夏の本屋で飲んだ、ぬるいビールが忘れられない
毎日のように入り浸っている喫茶店が、ついに酒販免許を取ったらしい。これで晴れて、昼から堂々と飲めるようになった。飲みながらでも仕事ができる器用で怠惰な人間にとっては、またひとつ天国に近づいたということだ。アルコールに強い体質に生んでくれた両親には感謝している。仕事と休日の境目が曖昧で、毎日が夏休み最終日みたいなわたしにとっても、お昼から飲む一杯は普遍的な幸せだ。
ビールはセルフサービスだった。冷蔵庫を覗き込むと、個性的なクラフトビールや地ビールがずらりと並んでいる。「悪魔のビール」「正気のサタン」…なんとも不穏なネーミングだ。さっきまで天国だと喜んでいたのに。わたしが手に取ったのは「ガツんとIPA」。メロンソーダのようなポップな見た目に反して、苦味の奥に爽やかな柑橘が香る。ナッツやチーズとも好相性だった。

これまでいちばん美味しかったビールは何かと聞かれたら、答えに迷うだろう。夏の球場で売り子さんに注いでもらった一杯か、餃子と一緒に流し込むキンキンの一杯か。でも、忘れられないビールはと聞かれたら、わたしはあの本屋のぬるいビールを思い出す。
駒沢に、ひそかに通っている本屋がある。アパートの一室のような扉を開けると、ロマンチックで、どこか異国の空気をまとった空間が広がっていて、店主のセンスで選ばれた本が所狭しと並んでいる。訪れるたびに運命的な一冊と出会えるお気に入りの場所だ。
好みの本屋は、つい長居してしまう。最近はカフェスペースのある書店も多いけれど、ここにもゆったりとしたソファがあった。
「ぬるいビールと、おいしくないコーヒーしかありませんが…」
店主はそう謙遜されたけれど、わたしはこの慎ましい謳い文句に惹かれてしまい、即座にビールをお願いした。
村上春樹フリークの店主に「特に好きなもの」をお願いすると、心得たように店内を歩き回り、次々と手渡してくれた。わたしはソファに沈み、噂に違わず少しぬるいビールと小説を楽しんだ。
あの日のビールの舌触りも、小説の余韻も、夏の陽射しも、帰り道に自転車を漕ぐ友達の後ろ姿も、やけに記憶に残っている。

きっとそれは、旅先で寝不足のまま観たレイトショーが忘れられないのと似ている。人間の脳は「違和感」や「例外」に敏感で、非日常ほど記憶の上澄みに漂い続ける。居心地の悪さや、想定外の出来事は、ときに情緒を長持ちさせる。
あるいは、人は出会いにドラマを求めてしまう生き物なのかもしれない。枷はいつだって恋を盛り上げる。三角関係がなければ『あすなろ抱き』だって生まれなかっただろう。
すてきな違和感を演出できる人がモテるのだろうけれど、計算された偶然は「あざとい」と呼ばれてしまう。それならいっそ、違和感や想定外も一緒に楽しめる人と飲むのがいい。
「好きな人」と「忘れられない人」が違うように、「美味しかったビール」と「忘れられないビール」もまた別物だ。2杯目の赤いビール──「星のふる夜に」を飲みながら、こうして日常に突然現れるビールもまた、ちいさな非日常だと思う。
ときどき、ご褒美と称して“例外”を作り、自分を甘やかすことは、日々を生き延びるために有効な口実だ。
あの本屋で飲んだぬるいビールは、真夏の昼下がりの記憶として、今でもわたしの頭の片隅に、しおりのようにそっと挟まれている。
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