AI時代、子供の教育で親ができることは
AI時代の子供のキャリア戦略について書かれたものがあり、読んでいました。子どもの将来の就職先について、親としていろいろと考えてしまう内容です。
その記事では、AIに置き換えられにくい仕事こそが、これからの時代の「安全な選択肢」だと語られていました。
こうした不安や期待は、時代ごとに形を変えながらも、いつの世でも親が抱えてきたものだと思います。
私が子供の頃、私の親は研究職をすすめていました。もともと、遺伝子や微生物に興味があり、大学でもそう言ったことを研究の題材にしていました。
しかし、就職を考えるころに、いわゆるバブルが弾けて、そう言った就職先は地方の大学卒の普通の自分には、なかなか見つからず、同期で大学院に行った友人たちは、その後、それ以上に苦労した事を思い出します。
記事ではまず、生成AIの進化によって、これまで花形とされてきた職業の多くが不安定になりつつあると指摘しています。
特にエンジニアやコンサルタントのように、情報処理や分析、文書作成を主とする仕事は、AIによって代替されやすく、若手やジュニア層のポジションが減少しているとされています。
そのうえで、単に専門スキルを身につけることではなく、AIを道具として使いこなし、自ら価値を生み出せる姿勢だと述べられています。
雇われる前提の専門職よりも、起業家的なマインドの重要性が強調されていました。
しかし、全ての子供たちがこういったマインドを持てるかというと難しいと思います。
この記事では、比較的AIに代替されにくい職業の例として医師などの士業を挙げています。
これらの分野は法律や制度による規制が強く、さらに医師の場合、診察や手術といった身体への直接的な関与が必要なため、AIによる代替が起きにくい、という整理です。
さらに、中学受験については、特に医師や弁護士などの士業を目指す場合、早い段階から学習環境と人的ネットワークを得られる点で有利に働く、という見解が示されていました。
早い段階から特定の進路を志向する層が集まる環境に身を置くことで、同級生や先輩、卒業生とのつながりが、その後の進学や就職の選択に影響を与えることがあるということでした。
同じ関心を持つ人たちが集まる場所では、情報や選択肢が共有されやすくなる、という側面は確かにあります。
ただし、それが将来の成功を保証するものではなく、「機会に触れやすくなる」程度の意味合いにとどまります。
いつの時代も「これからの時代は適応力が大事だ」と言われます。
変化が早く、正解がすぐに陳腐化する現代において、何か一つの突出した知識やスキルを持っていることも強みですが、全ての人がそういったものを持っているわけではありません。
そういった人は、環境や前提が変わったときに、自分を更新できる力を身に着けておくことが、将来の助けにになると私は思います。
では、その適応力はどこで育つのでしょうか。
私は、それは「不確実さの中で、自分で考えて決める経験」の中でしか育たないのではないかと思っています。
正解が用意されていて、それを当てにいく構造の中では、「ズレたときにどうするか」「前提が変わったときにどう考え直すか」という筋肉はあまり使われません。
むしろ、失敗したり、迷ったり、回り道をしたりする、その試行回数そのものが、適応力の正体なのだと思います。
中学受験は本当にその答えなのか?
では、中学受験自体は、これからの時代を生きるための適応力の「答え」なのでしょうか。
結論から言えば、答えそのものというより、一つの手段に近いものだと思います。
中学受験は、努力や計画性、基礎学力、思考の持久力といったものを高い密度で鍛える仕組みです。
特に、論理的に考える力、文章を読み解く力、数理的に整理する力といった「思考の基礎体力」は、将来AIを使う側に回るための土台になり得ます。
そういう意味で、中学受験は「AIに対抗する」場所というより、「AIを使う前提に立つための準備」をする場所、と捉える方が近いのかもしれません。
一方で、現在の中学受験自体は、ゴールやルール、評価軸が比較的明確な世界でもあります。
「正解のある問い」に対して、どれだけ速く、正確にたどり着けるかを競う構造であり、「問いそのものがない」「正解がない」「前提が変わる」といった状況への耐性を直接育てる場ではありません。
つまり、中学受験は、適応力そのものを育てるというより、適応するための装備を整える場に近い、という整理になります。
そのため、中学受験を将来の保証や正解として捉えるよりも、知的な訓練や環境、人との接点を得るための一つの選択肢として位置づける方が、現実に即しているように感じます。
結局「どこに行くか」よりも「そこで何をどう使うか」の方が重要であるということです。
家庭の中で親ができること
ここから話を展開すると、次に考えたくなるのは、「では、その力はどこで育つのか」という点です。
学校、塾、交友関係、それとも、もっと日常に近い場所でしょうか。
適応力は、誰かから与えられるものというより、子供の成長の中で「自分で選び、失敗し、考え直す」という経験の積み重ねの中で育っていくものだと思います。
では、家庭の中で、親は何ができるのでしょうか。
私が一番大事だと思うのは、「子どもが自分で考えて決める余白を残すこと」です。
私もそうですが、多くの親が、正解を先に示したくなりますし、失敗しそうな道は避けさせたくなっているはずです。
でも、「ズレる」「失敗する」「考え直す」ということは、子供のうちは何回でも出来ることです。
もちろん、それによって大けが(肉体的な事以外にも)しそうなことは、止めてあげる必要はありますが。
もう一つ大事なのは、「変わっていい」という感覚を許すことです。
これは、やり続けることと比べて、ネガティブにとらえがちですが、やりたいことが変わるのはブレではなく探索です。
選び直すことや方向を変えることを失敗扱いしない空気が、変化への耐性を育てます。
「まずはやってみる」「どう転んでも考え直せる」「どこからでもやり直せる」
その安心感があってはじめて、子どもは世界に対して少しだけ大胆になれるのだと思います。
親が「安全そう」「安定しそう」と思って敷いたレールと、実際に子どもたちがこれから走ることになるレールとは、ほとんどの場合、方向が違います。
というより、そもそも最初からレールなんか敷かれていないということに、私たちは経験から、実は薄々気づいているはずです。
どこかで、こんな話を聞いたことがあります。
江戸時代の終わりに、「刀鍛冶になれば食いっぱぐれない」と考えて子供を弟子入りさせた親がいたという話です。
それは、その時代においては、とても合理的な選択だったはずです。
でも、その直後に明治維新が来て、刀鍛冶という仕事そのものが不要となり、正解だったはずの進路が、時代の変化で正解ではなくなりました。
いつの時代も親の悩みはつきません。
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