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『微生物の祝杯 #1|身体という小宇宙』


「スイッチを押してから、読み進めてください。ここからは、僕の身体という小宇宙の音です。」


ストロベリームーンの夜。


今夜はストロベリームーン。先ほど夜空を見上げて、今この記事を書いています。みなさんの地域からは、ピンクや黄金色に輝く丸い月が見えましたか? 窓の外には、少しだけ膨らんだ月が浮かんでいた。土の匂いをまとった身体で、その光を見上げている。

つい数時間前まで、私の身体は苺農園にあった。土の匂い、ビニールハウスを通り抜ける風の音——あれは隼が滑空する音に似ている、と今日初めて気づいた——三箇所それぞれ違う性質を持つ農園、そこで交わす、ちょうどいい距離感の会話。歳を重ねるほど、他人の存在は煙たく感じることが増えていく。特に渋谷のような場所では。でも農園での「他人」は、不思議と煙たくない。

その身体感覚のまま、私は今、コンクリートの匂いと生活音の中に戻ってきた。土の匂いが少しずつ身体から抜けていくのを感じながら、無機質な硬さに再適応していく。

この往復——農園の緑と、都会の無機質——の中で、私の身体は、ひとつの奇妙でおもしろいチューニングを求め始めている。

そのチューニングの話を、今日はしたいと思う。

◯ 苺と一緒に、何かを身体に入れている


今年は生まれてから一番、苺を食べた年だった。 毎週一度の援農。多品種、6種類ほどを育てている農園で、それぞれの苺には全く違う性質がある。茎の硬さ、実のつき方、葉の張り方、ランナーの伸び方——人間の身体と同じだ、と思う。

同じ「苺」という名前でも、扱い方はひとつひとつ違う。

少し酸っぱくて、少し甘い。剪定のつもりで、まだ青い実をカットしてしまうこともある。それは私という小宇宙に放り込まれる。ほのかな甘みがある。

苺を食べるとき、私はきっと、苺と一緒に何かを身体に入れているのだと思う。情報のように軽くはない。運ぶことの大変さ、重さ、季節がかかる時間——そういうものごと全部を、一緒に飲み込んでいる。

ビルのない場所。空が広い。場をつくるということの、いちばん基本的な形を、ここで学んでいる気がする。


◯ 農業筋という、もうひとつの身体地図


この半年で、私の身体には新しい筋肉ができた。私は勝手に、それを「農業筋」と呼んでいる。

解剖学的に分類すれば、体幹、下半身、上半身という言葉になるのだろう。重いコンテナを支える体幹。中腰やスクワットを繰り返す下半身。鎌や運搬の動作で使う上半身と握力。

でも私にとって大事なのは分類ではなく、それが「農園の生命のサイクルと共鳴するための専用の回路」のように感じられることだ。

帰宅してからの2時間のお昼寝は、その回路をオフにして、自分という小宇宙を再起動するための儀式になっている。週に一度のこの習慣——援農という名の素晴らしい習慣——は、私にとってもうひとつの、別の種類の筋肉痛、というよりむしろ「心地よい違和感」を毎週もたらしてくれる。

「農業は、ボディワークではないか。」

そう気づいたとき、少し笑ってしまった。苺の見守りは、シリーズのセッションに似ている。来週また来ると、状態が変わっている。その変化を確認すること自体が、私自身のセルフケアのプロトコルになっていた。

そして今週、ストロベリームーンの今週、苺農園はオフシーズンに入る。根こそぎ抜かれた株の跡地を見つめながら、私は今、半年かけて育ててきたこの「農業筋」を労い、次のフェーズへと身体をチューニングしている。



◯ AI音楽という「多」の生成


さて農業のオフシーズン、意識が都市に戻った私の一つの手は合唱にある。(この話はまた未来に) もうひとつの手は、AIとともに音楽の場を育成中である。このアナログとデジタルの違う種類の場をつくり続けている。

言葉や時間軸を少し変えるだけで、無数の音楽の可能性が並列に立ち上がっていく。ストックがどんどん曲になっていき、「#AIと作ってみよう」で話した音楽作り。「都市のニュートラル」を作って以降、すでに2枚のアルバムが生まれている。


ひとつは、最新の新譜『A Bricolage of the Garden』。苺農園のメンテナンスを繰り返していた時期の、日々の小さな揺らぎが刻まれた一枚。 もうひとつは、一ヶ月前の新譜『存在のプロトコル (Protocols of Alignment)』。「今この瞬間の自分の響き」が、そのまま音に翻訳されたような、鮮やかな脈動としての一枚。アライメント調整をするような一枚である。

合唱が「ひとつの響きに調和する」ことだとすれば、AI音楽は「多層的な世界線を同時に扱う」ことだ。一見、まったく相反するふたつの営み。けれど今、この二つは私の中で、不思議と響き合っている。

同じ「音の骨組み」であっても、それを聴くときの心身のバイオゾーム——つまり状態——によって、立ち上がる世界線はまったく違ってくる。合唱で自分の声を探っていくときの感覚と、AIで無数の可能性を試していくときの感覚。実はそれは、同じことの両面なのかもしれない。

農園の季節の巡りと、自分の身体のチューニングの変化が、そのまま音楽の変容として現れている——そんな気がしている。

◯ 世界線を変えること、それはチューニングを変えること


合唱で声を合わせるとき、私たちは自分の身体のチューニング——いわば物差し——を、ほんの少しだけ動かしている。すると、同じ風景なのに、見える世界線がガラリと切り替わる。

世界線は、遠くで切り替わるものではない。

声の高さが少し変わること。 土の匂いを思い出すこと。 呼吸がひとつ深くなること。

それだけで、同じ景色は違う景色になる。

この音楽も、そんなチューニングの記録なのだと思う。

この音楽を聴くとき、もしできたら、あなた自身の「チューニング」も少し動かしてみてほしい。同じ風景の中に、別の世界線が立ち上がってくるかもしれないから。

次回、第2話では、アルバムやこの音楽たちがどのようなコンセプトで編み上げられたのか、そしてアルバムやそのチップとしての曲、その制作の裏側を紐解いていきます。


音楽を聴く準備をしていてください。




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