであれば、ぜひいいね&フォローをお願いします。

あと一つパズルのピースがはまれば私は変われる!そんな感覚があるなら、自分を優しく変える方法をぜひ受け取ってください。
➡自分を変える12の自己点検を無料で受け取る

いいなと思ったら応援しよう!