寺子屋こぼれ話 受験生に贈る言葉?編
今日から、大学入学共通テストが始まる。
私たちの仕事は昨日までで、あとは、生徒たちの仕事だ。
年々、生徒たちの対応をしながら、疑問に思うようになっていることがある。
いつから大人は、こんなに「入試」というものを特別扱いして
子どもたちは、「受験生」であることで
こんなに特別扱いしてもらうことを当たり前だと考えるようになったのか。
受験生であろうが、家の手伝いが優先という、我が家は少し特殊だったとはいえ、
今の「受験生」への周囲の対応には、少子化の弊害を感じずにはいられない。
受験は、人生の岐路だけれど、単なる通過点だ。
そして、その岐路も、通過点も、親や先生たちのものではなく
彼らだけの、人生の岐路であり、通過点だ。
「自分のことだってわかってる?」
と、喉元まで出てきた言葉を何度飲み込み、何度、吐き出しただろうか。
そんな中、今年の受験生たちの言動を見ていて、やはり気になり、
いつも以上に顕著だと感じ、書いておきたいと思ったことがある。
点数や成績に表れるもの、
順位や資格を手にすること
そして、頑張りを認めてもらうこと
を、子どもたちが勉強だ思っていること、
そして、多分、それは大人たちもそう思っている人が増えていて、
どんどん子どもたちの勉強が刹那的、その場しのぎになっていっているようにみえることが多いことだ。
入試は
自分たちの頑張りを一方的に見せ、評価させる場ではなく
自分たちの頑張りを相手に見てもらい、評価してもらう場だ。
自分が主導権を握っているのか、
相手が主導権を握っているのかを
正しく認識することの大切さをわかっている人は
共通テストでも、入試でもきちんと実力を出せると、私は信じている。
自分たちがどんなに頑張っても、手に入れられないものがあるから
我武者羅にとまではいかなくても
できる限りの努力を重ねる
そして、人に合わせる、自分たちに合わせてくれる人に感謝する
そんな姿勢があれば、
当日、予想外のアクシデントや不慮の事故などがない限り
間違いなく、希望の結果を出し、最終的に合格を手にすることができるはずなのだ。
そんなことを日々の会話の中で、生徒たちには口を酸っぱくして伝えているつもりだけれどー
伝わっているだろうかー
伝わっていることを祈りながらー
彼らを信じて結果の報告を待とうと思う。
待ちながら、今日は他の学年の授業をいつも通り行う。そして、明日、私は1年半ほど前からの推しのLIVEに出かけ、国公立大学の2次試験までの英気を養ってきたいと思っている。
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