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生きづらさを感じる部分 〜難聴と人との距離感〜

こんなタイトルだけど、
はじめにお伝えしておきます。

どれもこれも全部わたし
とくに悩んでないっす

以前、仕事が続かずに行き詰まりを感じていた時があって、よくよく考えてみたら根本はここじゃないかと思ったから、今日はそれを書いてみる。

今日は心の整理note、ひとりごと。

・難聴による変化
・人との距離のとり方がヘタクソ

わたしが難聴と認識したのは32歳、その頃は動物看護師でペットアロマを始めた年。20代のころに不便を感じることは無かったが今思えば29歳頃から聞こえにくさは出てきていた。

母は中途失聴の聴覚障害者で、もしかするとわたしもベースには聞こえにくさの遺伝子を持っていて、難聴を知った年は大失恋という節目があり心因性ストレスも大きく関係したのかも知れない。


呼びかけても無視をする
→感じ悪い、意地悪をしている

何度も聞き返す
→鬱陶しい、失礼だと言われる

こんな感じで、会話がうまくいかず
人間関係が一時的に悪化した

私は難聴であるが障害はない
難聴の中でも中等度
その中で、上・中・下があるなら
中等度の中くらい

ゆっくり、ハッキリ
話してもらえると会話はできる
しかし、3人か4人までが限界
それ以上になると黙る
わたし自身が辛くなるので
その場を去るようにしている

身体に不調が出てからは
さらに聞こえにくいので
コミュニケーションが取りにくい

こちらもコミュニケーションを
図ろうと努力はするが
聞こえないものは聞こえない

突然の呼びかけ
後ろからの呼びかけ
大勢の会話となると
全くわからない
遠くからの呼びかけも
聞こえるはずがない
もちろん気付かない

会話が分からないから
こんな状態だよって伝える

すると
いきなりそこから社会的弱者として認識される。助けてもらう立場にあるから実際には、そうなのかも知れない。だけど助けてもらう立場と言うところが妙に引っかかる。

これを個性として、そのままを受け止めてくれる人はごくごく稀である

わたし自身、母が難聴なので聞こえていない人との会話をするときの不便さは、よく分かっている。たまに補聴器つけてたら大丈夫やろ?と言われるがそれは違う。

補聴器はオールマイティーではない。聞きたい音だけを抽出してくれる訳じゃない。全ての音が大きくなる。だから、周りの騒音も全て入ってくる。

わたし自身、会話が聞こえていないことを申し訳なく思ってしまうから、どんな聞き間違いしとんねん!と面白がってくれる人に心が癒される。

ただ、聞き返すほどでもないちょっとした会話ができないのは寂しいと思っている。

きっとこれが、難聴になった自分自身における、わたしのこころの隙間なんだろう。
周りの人の言葉が、直接耳に届かなくなった事でわたしの心は少し楽になった。

わたしが難聴になったのは「言葉に影響されすぎないよう、物理的に聞こえないように身体が変化してカスタマイズされた」そう言うことだと思っている。


人との距離のとり方がヘタクソ

人と話すことに苦手意識はさほどなかったが、難聴と知る前に感じた嫌な気持ちが、今もなお染み付いている。

そして、それは影をわたしに落とす。

会話をすること自体が怖い。
コミュニケーションを取るのが怖い。
と大袈裟に書いてみる。

人からみた私は、誰とでも話せるし、めちゃくちゃ人当たりがよく人見知りもほぼない。(相手が人見知り出してくると、私も多少は影響受けます)

でも実際の私は、自分を守るために物理的にパーソナルスペースに簡単に入らせないようにしている。

外を複数人で歩くときなんかは、会話が聞こえないし聞き返すと、その場のリズムを崩してしまうのが嫌だから常に一歩後ろを歩いている。そして、聞こえなかったな〜って思いながら愛想笑いをして、やり過ごす自分がいる。空気やかいわの流れを乱すことを思うと、それはそれで悪くないとも思っている。

ネットやSNSだと、文字だけの会話で温度感が全く分からずに距離の見立てを間違えることが多々ある。

自分でも距離のとり方、ほんまにヘタクソやなぁと思っていて、拗らせながら、あぁ、こうやっていくのかと、最近分かってきたような気もする。

拗らせても、いつも周りに居てくれる方たちには、ほんとうに感謝しかない。

ありがとう♡

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