その夜、シャッターが鳴いた【ショートショート】
熊谷市、午前2時13分。
眠りが街全体をくるむ、最も深い時間。
街全体が静寂に沈んでいた。
その中で、シャッターが破れる乾いた音が、
通りに無理やり爪痕を残した。
「……開いたぞ。急げ」
低く抑えた声。
けれど、ナイフのように冷たい。
バールを手にした中年の男・若山啓二(49)。
シャッターの隙間から猫のように身を滑らせ、
懐中電灯を片手に、目だけが鋭く光る。
顔の半分を覆うマスクの奥で、口元が笑っていた。
「7分。時計、動かせ」
彼の背後には無言の相棒、通称“ハンチング”。
全く喋らない男。
いや、喋れないのかもしれない。
二人はこれまで、音もなく店を壊し、
音もなく金を奪ってきた。
少なくとも、“今までは”。
店内は薄暗く、空気が重い。
ケースに並ぶ金券の束が、
懐中電灯の光に濡れたようにきらめく。
「……当たりだ」
若山がバールを構えた。
振りかぶり、ガラスに叩きつける、
ガンッ!
割れる寸前の音。硬質な悲鳴。
その瞬間だった。
「そこで何してる?」
空気の密度が一変した。
背後から届いた声は、怒鳴りでもなく、叫びでもない。
むしろ静かだった。
だが、異様に通る声だった。
ぞっと背筋が凍った。
若山は反射的に振り返った。
店の奥に、金のスカジャンを着た老人が立っていた。
寝癖のついた白髪、裸足。
目が、まるで刃物だった。
「……誰だよ」
問いかける間もなく、背後からスリッパの足音。
階段を降りてきたのは、パジャマ姿の女性。
手には、殺虫剤。
もう片方には――消火器。
「夫婦かよ……クソッ」
若山は反射で呟いた。
逃げるか、やるか。
だが、思考より早く動いたのは、老人のほうだった。
源三――スカジャンの男が、カウンターを跳び越えてくる。
「お前、地獄見たことあるか?」
次の瞬間、若山の右手首はねじられ、
バールは奪われていた。
「オレの方が似合ってるだろ、これ」
バールを肩に担ぎ、源三がニヤリと笑う。
反撃に出ようとした次の瞬間、何かが耳元をかすめた。
シューーー。
「目がっ……!?」
殺虫剤だ。
距離ゼロ。至近距離で両目を撃ち抜かれる。
視界が焼け、脳が叫ぶ。
若山の理性が吹き飛んだ。
その刹那、源三の脇にいた女が、消火器を構えた。
ブッシャアアアア!!!
泡が、若山の顔面に直撃する。
「撤退ッ!ハンチング!戻るぞ!」
叫ぶが、返事はない。
相棒は、金券ごとショーケースに足を取られ、
床に崩れ落ちていた。
「ちょっとあんた! 床、張り替えたばっかなんだけど!」
怒号と共に、
女ー美代子が飛び膝蹴りで襲いかかる。
グシャッ。
そこに容赦はなかった。
若山は、転がるように外へ走った。
その背後、源三の声が追いかけてくる。
「逃げられると思ったか?」
若山は車に飛び乗った。
「エンジン! 早く……ッ!」
が、ハンチングはまだ店内で泡まみれ。
「クソ……っ」
振り返ると、源三がゆっくりと、
バールを両手で構え、こっちに歩いてくる。
その足取りが、異常なまでに静かだった。
「やめろ、来んな……っ」
ガシャン!!
バールが車のフロントに叩き込まれる。
一撃。ヒビが走る。
二撃。蜘蛛の巣状にガラスが白濁していく。
「やめろぉッ!!」若山が叫ぶ。
しかし、源三は執拗にバールでフロントガラスを叩きつけている。
みるみるうちに、フロントガラスは全面真っ白で何も見えない。
若山が恐怖におののきながら、ヒビの隙間から源三を見ると、
源三は笑っていた。
「ひぃっ!」
源三はそのまま、亀裂の中心に指を突っ込み、
「……締めの一品、いきまーす」
シュウウウウウ。
隙間から再び殺虫剤を噴き込む。
「うあああっ!!!」
視界が真っ白に染まり、息ができない。
若山はドアを蹴り開け、外へ這い出た。
「ハンチング!!」
後ろから、美代子の声。
「うちの床を汚した罰よッッ!!」
ドシュウッ!
今度は、消火器。
泡の嵐がふたりを襲い、金券とともに転がる。
「なんだよここ! 質屋じゃねぇのかよ!!」
若山は泡にまみれながら、犬のように地面を這い続けるが、動きが止まった。
殺虫剤でやられた喉の痛みにもがき、咳き込む。
そのとき、パトカーの赤色灯が静かに差し込んでくる。
警官が車から降りた瞬間、目の前の光景を見て絶句する。
「えっ……なにこれ。戦場……?」
制服の若手が呆然と呟く隣で、
ベテランらしき男が眉間に深いシワを寄せた。
「また“まるぜん”か……10年前の未遂事件、忘れたのか?」
若手警官が振り返る。
「未遂、ですか?」
「前は拳銃持ってた奴が入ってさ……気づいたら病院送りだった。店主夫妻は無傷。警察の記録じゃ“転倒による負傷”ってなってるけどな。あの目は、忘れねぇ」
ベテラン警官がぽつりと呟く。
「ここだけは……絶対に踏み込んじゃいけねぇ店なんだよ」
逮捕された若山は、手錠をかけられながら、震えながら繰り返す。
「……あれは店じゃない……狂気だよ……あいつら、サイコだ……」
源三は、フロントガラスの破片を払いながら呟いた。
「いや、正当防衛だ」
美代子は、スプレー缶を掲げたまま、チャーミングに微笑んだ。
「これ、Gに効くけど……ねえ、欲にまみれた人間にもちゃんと効くのよ」
若手警官が思わず問う。
「……あ、あの、奥さん、もしかして何か護身術とか……?」
美代子がウィンクして返す。
「昔ね、ちょっとだけ。警視庁で“教える側”だったの」
そう言って、何食わぬ顔でスリッパのまま店の奥へ戻っていく。
源三もその背に続く。
夜の闇が、二人の背中をゆっくりと呑み込んでいった。
まるで、何もなかったかのように。
シャッターが、ギギ……と音を立てて閉まり、
熊谷の夜が再び静寂に沈む。
「“あの店”には絶対に手を出すな」
そう語り継がれる伝説は、
いまや界隈では“生存マニュアル”の一部になっている。
※この物語は、実際あった事件をモチーフにしたショートショートです。
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