今を泥臭く頑張ること。それは未来の私が「頑張った」と自分を褒めるためのプロセス
「頑張ってるね」 誰かからそう言われると、私は心からホッとしますし、とても嬉しい気持ちになります。
自分の努力が認められ、誰かが見ていてくれたという安心感で満たされるからです。
しかし、現実的に考えてみると、今の私がそんな言葉をかけられる機会はほとんどありません。
日常の中で、見返りとして他者から意図して褒められることなんて、そうそうあるものではないのです。
1.泥臭い日々と、アピールできない理由
もちろん、私自身は毎日を自分なりに必死に頑張っています。
日々の仕事もそうですし、ライフワークとして全力で向き合っているこのnoteも同じです。
決してスマートにこなせているわけではなく、どちらかというと泥臭くて、不器用な歩みを続けています。
それでも、私は自分から「私、こんなに頑張ってます!」と他者にアピールすることはありません。
周りを見渡せば、自分なんかよりもっと過酷な状況で、もっと頑張っている人がたくさんいると感じてしまうからです。
「自分の頑張りなんて、まだまだだ」と引け目を感じてしまい、自分から口に出すことはどうしてもできないのです。
【私が強く思う事】
他者をリスペクトしているからこそ、つい他人と自分を比較して「自分なんて」と謙遜してしまいます。
しかし、この比較こそが、自分の努力を自分自身で見えなくさせてしまう罠なのだと気づき始めました。
本当は、誰の頑張りにも優劣なんて存在しないはずなのです。
2.「頑張っている」と「頑張ってきた」の違い
他者と比べては自分の努力を小さく見積もり、誰からも「頑張ってるね」と言われない現実に少しの寂しさを抱えていた私ですが、ふと視点を変えてみることにしました。
そもそも、私は「現在進行形(頑張っている)」で他者からの評価を求めているのだろうか?と。
毎日をただ一生懸命に生きて、目の前のプロセスを大事に積み重ねていく。
その結果として、ある時ふと振り返ったときに「ああ、自分はここまで頑張ってきたんだな(過去形)」と実感できること。
実はそれこそが、今の私にとって一番大切なことなのではないかと気がついたのです。
【私が強く思う事】
「頑張っている」という現在形の評価は他者の目線に依存してしまいますが、「頑張ってきた」という過去形の肯定は、自分自身の心のなかだけで完結できます。
このマインドの転換こそが、他者の評価から自由になり、自分軸で生きるための鍵になると確信しています。
3.プロセスが実を結ぶ、全身全霊の喜び
対象はなんだって構いません。
仕事でも、趣味でも、あるいは日々のダイエットのような身近な目標でも。
毎日、泥臭くプロセスを大事にして向き合い続ける。
そして、その結果として何かをやり遂げることができたとき、あるいは一つの区切りを迎えたとき。
「ああ、自分はここまで頑張ってきた」
「ようやく報われた!」
そう私自身が心から感じられた瞬間、頭の理解を超えて、全身全霊で「喜び」を味わうことができるのです。
それは誰かからその場で「頑張ってるね」と声をかけられることの何倍も、深く、強く、私の魂を震わせてくれます。
【私が強く思う事】
プロセスに没頭し、それをやり遂げた後に内側から湧き上がる感情は、誰かから与えられる一時的な褒め言葉とは次元が違います。
私の魂が震えるようなその圧倒的な喜びこそが、私が本当に求めている「生きがい」そのものなのだと思います。
まとめ
実は、このnoteを書きながら私自身、一つのことに気がつきました。
他者から「頑張ってるね」と言われることを見返りとして求めてしまうこと自体が、私の中にある「承認欲求の塊」に他ならないのだと。
それに気づいたとき、正直「私のマインドはまだまだ低いな」と痛感しました。
ですが同時に、それは「私にはまだまだマインドを高めていける伸びしろがある」ということでもあります。
だから私は、もう誰かに認めてもらうための見返りは求めません。
泥臭くても不器用でも、一生懸命に生きる今のプロセスを大事にする。
いつか振り返ったとき、「本当によく頑張ってきたな」と全身で喜びを感じられる未来の自分のために。
一番の理解者である私自身と共に、これからも全力で生きていきます。

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