『TERRA NAUTS』第11話:防衛境界線の狩人
Scene 1:沈黙の昇降機と古い写真
ゴォォォ……という重低音が、足元の鉄板を伝って微かに響いている。
だが、その規則的な振動を除けば、世界は恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
「星が……瞬いてない」
カイは窓ガラスに額を押し当てるようにして、外を眺めていた。
地表にいた頃、分厚い鉛色のスモッグ越しに見上げていた「空」には、何一つ光などなかった。だが、その雲を突き抜けた上空――大気のない真空の宇宙空間には、本物の星々がちりばめられていた。瞬くことのない、鋭く冷徹なダイヤモンドの針先のような輝き。
足元を見下ろせば、自分たちが生まれ育った「惑星スクラップ」が、灰色のスモッグの外套をまとって静かに横たわっている。
「これが、宇宙か。俺は本当に……空の上に来たんだな」
カイの呟きに、肩の上のアトラスが青い瞳をまたたかせ、小さく羽を震わせた。
『……うむ。この地から見上げる星空は、確かにかつての地球(テラ)の記憶と重なる。だが、美しくも冷酷な光景であるな、マイスター』
「綺麗だけど、冷たいわね」
シエルがカイの隣に立ち、窓の外を見つめた。その横顔は、剥き出しの太陽光に照らされて陶器のように白く輝いている。
「エデンの特権階級たちは、この美しい星空の下で、地表の汚れから目を背けて暮らしている。……マザーの管理する、閉じた揺り籠の中で」
ケージはゆっくりと、しかし確実に軌道エレベーターの鋼鉄のシャフトを昇り続けている。
手持ち無沙汰になったカイは、ケージの内壁に埋め込まれた古い制御パネルの残骸に目を留めた。液晶画面の端には、ノイズ混じりのインジケーターが明滅している。
「おい、この端末、まだ一部のログが生きてるぞ」
カイは右腕の機械義手の手首を回し、極細のコネクタケーブルを引き出すと、制御盤のポートへ直接差し込んだ。
ジジジッ……という電気音と共に、古いディレクトリがスキャンされ、画面にいくつかの電子掲示板のデータが表示される。
『軌道エレベーター運用開発部門・第三研究所』
かつてこのエレベーターを保守していた、何世代も前の人間たちの記録。その中の一つの画像アーカイブが開いた。
表示されたのは、白衣を着た十数人の研究員たちの集合写真だった。
背景には、今まさに自分たちが昇っているエレベーターの基部が写っている。
「……っ」
シエルが、小さく息を呑んだ。
カイが「どうした?」と尋ねるより早く、シエルは画面にゆっくりと指先を触れさせた。
写真の中央に写っているのは、淡いブルーの髪をした、優しい瞳の若い女性研究員だった。彼女はまだ幼い赤ん坊を腕に抱き、少し恥ずかしそうに微笑んでいる。
『

……妙だ』
アトラスが写真に写るその女性を見つめ、首を傾げた。
『私のメインメモリーの奥底で、この女性の顔に呼応して微かな熱量(シグナル)が走っている。……知っている。この顔を、私はかつて知っていたはずだ……』
アトラスの呟きを聞き、シエルは静かに目を伏せた。
「私の……母よ」
「え?」
カイが目を丸くする。
「母は、エデンで環境再生のプロジェクトを率いていた研究員だった。……でも、マザーが『初期化計画』を決定した時、母は最後までそれに反対した。そして……マザーに反逆者として処分されたわ。私が盗み出したこの鍵チップは、母が最期に私に託したものよ」
シエルは胸元の青いチップを強く握りしめた。その指先が微かに震えている。
カイはかける言葉が見つからず、ただ自分の油にまみれた機械義手をぎゅっと握りしめた。道具のネジが軋む音が、冷たいケージの中に響く。
「母は言っていたわ。地球はまだ死んでいない。諦めてはいけないと。……だから、私は」
『警告』
その時、ヘリックスの角が深い紺青に明滅し、静寂を切り裂いた。
『高度三万二千キロ。防衛境界線(デフェンス・ライン)を通過。……直後、正面より高速の熱源接近。速い!』
Scene 2:防衛境界線の来襲
ヘリックスの索敵シグナルと同期し、カイのゴーグルの視界に赤い警告ログが明滅し始める。
「エデンの追撃か!?」
『いえ、地表の治安維持ドローンとは基本設計が異なります。……来ます。マザー直轄の軌道防衛兵器――カテドラル級「インクィジター」です』
窓の外、太陽の強烈な光背から、一筋の銀光が滑り込んできた。
それは、細長い「十字架」のような極めて洗練された白いシルエットをしていた。地表の錆びたスクラップドロイドとは異なり、継ぎ目のない美しい白磁の装甲と、中央に赤く輝く単眼のメインセンサー。
エデンの絶対防衛線を守る、冷徹な狩人。
インクィジターは真空の宇宙空間を音もなく滑空し、鋭い軌道を描いてケージの周囲を旋回し始めた。
その中央センサーが、カッと眩しく光る。
バシュッ――!
無音の宇宙で、白い熱線が放たれた。
ケージの外部フレームをかすめ、激しい衝撃がカイたちを襲う。
ガガガガッ!と金属が歪む不快な振動がケージ内に伝わり、火花が窓の外を舞った。

「くそっ! シャフトを狙ってるんじゃねぇ、エレベーターの昇降ワイヤーと推進器を直接狙ってやがる!」
カイは手すりに掴まりながら叫んだ。
「ワイヤーを切られたら、俺たちはスモッグの底へ真っ逆さまだ!」
Scene 3:真空の決戦
インクィジターは再び距離を取り、二射目の熱線をチャージし始める。その白い双翼の端から、高エネルギーの光の粒子が漏れ出している。
『我が王よ、そしてマイスター。防壁の展開は、このボルダーにお任せを』
ボルダーが一歩前に出て、両腕の巨大なシールド・ガントレットを交差させた。
『グォォォオオオッ!』
ドォン!とケージの外壁に衝突する熱線。ボルダーのシールドが身代わりとなり、高熱のエネルギーを拡散させるが、そのセラミック装甲が赤熱し、強烈な負荷の警告音が響く。
『いつまでも防戦一方でいられるほど、あのドロイドは甘くありませんよ』
デルタがキザに羽を広げ、青い発光ラインを輝かせた。
『フン、大気のない真空こそ、私のスラスターが真価を発揮する舞台です。あの気取った白いドロイドに、本物の空中戦(ドッグファイト)を教えてやりましょう』
「デルタ、宇宙で飛べるのか!?」
『馬鹿にしないでください、マイスター。私たちは万能の環境兵器です。――行ってきます!』

デルタはケージの上部非常ハッチを内側から蹴り開けると、そのまま真空の暗闇へと飛び出した。
背中のスラスターが青い炎を激しく吹き出し、無音の宇宙空間でデルタは急加速する。
インクィジターがその動きを感知し、射撃軸をデルタへと切り替えた。
『ヘリックス殿! 敵の予測軌道の同期をお願いします!』
デルタが通信回線を通じて叫び、インクィジターの熱線を間一髪の機動で回避する。
『了解。……敵機、推進ベクトルの解析を完了。……デルタ殿、左旋回を維持してください。敵の制動パターンから、次の反転位置を算出します。マイスター、狙撃の準備を』
ヘリックスの角が明滅し、電子戦データがカイのゴーグルへと直接転送される。
「よし! ナット、力を貸せ!」
『キュイッ!』
カイの肩から飛び出したナットが、空中で一瞬にしてパーツを分解・再構成し、カイの右腕と一体化する。巨大な狙撃銃「ファランクス」の完成だ。
カイは義手から伸びる動力ケーブルをファランクスにプラグインし、ケージの隅に固定されていた簡易的な「ジャンク耐圧ヘルメット」を被って酸素バルブを開いた。ハッチから身を乗り出し、ケージの天面へと這い上がる。
Scene 4:刹那の交錯
ケージのルーフに立つと、音のない暗黒と、圧倒的な無重力の感覚がカイを包んだ。
軌道エレベーターの保守用ケージの周囲に展開されている「簡易大気維持フィールド」のおかげで、宇宙に吸い出されるような強風や急激な減圧はない。しかし、ヘルメットのシールド越しに見る宇宙の黒はゾッとするほど深く、剥き出しの太陽光線がヘルメット内の温度を急速に引き上げていく。
視界を覆うのは、巨大な軌道エレベーターの鋼鉄の塔と、その背後に広がる黒い宇宙。
遥か前方で、デルタの青い軌跡と、インクィジターの白い光条が高速で交錯している。
デルタは限界までスラスターを吹かし、インクィジターの周囲を旋回して射撃を誘いながら、敵の進路を狭めていく。
『敵機インクィジター、デルタ殿の反転に呼応して機首を振ります。……0.2秒後、座標X-44、Y+12で機動が一時的に停止。マイスター、射撃軸を上12度へ!』
ヘリックスの冷徹な分析が、カイの耳元で響く。
カイはファランクスを構え、指示された虚空の座標に銃口を固定した。
ゴーグルの照準レティクルが、何もない暗闇でグリーンにロックされる。
「義手出力リミッター解除! 電流オーバードライブ接続!」
カイの右腕の義手から火花が散り、ファランクスのシリンダーが激しく回転し始めた。莫大なエネルギーが充填され、銃身が青白く発光する。
「そこだぁぁぁッ!!」
カイはトリガーを引いた。
ズドン――ッ!!!

真空の宇宙のため、発射音はカイの義手とケージを伝う物理的な衝撃波としてのみ感じられた。
ファランクスの銃口から放たれた極太の青い光条が、黒い宇宙を直線的に引き裂き、ヘリックスの予測した座標へと突き刺さる。
次の瞬間、その場所へ超高速で滑り込んできたインクィジターのボディの真ん中を、光条が寸分の狂いもなく貫いた。
真空の中、音もなく弾ける純白の爆炎。
インクィジターの白い装甲は一瞬で熱に溶け、無数の破片となって宇宙の彼方へと散っていった。
爆発の光がカイのゴーグルを白く染め、ゆっくりと消えていく。
『ターゲットの沈黙を確認。……お見事でした、マイスター』
ヘリックスが発光ラインを落ち着いた色に戻し、安堵の声を送る。
デルタがスラスターを吹かして戻ってくると、ハッチの縁に軽やかに着地した。
『やれやれ、宇宙の風は少し冷たいですね。……ですが、王の道を開くには十分な戦いでした』
「ふぅ……あぶねぇところだったな」
カイは額の冷や汗を拭い、ファランクスをナットの姿に戻した。
ケージは再び静寂を取り戻し、鋼鉄のシャフトを力強く登っていく。
見上げる頭上には、エデンの巨大なリング状都市が、その白磁の骨組みを輝かせながら、すぐそこまで迫っていた。
(第11話・了)
次回、第12話「古代の声」へ続く。
