グループカウンセリングを受けた時のメモ
グループカウンセリングを受けた時の漫画を読んで頂いた方々、ありがとうございました。
1話から再度読む方はこちらから。
今回グループカウンセリングを受けた矢野先生のメルマガ、1日1通届いて気づきも多いので是非登録してみてほしい。無料だし、次のカウンセリング開催のときにはきっと告知もしてくださると思います。
電子書籍に今回の漫画まとめました。一気読みにどうぞ。
その後、矢野先生の講座を受けて感じたことなども漫画・マガジンでまとめています。
今回の記事は、カウンセリング受けた直後に頭の中を整理&アウトプットしようと思って描いた長文記事になります。
漫画では描ききれなかった細々としたこと、当日受けた直後にタリーズに駆け込み、テーブルいっぱいに紙を広げて描き殴ったメモも載せておきますので楽しんでいただけると幸いです。
(過去に上げた記事と内容は同じです。当時からメンバーシップ入ってくださってる方には、前に上げたものと記事内容変わりないです。
今月メンバーシップ入った方に多分過去記事は読めないとおもうので、再度上げています)
有料記事としても販売しているので、活動応援の投げ銭として単独購入頂いてもとても嬉しいです。
怪しいお誘い
「水谷さん、カウンセリング受けてみませんか?
普段なら2万円のものが、諸事情により今回は特別に1万円です」
ある日、こんなお誘いを受けました。
誘ってくださった相手は、私が好きな写真家さん。
とはいえまともに話した時間は全て合わせてもせいぜい2時間ぐらいしか無く、Facebookでお互いの発信を見て、それで相手を知ってるみたいなさほど濃くはない関係性。
話を聞きながらすぐに【洗脳】とか【宗教】みたいな単語が頭を駆け抜けました。
カウンセリング受けたあとにツボとか御札とか浄水器が出てきて「あなたを癒やすヒーリングアイテムを買いませんか」なんて言われて、カウンセリングの空気に飲まれておかしなものを買ってしまうんじゃないかと、めちゃくちゃ疑ってかかっていたわけです。
なので、電話が来た時はお断りしました。
別に私、カウンセリング受けるほど悩んでることとか無いので~、とか言って。しかも子どものイベントが重複してて、行くとなれば都合つけるの大変だったし。
でも、何も知らずに完全否定もしたくない主義だし、何より私はその方の写真が本当に好きで。
作品に人間性というのはある程度出ると思ってるので、そんな勧誘とかしてくるような人ではないだろうと。
その人が尊敬するというカウンセラーさんのお名前とか、どんなカウンセリングをしているのかとか。電話切ったあとにそういう事を調べたのです。
ここ最近、オープンダイアローグに興味が沸いていて。
自分でもやってみたいなー、それか、参加してみたいなー、そんな風に思ってたんです。
そしたら今回のグループカウンセリングの形式がそれにすごく似ている事がわかりました。
オープンダイアローグというのは「開かれた対話」という意味で、悩みを抱える当事者とそれに向き合う人間二人だけの対話ではないことが特徴です。
ベースは二人の対話でも、最低でも3人以上の人がその場にいて、2人だけの対話を周囲の人が客観的に聞いていて、周囲の人が2人の対話の中身を深めてくれるみたいな感じ。
精神病院での患者とのやり取りが発祥らしいですが、薬を使わずにその対話を繰り返す事で心が癒やされ精神病が快方していくという実績があるものだそうで。
そしてそれは精神病患者だけでなく、あらゆる人間関係に有効であると。
グループカウンセリングも、開かれた対話形式でした。
オープンダイアローグに興味が沸いていた今、このタイミングでこの話が来たのは運命かも知れないと思いました。
私自身、この時は特に相談したいと思っている明確な悩みもなく…。
そんな状態で1万円払ってカウンセリング受ける意味なんてあるのか、なんて思ったけど。
誰かが本気でプロのカウンセラーさんに悩みを相談する場に立ち会って、その悩みが解消されていく様を見る経験をしに行くのだと思えば、それはそれですごく面白そうだと思いました。
というわけで、その日の用事を夫にお願い出来るか確認して、翌日が誕生日であることをいいことに「誕生日プレゼントとしてこの日行かせて下さい」なんて言って。
グループカウンセリングに行ってみることになったのでした。
いざ当日
当日まで、私は何を相談するか決まっていませんでした。
なんせ夏休み真っ盛りで、毎日子どもにブンブン振り回されて、朝から夜まであっという間に終わる毎日。
しかも今年はやたらと暑くて、自律神経もガタガタにやられて体調も崩し。
体調崩す事を相談しても仕方ないしねぇ。
会社員として鬱になりかけながら頑張ってた5年前ぐらいだったら、どれを相談しようか迷うぐらいに悩みに満ち溢れてたと思うのですが。
今の仕事を辞めたいけど、辞めたら子どものためのお金を積み立てられない、でも仕事を続けることで自分が壊れてしまうかも、とか。
その頃は子どもに診断が付いたばかりだったので、子育てにも悩んでいたし、職場の対人関係にも悩んでいたし、あと、夫との関係も今より良くなかったし、親との関係も今よりかなりよろしくなかったし。
それが、会社辞めて、子どもとの時間を増やして、自分がやりたいことを仕事にして…と生活が変わっていくにつれて、しんどい毎日は殆どなくなりました。私の中では無理して働きたくない場所で働いてたのが一番の元凶だった気がしています。
会社員辞めてからの人生は、それまでのものとは全然違っていた。
収入が減ったのは何かと辛いけど、減ったら減ったなりの生活をするようになって、そしたら別にお金なんてそんなたくさん無くてもいいんじゃんと思えるようになってしまって。
本当にここ最近は結構満たされている感じがあったんです。
ただ、心の奥に、なんかが引っかかってる感じはあって。
でもそれの正体が一体何なのかわかんないから相談しようもないという感じ。
でも「カウンセリング」というものも受けた事がないものだったので、ただ体験するだけでも貴重な体験だよねとワクワクしていたのでした。
しかし行く直前に下の子が「今日は絶対お母さんとずっと一緒にいたいんだ」と大暴れして、手を振り払っても振り払ってもすがりついてきて。
力づくでどうにかしてまでこの「現状取り立てて悩んでないのにカウンセリング」に行っていいのかみたいな迷いも産まれてしまって。
それでもお金はもう支払ってしまってるし。
やっぱり気にはなるし。
そりゃもう頑張って説得して…
なんとかその日は夫と過ごしてもらうことに話をつけて、遅刻しつつ参加したのです。
カウンセリング開始
会場入って、どの順番でお話するかのクジを引きました。
私は7人中6番目。相当後の方でした。
緊張しぃなのに、最後の方なのは嫌だなぁと思いましたが、あとになってこの順序で良かったと思わされます。
いざ、他の方のカウンセリングが始まったら、それが面白い。
面白いという表現は失礼かもしれないけど、人が誰かに真剣に悩みを吐露する場所を客観視する経験って、そうそう無いではないですか。
他の方のお悩みを聴きながらずっと「思い切って決断して」「やりたいことがあるならやっておかないと」など私から見た視点から思うことがありました。
でもカウンセラーの先生は、そういう私見をほとんど言わないのです。
最近「傾聴」についても興味があって、そういう書籍も色々読んでいるのですが、ああ、これぞ「傾聴」だと。
「そうか、本当はBをやりたいんですね。
それでも、そのままAを続けるとしたらどうなると思いますか」
「AをやめてBををした場合どうなると思いますか」
その人の中にある、それぞれの選択肢から未来へのビジョンを引き出すような質問。
そして
「右手の動きは誰ですか」
…というような、身体の動きから心の動きを探るような質問。
自分の過去言われた言葉や、今もなお勇気づけられている存在について、少しずつその人の中から心の声が引き出されていく。
その「カウンセリング」は、先生が意見を言うというよりは、その人の心の中を一緒に覗き込むような問いを重ねていくような感じでした。
先生が自分の私見を言葉にするときは「それは面白いですね」とか「いいじゃないですか」とか、その人がやっている行動や思いを肯定するときだけだったような気がします。あまり「意見」は言わない。
言うとしても「まぁ、自分ならこう思うけど」程度であって「こうしてみたら」とか「これがいいよ」みたいな言い方はない。
その問いに答えていく中で、その方が少しずつ「どうしようもない」と凝り固めていたものがほぐれていくのが見えました。
相談の中で完全なる結論が出たわけではなさそうでしたが、何ていうんだろう、心のなかでガチガチに固まっていた何かが、固体から液体になって流れるような…。多分、何かしらの変化は起こるんだろうなと思わせられるような…。
流れることで、迷いがなにか違う形に昇華されていくような、カウンセリング前とカウンセリング後で、明らかになにか、スッキリした感じがありました。
それは本人もきっとそうだと思うのですが、客観的に聞いていた私の中でも同じようなことが起こっていて、人のことなのに自分のことのように「良かったねぇ、良かったねぇ、あなたが一番幸せになれる道を見つけだせるといいねぇ」と一緒に喜べるような、そんな空気がありました。
グループカウンセリング、すげぇ。
他者をカウンセリングに入れる
人によっては、周りで見ているだけの人がそのカウンセリングの場に入るケースもありました。
夫との関係に悩む相談のときは、会場から二人選ばれて「本人」役と「夫」役を演じます。本人はその中には入らず、「もしあなたが夫さんならどう動くか」という先生の問いに合わせて、カウンセリングの場で思うように動きます。「自分」を演じる他者を見て「なんで私がやりそうなことがわかるんですか」と驚きます。
人だけではなく「お金」や「仕事」を演じるよう言われているパターンもありました。「あなたが仕事ならどっち向きに立っているでしょうか」と問われたときに、本人に背を向けると言ったり、違う方向を見ると言ったり、演じる人はちゃんとその役として考えて動いていました。
あとから聞いた話では、役に入っているときは自分ではないような感覚だったとのことです。ふしぎ。
疑似自分と他者が目の前でその問題と向き合っていく中で、自分がしたいことや、されたいことをしていくことで悩みがほぐれてくるのを見ました。
なんか、自分の事でもないのに涙が出てくるのは何なんだろう。
それぞれの方が、それぞれの悩みを心の中から出してくるのですが、どれもこれも自分の中にその欠片があるような感じがあって、本人が癒やされるところを見ることで自分も癒やされるような、不思議な感覚。
心の中の難解なパズルを、見えるようにみんなの前で解いてもらうことで自分の中のパズルのピースも見つかっていく…みたいな。
そうやって他の人の悩みを聞いていく中で
「そうだ、自分は人と話すのが怖いけど、本当はもっと話せるようになりたいことを相談しよう」という思いが自分の中に出てきました。
自分のカウンセリング
そしていざ、自分の番。
後半は緊張すると思っていたけど、他の人がカウンセリング受けるところを見ていたら、自分の話も早く聞いて欲しい…みたいな気持ちになっていて…緊張はほとんどなかったのです。
なのに、椅子に座って、ひとこと、ふたこと、話し始めたらね。
涙がぼろぼろぼろぼろー!って出てきてね…。
え!?あれ!?
いや、私、悩んでないんですよ!?ってびっくりして。
私は昔から「お前はほんと、余計なことばかり言う」って言われていて。
学生時代も普通に喋ってるのに「毒舌だよね」って言われるし、会社に勤めても「外部との打ち合わせでは君は何も言わないように」なんて口止めされるし。
「いつも傷ついていたけど、もう限界」って言われて、学生時代からの十年来の友人から絶縁宣言もされるし。
でも、私は、何が余計で、何が余計じゃないか、わからなかった。
なにか言う度に、誰かが悲しくなったり、怒り出したりして。
それをずっと重ねていくうちに、何を言えば正解なのかがわからなくなってしまった。でも黙っていたら、何を考えているのかわからないと思われるのか、親しくもなれない。無理して喋れば場の空気を悪くする。
余計なことを言わないようにしたくても、どこまでが余計なことで、どこまでが余計じゃないかわからなかった。
発言できずに口をつぐんでいたら、その場にいる別な人が私が言おうと思ったけど言わずに胸に納めた言葉を言って、みんなに喜ばれたり称賛されたりするのを見ては「これは余計じゃなかったのか、じゃあ、言えばよかったな」って寂しく思ったり、かと思えば、思い切って発言した瞬間「なんでそんな事言うの」みたいになったり。
もっと人と話をしたかった。
でも、相手を嫌な気持ちにさせないように話す方法がわからない。
喋らなければ親しくなれず、喋れば嫌われてしまう。
でも、夫はそういう「思ったことを言う」自分のことを好きだと言ってくれる人で、そういう人と一緒にいることで少しずつ楽になっていった。
会社もやめてフリーランスになり、会社に勤めなくなったことで、自分で一緒にいる人を選べるようになった。
友人関係も自分のことを好きだと言ってくれる人とだけ過ごせるようになった。
子どもも私のことを好きだと言って、必要としてくれる。
家族のおかげで、自分はこの世界にいていいんだと、少しずつ思えるようになってきた。
だからもういいんだ、と、思うようにしていたんだけど…
心のどこかで寂しさをずっと感じていたんです。
そんな事を話していたらドンドン涙が出てきて、止まらなかった。
先生はただじっと聞いてくれて、夫に出会えて楽になったことを話したとき「それは良かったですねぇ」と一緒に喜んでくれたりした。
「自分が楽に過ごせる相手とだけ過ごせるなら、それでいいじゃないですか」と先生は言う。
私も、今自分が身を置いている世界でだけなら、それでいいと思っている。
わざわざ自分の事を煙たがる人と過ごすことでお互いに疲れる必要なんて無いと思っている。
納得出来ているはずでした。
ここから先は
サポートいただけたらそれも創作に活かしていきますので、活動の応援としてぽちりとお気軽にサポート頂けたら嬉しいです。
