人魚姫 第14話 ~まだ名前のない場所~|証言 あの日の続き
「——これからのことを、聞いてもいいですか」
海の底の夕暮れが深まっていた。赤い花の色が暗くなり、少年像の輪郭が柔らかくぼやけ始めていた。
「これから?」
「はい。姫様がこの先——どう過ごしていかれるのか」
彼女はしばらく黙っていた。窓の外を見ていた。
「……わかりません」
静かだった。けれど、一日目の「わかりません」とは違う響きがあった。一日目は——何もかもがわからなかった。今は——わからないことの形が見えている。
「この部屋に——このまま暮らすのだと思います。お父様がいて、お姉様方がいて。ここが私の場所ですから」
「ここが」
「ええ。——でも」
少しの間。
「この部屋は、十五歳の私の部屋です。赤い花も。あの像も。琥珀の小窓も。全部——十五歳の私が選んだもの」
「今の姫様の部屋ではない」
「……そうかもしれません。でも他にどんな部屋を望むのか、まだわからない」
彼女は花壇を見た。赤い花を見た。
「赤い花を——抜こうと思ったことがあります。戻ってきて最初の頃」
「抜こうと」
「ええ。この花は——あの頃の私の焦がれです。太陽に焦がれていた。人間の世界に焦がれていた。全ての始まりがここにある。——だから抜いてしまえば、楽になるかもしれないと」
「抜きませんでしたか」
「……抜けませんでした」
「なぜ」
「あの花が——綺麗だったから」
静かに言った。
「海の底の青い光の中で、赤い花が揺れている。三百年前もそうだった。今もそうです。——あの花を見ると苦しくなる。でも同時に、あの花は綺麗なんです。私がここで過ごした十五年間の中で、いちばん好きだったもの」
「苦しいのに、好き」
「ええ。——おかしいですか」
「いいえ」
彼女は少しだけ笑った。小さな笑みだった。
「おかしくないと言ってもらえると——助かります。自分でもおかしいと思っていたので」
「おかしくはありません。——この四日間のお話の中で、何度も出てきたものだと思います」
「何度も?」
「行きたいと帰りたい。間違いだったと消せない。感謝とそうではないもの。苦しいと好き。——姫様のお話はいつも、二つのものが同時にある」
彼女は私を見た。しばらく見ていた。
「——それは。私がおかしいからではなく?」
「おかしいからではなく。——両方あるのだと思います。最初から」
「……全部あった、と。さっき自分で言ったのに——人に言ってもらうと、また違いますね」
赤い花が揺れていた。光が溶けていた。
「これから——何をされたいですか」
「……花壇を、もう一つ作ろうかと思っています」
「もう一つ?」
「この花壇は十五歳の私のものです。赤い花だけの、太陽の形の花壇。——もう一つ、今の私の花壇を作ったら、どうなるだろう、と」
「今の姫様の花壇」
「ええ。——何色の花を植えるのか、まだわかりません。どんな形にするのかも。でも——この部屋に、十五歳の私と今の私が両方いてもいいのかもしれない、と」
「抜くのではなく、もう一つ作る」
「ええ。——あの花を抜いてしまったら、あの頃の私を消すことになる。でも、あの花だけでは、今の私の場所がない。だから——」
彼女は部屋を見回した。明るい光、赤い花、大理石の少年像、琥珀の小窓。十五歳の少女の部屋。
「——もう一つ、作る。そうしたら——この部屋が、少しだけ、今の私のものにもなるかもしれない」
「何色になると思いますか」
彼女はしばらく考えていた。
「……わかりません。でも——青い花ではない気がします」
「青ではない?」
「ここは海の底です。青い花を植えたら、周りに溶けてしまう。——見えなくなってしまう」
「赤でもなく、青でもなく」
「ええ。——まだ名前のない色かもしれません。見つけるのに、少し時間がかかるかもしれない」
「時間はあります」
彼女は笑った。今日二度目の笑み。さっきよりも少しだけ長く残った。
「——ええ。時間は、ある」
第15話へ続く
