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『微生物の祝杯 #3|主役でない私と、おばあちゃんの両手』



🌿 複雑系のド真ん中で


前回の終わりに予告した、援農の現場を静かに支えていた「黄金ルール」。

その正体をマニュアルやKPIのような言語的な「正解」の中に探そうとすると、本質を見失う。私にとっての黄金ルールとは、自分とはまったく異なる原理、まったく異なる時間軸で生きている様々な「界(せかい)」の存在を、すぐ間近に感じることそのものだった。

一歩ハウスに足を踏み入れれば、そこは複雑系のド真ん中だ。

耳を澄ませばマルハナバチの羽音が響き、視線を上げれば隼(はやぶさ)のような風の流れに目を奪われる。遠くからは京王電車の走行音が微かに鳴り響き、足元では目に見えないダニや菌たちがそれぞれの小宇宙を生きている。

その圧倒的なグラデーションの真ん中にぽつんと身を置くとき、人間が前頭前野でこねくり回した「決めつけ」の言葉は、ことごとく意味を失っていく。

「ここでは、私は主役ではない」

そう気づいたとき、0か1かのデジタルな緊張でバキバキに偏っていた身体のバランスが、自動的に本来の場所へと戻っていくのを感じた。ちっぽけな自分を思い知ることは、そのまま身体の救済でもあった。


🌿 有能さの罠と、お呪い(おまじない)


ハウスの中での作業は、淡々とした時間の経過そのものだ。

密集した株を空き、古い枯れ葉を除去していく。

周りのボランティアの皆は、効率よく片手でリズミカルに葉をちぎっていた。しかし、私はなぜか、頑なに両手を使っていた。かつておばあちゃんが教えてくれた「両手で。美味しくなるように」という、あの古い「おまじない」のような言葉が、私の指先にずっと残っていたからだ。


片手でスマートに、効率よく、次から次へとタスクを処理していくこと。それは現代の社会、とりわけ「有能」であることを求められる世界において、最も正しい在り方とされる。かつての私も、そのスピードのド真ん中で、すべてを自分のコントロール下に置こうと前頭前野をフル回転させていた。


けれど、すべてを自分の有能さだけで支配しようとするとき、人間は、自分だけの狭い世界の主役に閉じ込められ、その身体をバキバキに硬直させていく。

別の界に対する「神」のような位置に立ちながらも、支配ではなく、祈るように両手を添える。

効率を手放し、あえて両手を使うという、一見すると不器用で、地味で、淡々とした時間の経過。その非効率な祈りのなかに身を置いたとき、私は自分が世界の主役でもなんでもない、ただのちっぽけな循環の一部にすぎないことを知る。


🌿 決めつけを手放すタッチ


この手触りは、私が本職であるボディワーカー(ロルファー)として、他者の身体に触れるときの感覚と完全に同期していた。

「ここが悪い」「これが正解だ」という言語界からのジャッジメント(決めつけ)をすべて手放し、ただそこにある複雑な筋膜のグラデーションに、両手でそっと触れていく。変化を強制するのではなく、ただ寄り添う。

その淡々とした手作業の背景で、実はこんな音がひっそりと漏れ出ていた。


※(初の英語歌唱に挑戦したMyVoice)


🌿 土の底で繋がる地下茎



ここに並べた3つの曲。実は、これらはすべて「全く同じひとつの歌詞(DNA)」から、AIの手によって紡ぎ出された異なる世界線だ。(それぞれの曲の経緯はyoutube概要欄に書いてあるので興味ある方は要参照でお願いします。)

一見すると、満ち足りた豊潤な響き、すべてをリセットする静けさ、そして言葉の意味すら超えていく英語のパルスと、まったく別の顔をしているように聴こえるかもしれない。

けれどそれは、苺の株たちが一見バラバラに独立して生えているようでいて、土の底では目に見えない地下茎(ランナー)や菌糸のネットワークで深く、地続きに繋がっているのと同じだ。表面の「決めつけ」を剥ぎ取れば、源流はひとつ。今日のあなたの身体は、どの世界線の波長とアライメントを取りたがっているだろうか。

次回、最終話。

このバラバラに思える世界線たちが、ひとつの「星座」として重なり合うとき、私たちの意識は、すでに始まっているその事実に気づくことになる。

――『微生物の祝杯 #4|スライドする意識、その事実を知るもの』へ続く。


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