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怠惰、エゴ、欲望をキャラ化できる若さ  藤井風「罪の香り」の「歌い言葉」

 罪が香るものだなんて、どうやって思いつくのでしょうか?

 嗅覚は、目には見えませんが、その匂い始めには一番強く感じられます。しかし、その感覚は徐々に鈍くなり、すぐに存在すら忘れてしまいます。嗅覚は、とても慣れるのが早い感覚です。罪もまた同じような特性を持っています。「罪の香り」は、とても優れた形容です。

 ぼくらはたくさんの罪を犯します。もちろん警察にご厄介になるような社会的な、民事的な事件の場合もあるでしょう。でも罪の多くは、ぼくらの心の中で誰にも知られずに起こります。友人の辛そうな姿を見て見ぬ振りしたり、道ばたで苦しんでいる人や、舗道でおそるおそる話しかけてくる人を無視するところから始まります。時には意地悪をしたり、ひどい言葉を吐いたりもするでしょう。その時は気分のままの、当たり前の行動だと思っていても、ぼくらの心には小さな自責のトゲが刺さります。夜、寝る前に自分の罪を認識する痛みが少しやってきます。そして、すぐに忘れます。

  おっと 罪の香り
  抜き足差し足忍び足
  おっと 罪の香り
  逆らい難い嫌な匂い
  おっと 罪の香り
       (藤井風 「罪の香り」 このあともすべて同曲)

 罪の前触れは、静かにやってきます。そのとおりでしょう。誰もそれが罪だとは気がつきません。香りのように実体がなく、気がつくとぼくらを取り巻いています。そしてそれに自分では気がつきません。香りには、すぐに慣れてしまうのです。

  怠惰がうるさいのよ
  いつも落ちる方がラクなの

  理性がショボいのよ
  気付かぬフリで甘やかしてるの

  エゴはやかましいのよ

  欲望 しつこいのよ

 人を罪に誘うものは、いつもこのような何気ない姿で現れます。怠惰、ショボい理性、エゴ、欲望。人が喜んで手を出すもの、それ自体は健全であるもの、そのような姿を借りて罪は近づいてきます。
 でも、

  だけど ハートが分かってるの
  あとで死ぬほど 泣かなきゃいけないこと

  だけど そろそろ耐え難いの
  別の恐怖と 今は戦ってるの

 罪はやはり自分を傷つけていきます。
 藤井風の「歌い言葉」の巧みさは、普段ぼくらが気がつかない、「私」と一体になっている怠惰、理性、エゴ、欲望(それこそが自分の感情であり、自分の大切な一部だと思われているもの)を、言語化し可視化するところにあります。「私」のネガティブな側面を、まるで「私」とは別個に存在するキャラクターのように扱います。

 それを取り扱うのが、まるで「私」であるかのように描きます。藤井の若さゆえの特権ですが、彼の思いは誰にも否定できません。

 ぼくらは自分の立ち位置から見える風景を絶対のものだと思いがちです。でも真実はいつも「藪の中」です。藤井の見ている風景は、20代初めの彼の見ている風景で、その真実性がまばゆいほどです。

 長く生きていると、エゴや欲望や怠惰や理性や罪自体が、時に美しかったり、貴重であったりする、自分の姿であることも理解します。また、自分がそれらに振り回される存在であることも、いとおしかったりします。「罪の香り」を、単純に責めることはできなくなります。それもまた、人間の香りの一つだからです。

 藤井の歌詞は、歌の言葉として聞いたり、日本語で読むとき、意味が不明確な場面がままあります。彼はそれをよく分かっているのでしょう。歌詞カードの見開きに英語訳を載せています。英語訳を読んで、彼の意図を理解する人も多いことでしょう。

  エゴはやかましいのよ
  ちょっとお席外しといてよ
  誰も 何も 座れないとこ
  神聖な場所 もう邪魔でしかないの

  欲望 しつこいのよ
  消えたそばから現れないでよ
  懲りもせんと 付きまとうのも
  これで最後よ 鼻が利きだしたのよ

  おっと 罪の香り
  抜き足差し足忍び足
  おっと 罪の香り
  逆らい難い嫌な匂い
  おっと 罪の香り
  気付いたときにはまだ早い
  ちょっと もうヤメたり
  全部消えて無くなる前に

 風くんには、このまま青くいて欲しいという思いと、何度でも汚い自分を認識して欲しいという背反した期待があります。
 彼が「罪の香り」を身にまとってしまったとき、どんな言葉を紡ぐのでしょうか。
 そんな未来が楽しみな気もします。

 彼の「おっと 罪の香り」という「歌い言葉」には、どうしようもない罪に身を落としたことのない気楽さと、気高さが同居しているようです。それは20代前半の自然な姿です。人の生を鳥瞰できると思った、稀有な瞬間の記録です。

 そんな自然な姿をそのまま表現できることこそが、藤井風の才能であり、彼の「歌い言葉」の魅力です。


 ぼくは長いあいだ、歌の言葉の多くが愛だとか恋だとか男と女だとか、そんなものばかりを扱っていることに不満でした。もっと歌うことはあるだろうと、ずーっと思っていました。

 風くんが、ようやくその扉を開けてくれたような気がします。人の生には(もちろん恋も大切だけど)、歌うに値する多くのことがあります。20代前半で見えた人生の風景を、今「歌い言葉」にして歌うことの大切さを、ぼくは理解しているつもりです。

 だから恐れずにことばにして欲しい。人間のもっとずっと汚い姿もまた美しい姿であることを、風くんには歌ってほしい。

 そんなことを考えています。



 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。よろしかったら、もう一編だけいかがですか?


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