ロープの勝敗決めは突然に
3勝3敗
これは屋上の洗濯物干しロープの所有権をめぐる
静かなる戦いの記録である。
一カ月ほど前、シーツを干しに屋上に行ったら
私たちの家の洗濯物干しロープのところに
下の階の人の洗濯物が干してあったということを書いた。
その日は静かに自室に戻った。
しかしその日以降も、さて今日は天気もいいし大きめの洗濯物は屋上に! と張り切ってドアを開けると、私たちのロープのところに洗濯物が干してあることがあった。そのたびに静かに部屋に戻ること3回ほど。
他の住人たちはパティオに干しており、毎回強烈な柔軟剤のにおいで迎えてくれるので、それ以外となるとあのセニョーラしかいない。普段は仕事で朝早く出かけるため屋上に洗濯物を干す時間などなかったようだけれど、今はもしかすると自宅勤務をしているのかもしれない。
どうしたものか。これでは干したいときに洗濯物が干せない。そして、万が一あれが自分たちのロープではなかったら大変申し訳ない。
運よく私の方が早いとき、昼頃に日光浴にいくと
セニョーラの所有する半分錆びたロープに
『仕方なく』という感じで彼女の洗濯物が干してあるのを見たことが3回ほどある。
今は海辺の別荘にて隔離生活を送るらしい別の隣人パコは、あれは私たちのロープだと言っていたのだが、万が一私が聞き間違えていて、またはパコが間違えており、セニョーラのロープを勝手に使用しているのであれば大変なことである。下手をするとピソ内での国際問題に発展しかねない。
しかし、わざわざ下に降りて、ドアをノックして話に行く、というのはスペイン人のやり方ではない気がする。
こうなったら、たまたま屋上でばったり会うチャンスを狙って聞くしかない!
しばらく静観することにした。
むこうも何も言ってこない。
そのまま数週間が経過した。
しかし、数日前のことだ。
屋上で日光浴をしながら有酸素運動もしようと、動画をみながらエクササイズを始めた。
音楽にあわせて動いていたら調子に乗ってしまい、ずいぶん動きが派手になっていたようだ。
バン!
勢いよく屋上のドアが開き、下の階のセニョーラが入ってきた。
「こんにちは!……え?」
「……え!」
現状理解に数秒要して固まる私と、洗濯物を抱えたセニョーラの間に
微妙な沈黙が流れる。
今日も空が青い。
「……続けていいわよ! 私のことは気にしないで」
「あ、はい!」
エルサレムに住み始めたころから、恥ずかしいという感情はどこかへ置いてきたつもりだったけれど、これはちょっと恥ずかしかった。
しかも運悪くというか、そのエクササイズ動画ではカンフーのような、こちらの人からするととてもオリエンタルな動きが出てきたところで、これをやる私はまさに彼女がイメージするところのアジア人ではないかと自意識過剰気味に考える。
でもこんなところで止まるほうが逆にかっこ悪いと思い、無心に動き続ける。それを見てうんうんと満足そうな彼女の横顔が見える。
そして、思い出した。
今こそが、洗濯物ロープについて確認するとき!
これを逃したらもうない。
ふと見ると、セニョーラは『右半分が錆びているロープ』に洗濯物を干していた。
「あ、あの! こっちのロープって、私たちのでいいんでしょうか?」
「あなたのは一番向こうのだと思うけど……」
「そうなんですか。パコにこれが私たちのだと聞いて使っていたんですけど、もし間違えていたら大変だなと思いまして……」
「あらそう……? じゃああなたたちのかもね」
「ただ、この間からここにときどき洗濯物が干してあって、大丈夫かなと思っていたんです」
「そうなの、誰がそんなことするのかしら! あれじゃない、隣のご夫婦とか」
私は知っているのに気がついていないふりをする演技が、
特に外国語ではあまり上手ではない上に、
この町の人の典型的な責任逃れパターンにどうしていいかわからず、
でも彼女にはいつもお世話になっているし、
彼女が自分ではないというのだから、
ここは彼女のプライドを守らないといけないのだな、
という方に意識が向いてしまった。
「そうですか。まぁ誰でもいいのです! とりあえず私たちのロープがどれかわかると助かるんですが」
「わかった! 私に任せて。他のご夫婦たちにも聞いてみるから、後で部屋に行くね! ほら、運動続けなさいよ、せっかくの時間がもったいない!」
「はい、ありがとうございます!」
彼女に背中を向け、戸惑いと「えー! 他のご夫婦のせいにしたらあかんで!」と言いたいのを必死にこらえ、太陽の熱と自分の中の笑いなのか諦めなのかよくわからない感情により真っ赤になった顔でエクササイズを続ける。
「で、最近どう? 久しぶりにあなたの顔見たから嬉しくって!」
セニョーラは私にエクササイズを続けろといったが、それは私がだまって動きに集中していい、という意味ではない。
近況報告をしつつ、精神的な負担がないか、家でどう過ごしているかなど情報交換する。
ようやくエクササイズを終え、下に降りることにした。
「後で行くからね!」
の声を背に、部屋に戻る。
数分後、セニョーラがドアをノックする。
「えーっと。あのロープ、あなたたちのだって」
「そうでしたか! ありがとうございます!」
「私も役に立ててよかった。じゃあそういうことで!」
静かにドアを閉めた後、ひそかにガッツポーズを作る。
まぁよくわからないが、よかったのだ。
一カ月の遠回りをしたけれど、彼女のプライドを傷つけることなく、あのロープが私たちのものだということを証明することができた喜びは大きい。
はー疲れた!!
こういうのを草の根外交というのだろうか。
いや違うだろうな。
その日は大仕事を終えたような気分で一日を過ごした。
でもこれで、これから安心してあのロープに洗濯物を干すことができるはず、である。毎回どきどきしながら屋上に行かなくて済む。
せっかくだから、冬もたくさん晴れの日が続きますように。
そして私が人目を気にせず屋上で踊ったり動いたりできるように、
「屋上でエクササイズっていいわね! 私もやろうかしら」
と言ったセニョーラと時間がかぶらないことを祈る。
