日々を惰性で過ごしてはいないか
今日は仕事をしてた時と同じように起きた瞬間に準備をして、次の会社に提出するための書類を発行しに市役所に行った。それから車で出かけて、家に帰ったのは21時過ぎだった。この時間まで外にいたのはひさしぶりだ。と同時にみんな結構遅くまで外にいるんだなと思った。
自分はといえば日が暮れる頃にはいつも家にいる。そこからご飯を食べたりYouTubeを観たり、いつも同じことをしてる。同じ時間に同じ場所で同じことを考えている。いつもと同じというのは安心するけど、同時に惰性だなと感じる。要は思考停止なんじゃないかと。
今日分かったことは、忙しくすると余計なことを考える暇がなくなる。しかし同じ忙しさには次第に慣れて、余計な考え事をする余白が生まれてしまう。例えばショッピングモールを歩きながら頭の中で考え事をするようなイメージだ。これじゃ全然目の前の世界を楽しめない。
最初の頃は目の前の刺激に夢中だったんだけどな。いつしかそれに慣れてしまった。初めて通る道は刺激的でも、何度も通ればそこは「いつもの道」となる。それに心地よさを感じてしまい、もはやより良くしようとする意識すらない、惰性でしかない。
どこかで「こんなもんだよね」と思っている節がある。自分の人生はこういうものだと。今までそうだったから、これからもそうだろうと。今まで筋トレは15分だったから、これからも15分でいいか。寝る前は惰性で酒を呑む。昨日もおとといも飲んだからだ。そして明日も呑むんだろう。
自分の頭は大抵騒がしく、黙っていてほしいと願っても止むことはない。そしてそれはどうでもよくて、風が吹けば飛んでいくような内容だ。昨日どこに行ったとか、こんなことをしたとか、そういえばあの日のあれはああだったなとか。いつも意識が過去に向いている。
自分は退職代行の日から日記を毎日つけている。そしてそれを見返して思い出に浸る。写真を見返す癖がある。そしてその写真に紐づく様々な思い出に浸る。まだ30歳にもなってないのに未来ではなく過去に意識が向くことが多い。こうして、一生、過去を向いて生きていくのだろうか。
無職期間が長くなって、昨日と同じ今日、今日と同じ明日になっている。なんだかバイタリティというか活力というかエネルギーというか、そういった類のものを失ってしまった気がする。「毎日が消化試合」とでも言おうか。河原に生える草のように、ただぼーっと生きている。そうではない草があったら申し訳ない。
