【読書メモ】木村忠正『スマホは心を操る』(朝日新書、2026年)その②

  • 「最後通牒ゲーム」および「独裁者ゲーム」からの示唆:ヒトは「不公平」を嫌う。利益を失っても不公平な扱いは拒否する。独裁できる状況でも相手にいくらかは分配する。「道徳」は理性ではなく、情動に基づく。

  • 「道徳」の進化論的機能:各人が多少なりとも利己的であることを前提にしつつ、社会的相互作用を協力の方向へ統制する。

  • 公平公正⇔私利私欲への非難、内集団への忠誠⇔裏切りへの制裁および外集団の蔑視。

  • 競争的利他性:「利他」ができるほどの能力がある個体であるとアピールすることで生存競争の上で有利になる。

  • 偏狭的利他性:単に利他的なだけでは個体の生存には不利かもしれない。しかし、利他によって競合する集団(敵)に打ち勝てた場合、生存確率を増やすかもしれない。

  • ネット炎上、ヘイト、フェイクニュースは「新しいテクノロジーが生み出した問題」というより、進化に根差した人間の心理(道徳)が増幅された結果。

  • 炎上:規範に対する侵犯を自分に利益がなくても罰しようとする「第三者制裁」

  • ヘイト:内集団(われわれ)への信頼が身内びいき、外集団(やつら)への敵意へ。誰が「われわれ」で、誰が「やつら」かは直観的に識別できる。

  • フェイクニュース:ヒトは「真実デフォルト」(嘘を見抜けない、話すことは基本的に真実)。しかし、嘘をつく知性がある。一部の個体(扇動者、特殊詐欺、インプレゾンビ)が巧妙に活用している。

私たちはアプリを無償で使っているように見えますが、その代わりに、スマホの操作そのもの〔どの投稿をどれだけの時間見たか、どこでスクロールを止めたか、何に「いいね」したか〕が、企業側に差し出す一種の「地代」になっています。ここでいう「地代」とは、巨大IT企業が所有し、管理するデジタル空間という「土地」を、私たちが利用するために支払っているもの、という比喩です。

木村忠正『スマホは心を操る』p.201

あなたの反応一つひとつが、AIにとってのご褒美であり、無料でソーシャルメディアという巨大なデジタル空間のごく一部を利用するのと引き換えの地代なのです。この繰り返しによって、AIはあなたの行動を鏡のように学び取り、「次に反応するであろう刺激」をより的確に描けるようになります。

木村忠正『スマホは心を操る』p.208

その結果、私たちは「偶然の一致」のような体験をします。まるでAIが自分の心を読んでいるかのように、見たかった情報が次々と流れてくる。ですが、それは偶然ではありません。AIがあなたの過去を鏡として、未来のクリックを確率的に描いているからです。そして、その予測が的中すればするほど、AIはさらに多くの行動データを得て、次の予測を精緻化していく。この循環こそが、ハイプ・ループの駆動力です。

木村忠正『スマホは心を操る』p.209

AIが特定の価値観を持っているわけでもなく、意図的に人を分断しようとしているわけでもありません。しかし、怒り、驚き、共感――強い感情ほど人をスクロールから引き戻す力を持つため、AIが人間の反応を学習し、報酬を最大化する過程で、「どんな感情が行動を引き出しやすいか」という心の癖がアルゴリズムに刻み込まれていきます。ハイプ・マシンの内部では「共感」「同調」「互恵性」「競争的利他性」「怒り」「嫌悪」「排他」「第三者制裁」といった人間の道徳心理が、アルゴリズムのかたちで体化されるわけです。共感がより即時的な反応になり、怒りが拡散の燃料になる。

木村忠正『スマホは心を操る』p.211
  • ネット世論は、ネットを利用する>あるサービスを利用する>関与する>投稿する>積極的に投稿・関与するという何重ものバイアスがかかっている。日本の9割がネット利用者で5割がTwitter(X)利用者としても、ニュース関連の投稿をするのはTwitter利用者の半分、多頻度投稿は数%

  • ネット世論は「多くの人の平均的な意見」ではなく、特定の価値観や正義感を強く持つ人たちによって形作られる。

  • 著者の研究では、マスメディアが「非少数派」(つまりマジョリティ)の利害や苦難、価値を声として取り上げていないという不満が社会に拡大していることが示される。

  • (マスコミやリベラルがマイノリティばかりを取り上げ、苦しい中間層を無視している、という意識が広まっているというのは、別の著者の書いたものでも見た。また、日本だけでなく世界的な傾向のように思える)

  • 人間には二分法バイアスもある。「われわれ/やつら」だけでなく、前後、上下、左右といった方向感覚も「斜め右前60度、下向き35度」のように計測しない。このヒューリスティックが物事や争点にも働いてしまう。ソーシャルメディアのアルゴリズムと相まって、現実以上に社会が二極化して見えてしまう。  

  • 現実はもっと曖昧で、折衷的で、多層的。「賛成でも反対でもない」「立場は同じだが不安がある」「政策には賛成するが方法には疑問」といった「中間の声」はアルゴリズムの中では可視化されない。

  • デマ情報が炎上騒ぎになったように見えても、ネットの大海の中ではさざ波程度(あるデマ騒ぎはツイート全体の10万分の2だが、タイムラインに現れるとそれがネットのすべてのように見えてしまう)。

  • 「ワクチンで不妊になる」デマの場合…恒常的にあるがほとんどさざ波で問題にならない

  • メディアや専門家が「フェイクだ」と指弾することでかえってバーストが生じる。その指弾が意図しなくても「ワクチン賛成/反対」、「科学/非科学」、「事実/フェイク」という二分法を作り出してしまう。

  • 道徳心理とアルゴリズムによる増幅がバーストを呼ぶ

  • 「ワクチン不妊」言説には「科学/非科学」で割り切れないような多様なニュアンス(長期的なリスク、万が一わが子に重篤な副反応があったら、ワクチンそのものというより行政や医療システムへの不信)があるが、それは二項対立でかき消されてしまう。

  • 専門家がフェイクを指弾したくなるのも「真実デフォルト」という道徳規範が侵犯されたと感じるから。

  • (じゃあ、メディアや専門家が黙っておけば、フェイクニュースは勝手に収束/終息し、その方が得策ということになるのだろうか…?)

  • 本当に起こっているのは価値観(「われわれvsわれら」)の対立ではなく、共同体間の翻訳不全。

  • メディアと学術界への提言二つ(本書を読んでください)

  • ひとりひとりができること:以下の引用参照。

 ネットAI社会を生きる私たちにとって、最も危険なのは「考えなくても反応できる快感」です。ハイプ・マシンが私たちにフィードするのは、まさにその瞬間的報酬です。それに抗う唯一の方法は、「感じながらほんの少しだけ考える」こと。わずか数秒立ち止まることが、AIの予測を裏切り、自分の心を自分の手に取り戻す契機になるのではないでしょうか。
 このリテラシーを高めることによって、私たちはAIのリコメンドにも左右されにくくなります。自分のタイムラインに表示される情報が、AIによって選ばれた「一部の世界」であると認識できる。他者の発言に怒りを覚えたときに、「この人がこう感じる背景には何があるのか」と想像する余地が生まれる。そうした視点の転換が、アルゴリズムに無自覚に操られることから自分を解放し、技術との対話、自分との対話、他者との対話を可能にするのです。

木村忠正『スマホは心を操る』pp.280-281

 最近のニュースによると、「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」という言葉を知っている人は1割未満だそうだ。

 残りの9割の人がどういうSNSの使い方をしているのか知りたいものである。一方で、こうした言葉や概念を理解した上でSNSを有効に使いこなしているという知的な人もいるが、そういう人にこそ、本書をおすすめしたい。
 本書はスマホやネットと関係を断つのではなく、それらと自分との関係を見つめなおすためのものということだが、私自身はもうあまりネットで発信することに面白みを感じなくなってきた(いまもnoteで発信してるくせに!)。
 AIやSNSが自分自身の鏡というのなら、出てくる情報の質が悪いのも自己責任なのかも知れないけれど。

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