哲学チャンネルについて(哲学とは?)
こんにちは。哲学チャンネルです。
普段はYouTubeで哲学解説系の動画を配信しています。
週に2,3のペースで投稿をしていますので
よろしければご覧になってみてください。
さて。
このたび、noteを始めることにしました。
動画チャンネルでは哲学者や思想の解説をしております。
その性質上、自身の思想を紛れ込ませないように注意しています。
できるだけその哲学、思想をそのままに
(といってもそこには歴史上様々な哲学学者による解釈が含まれます)
発信することをモットーにしています。
一方で、自分自身の思想(といっても基本的に無思想なので大した主張はない)を主張する媒体もほしいなと思いまして
その場をこのnoteに求めました。
ということで、超不定期ではありますが
こちらでたまに記事を書いていきたいと考えています。
ネタの提供やご質問など、大歓迎です。
noteのコメント機能?でもかまいませんし
YouTubeのコメント、Twitterのリプライなど
お好きな方法でご連絡くださいませ。
また、記事に対するいいねもしてくださると嬉しいです。
いいね一ついただくたびに、心拍が1BPM早くなります。
よろしくお願いいたします。
ということで、今回は
『哲学とは何か』
また、それに付随して
『哲学チャンネルというネーミングについて』
書きたいと思います。
あまり長くならないようにしますので
どうぞ最後までお付き合いください^^
哲学とはなんなのだろうか?
哲学が何を指し示す言葉なのか?
これについては一般的な解が未だに定まっていないと言うのが正しいでしょう。
考えること自体が哲学だと考える人もいれば、
語源を元に「知を愛する」ことが哲学だと考える人もいるだろうし、
生き方を示すのが哲学の条件だと思う人もいれば
世界を説明するのが哲学の義務だとする人もいるでしょう。
定義が完璧に定まっていないものを無理矢理定義すること自体
若干ナンセンスであろうかとは思うのですが
個人的に一番妥当な、それでいて一般的な定義としては
『哲学=形而上学』
だとしてしまうのが一番わかりやすいと感じています。
形而上学とは手元の辞書によると
『形而上の存在を問う、哲学の部門。
現象界の奥にある世界の根本原理を探求する学問』
とあります。
要は、なんだかわからない感覚を超えた存在のことを
理性やロジックをフル動員して突き止めよう。という行為のことです。
この形而上学が、少なくとも狭義の意味で哲学と定義されても
怒る人はそういないと思います。そう思いたい。
そういう意味では、ウィトゲンシュタインが形而上学的な問題を
「語り得ぬもの」と表現したことって
ある意味「狭義の意味での哲学は終わった」宣言だったともいえますね。
まぁそれは置いておきます。
つまり(狭義には)哲学者とは形而上学的な問いに挑む人であり
哲学者の分析をする人が『哲学学者』と呼ばれることにも納得がいきます。
ここまでがあくまでも一般的に妥当であろう定義です。
多分、世の中の多くの人は哲学に対してこのような感覚
~よくわからん(それでいて無意味な)問題に関して悩んだりする人~
を抱えているのではないでしょうか?
大きく間違っていない気がします。
ただ、個人的には哲学の定義はもう少し広くて良いと思います。
厳密に表現すると定義を変えずとも広く解釈できると言った方が良いかな?
これは突き詰めていくと
『万人にとっての真理は存在し得るのだろうか』
という問題にぶち当たり、それこそ形而上学的な問いになるので
ここを深く掘ろうとは思いません。
ただ、仮に真理ってものが万人に共通でなかった場合、
その真理って個人個人特有のものになるわけですよね。
それってつまり、その人にとっての真理を追求することが
形而上学への挑戦になりませんかね。
「自分はどのように生きていけば良いのか?」
「今志した生き方はどんなロジックに依存しているのか」
などなど、その人それぞれの生き方を模索すると言うことは
無意識にそのロジックを構築していることと同義です。
であるならば、それって『未知のものに対する思索』なわけで
言い換えれば立派な形而上学ではありませんか!
じゃあ個人の小さな形而上学に挑むのって
哲学といえるじゃありませんか!
(相当ガバガバ理論だと理解して書いています。
もう少しだけお付き合いください)
このことから、私は『何かについて考えること』が哲学だと思うし
仮に哲学を形而上学とイコールで結んでも
同じ帰結を見ると考えちゃっているのです。
哲学チャンネルのネーミング
『哲学チャンネル』の『哲学』にはここまでに書いた二つの意味が込められています。
一つは【形而上学】
世の中で多分一番難易度が高いと思われる形而上学に対して
人生を捧げた哲学者。
私はこの狂気に尊敬の念と、羨望の眼差しと、嫉妬を抱えています。
この素晴らしい感情を、ぜひ誰かと共有したいという思いがあり
形而上学と定義された哲学を紹介するチャンネルを運営しています。
もう一つの意味は【考えること】
チャンネルでの発信を通して『考えること』の需要性を伝えていきたい。
と考えています。
私が初めてソクラテスを知ったとき、
(これはプラトンへの感情とも言い換えられます)
こんなに物事について考え抜いた人がいて
そしてそのために人生を捧げた人がいた。
ということに衝撃を受けました。
そしてさまざまな哲学者を知るたびに
一度きりの人生をその思考に捧げた異常性と執念に感服するのです。
そんな経験の中で、私自身『かんがえること』の必要性に気付かされました。
過去にはこんな動画も撮りましたが
時代は変わりました。
現代においては自分の生き方を自分で考える必要があります。
そのためにはまず考えることをはじめないといけないですし
(意外とそれって難しい。すくなくとも私はそうだった)
『考え方』を学ばないといけない。
そういう意味で、哲学は『考え方』の宝庫なんです。
ですから、哲学チャンネルの発信を通して『考えること』の重要性を訴えていきたい
そして様々な哲学や思想に触れることで『考え方』を学んでいただきたい。
哲学チャンネルの『哲学』には
形而上学である哲学
と
考えることである哲学
の両方の意味を持たせています。
とはいえ、定義なんてどうでも良いんですけどね。
結局はすべて誰かにとっての何かでしかありえませんから。
今回は、私にとっての哲学。というお話でした。
また次回^^
