音の記憶 大沢温泉湯治屋の静けさ
「牛乳はいかがですかぁ~。ヨーグルト、乳製品も用意しております~」
朝一番といっても、8時前くらいだろうか。湯治客が朝の湯に入って、一息ついたころに聞こえるのが、牛乳を売りに来てくれるお姉さんの声。大沢温泉で過ごした三泊四日いずれの日も、一日の最初に聴く音らしい音は、お姉さんの声だった。コンテナに各種牛乳やヨーグルトを入れて廊下を練り歩いてくる。朝湯と朝ご飯を終えた滞在客が部屋から出て、一本、二本と購入する様子が聞こえる。
サッサッ、シャー。サッサッ、シャー。
サッサッ、シャー。サッサッ、シャー。
その朝のチェックアウト客がいなくなった頃に聞こえるのが、この音。「サッサッ、シャー」と聞こえるこの音が何なのか、最初は全くわからなかった。でもリズミカルに聞こえるその音が、決して耳障りなものではなく、逆になじみ深いものであることはすぐにわかった。部屋でPCをいじりながら(ここまで来て仕事をしているぼくって?)、邪魔にならない自然な音として耳は処理していた。
ニューギニア高地をドイツの若者とトレッキングをしていた時(ぼくもその頃は若者だった)、虫の音やセミの声を「なんてうるさいんだ。気が狂いそうだ!」と叫んだ彼を、ぼくは笑った。「これはnoiseじゃないよ。songsだと思ってごらんよ。一切気にならなくなるから」と言うと、彼も負けじと「禅の心なんか知りたくない。ぼくはいま心から文明が恋しいのだ。西洋文明が恋しいのだ」と返した。ぼくらはもう何時間も空気の薄いニューギニア高地を歩いていて、素朴な現地料理だけしか食べておらず、脳の働きも極めてシンプルだった。「あ、それには同意!」とぼく。そのあとは2人で「冷たく冷えたコカ・コーラと安全な氷!」とか、「マクドナルドのペラッペラのチーズバーガー」とか、「アホみたいに甘いアメリカのキャンディー」とか、食べたいものを叫んで鬱憤を晴らした。声の届くところには誰もいなかったし、どうすれば他の人に会えるのかもわからなかった。僕らが叫んだものを口にするには、とにかく夜まで歩いて誰でもいいから人に会って、何とか車をチャーターして空港に行き、翌朝の飛行機に乗るしかない。そして2人ともそんなことはしないと、充分に分かっていた。
閑話休題。
サッサッ、シャーという音が、ぼくには虫の音とか蝉の声のように自然に聞こえるものだったということを言いたいだけだったのだが、ずいぶん回り道をしてしまった。
それは、室内箒で畳を掃く音だったのだ。宿の人がチェックアウトを済ませた部屋を掃いているのだ。柄がちょっと短くて、なぜか少し腰をかがめて使うことになっているあの箒である。この音を聴くのは、いったい何年ぶりだろうか。実家に掃除機がやってくるまでは、やはりこの箒を使っていたはずだ。ぼくにとっては、50年以上昔の音。音の源がわかってからは、その音が聞こえるとPCをいじるのをやめて、ちょっと聞き惚れるようになった。
キュッ、キュッ、キュッ。
キュッ、キュッ、キュッ。
何度か同じリズムのくり返し。少し間があってまた始まるこの、音になるかならないかの微妙な音の正体は、すぐにわかった。これは拭き掃除の音だ。廊下は黒光りした板張りである。200年物の建物の板張り廊下を、固く絞った雑巾で拭く音。その光景は何度か見ていた。こうやってこの建物は大切に使われてきたのだ。たぶん100年前、200年前と同じ風景、同じ建物、同じ音。……ぼくが最後に拭き掃除をしたのは、いつのことだったか。
一方には川の流れる音。大沢温泉湯治屋に滞在中、一瞬も絶えることなく、決してくり返すことのなかった川の音。
滞在中、廊下を歩く人の足音がときおり聞こえる以外に、何も聞こえなかったわけではない。そこではいつも川の音が聞こえていたし、牛乳売りのお姉さんの声も、畳を箒で掃く音も、廊下や階段を雑巾で拭く音も聞こえていたし、時には自炊する人の音も聞こえていたはずだ。でも、ぼくはそれをnoiseとして聞いてはいなかった。きっとsongsとして聴いていたのだ。
だから大沢温泉湯治屋の三泊四日は、あんなにも静かだったのだ。
