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「閉じるボタン」を押さずに最後まで読んでくれたあなたは、神さまですか?

noteを書きながら、ふと思うことがあります。

「ここで、読むのやめちゃう人、多いだろうな」と。

冒頭が冴えないとき。
展開がもたついているとき。
そして、言葉に力が乗っていないとき。

誰もが「そっ」とブラウザを閉じたくなる、
その数秒の判断。

でも、あなたは
ここまで読んでくれている。

まるで深夜の街をひとり歩くように。
まるで、見知らぬ路地の灯りに導かれるように。

「この文章、どこに行くんだろう?」と思いながらも、まだスクロールしてくれている。

ねえ、あなたは神さまですか?

読まれない、なんて当然だと思っている


私はnoteを書くとき、
「読まれない前提」で始めることが多いです。

だって、noteの海は広すぎる。

毎日何千、何万と投稿されている。

そのなかで、わたしのnoteが開かれる確率なんて、奇跡に近い。

さらに言えば、開いてもらったとしても、

興味がなければ、そこでおしまい。

分かりづらければ、そこでおしまい。

見えすぎたオチがあれば、そこでおしまい。

noteにおける「閉じるボタン」は、
読者の手にある。

だから私は、いつもそのボタンと向き合っている。

読まれるって、どういうこと?


「読まれるnoteを書くには?」とよく聞かれるけれど、
本当に必要なのは、その逆かもしれません。

「人は、なぜ読むのをやめるのか?」

この問いの中に、すべての答えがある気がします。

読者がページを閉じる瞬間は、
おおよそ3つに分けられると思っています。

興味がないとき

よくわからないとき

わかりきっているとき

これ、つまりはこういうことです。

「読者とのコミュニケーションが成立していない」

わたしが見ている景色と、あなたが望んでいるもののズレ。

それが、そっと「閉じる」指を動かすのです。

書き手は、読者と静かにダンスしている


noteの文章は、いつだってダンスだと思う。

手を取るように誘い、
「わたしについてきて」と目を合わせる。

でも、相手のステップが合わなければ、すぐに離れていってしまう。

その瞬間、文章は止まる。

だから私は、常に“脳内の普通の読者”を想定します。

よく知りもしない誰か。

感動屋でもなければ、辛口でもない。

ただ、日々を懸命に生きていて、

スクロールする指に「選択肢」を持っている人。

その人に「もうちょっとだけ、読んでみようかな」と
思ってもらえるかどうか。

その細い糸だけを信じて、次の一文を書いていく。

わたしが「最後まで読んでもらう」ためにしていること


・話がどこへ向かうのか、ちゃんと道しるべを置くこと。

・不要な寄り道をしすぎないこと。

・読者が「私のこと?」と感じるような問いかけを入れること。

・先が見えそうで見えない、絶妙な温度を保つこと。

そして何よりも。

「読んでくれるあなたの時間は、かけがえのないものだ」と、
書くたびに思い出すこと。

noteって、「書く場所」ではなくて、
「誰かと対話する場所」なんですよね。

それを忘れたとき、どんな文章も、きっと届かない。

だから私は、あなたにありがとうを言いたい


もし、ここまで読んでくれたなら。

「あなたは、神さまですか?」

いや、神さまでなくてもいい。

きっと、疲れていたり、なんとなくだったり、
偶然たどり着いただけかもしれない。

でも、最後まで読んでくれた。

それは、わたしにとって「かけがえのない奇跡」です。

だから、
この言葉だけは、忘れずに伝えさせてください。

ありがとう。

ほんとうに、ありがとう。

noteという場所で、またお会いできますように。

天豆(てんまめ)

PS.
私、実は神さまでした(´∀`*)
という方は、スキやコメントをいただけたら、
とてもとても嬉しいです😆


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